5 橋は叩かず渡れ



 ひどく静かだ。聞こえるのは歩みを止めない三人の足音だけ。王様率いる討伐隊の姿は、まだ見えない。

 岩をうがった工具の跡、天井を支える木枠の重なり、染み出た水がそこかしこに水たまりを作る足元。通り過ぎる光景はどこまで行っても、それらの繰り返しでひとつも変わらず、同じところを回っているかのように思える。

 そう思えるだけで、赤玉の王が潜む闇の奥へと、三人は着実に歩を進めていた。正しい道だと皆で思うのは、地の深くへと下り続けていたからだ。異形の悪魔は地の奥底から来ると知られていた。


 下りを選んで入り組んだ坑道の先を目指す旅人を先頭に、従者は王女から虫明かりを預かり、しんがりからそれを照らした。一行は曲がりくねった道を進む。


「聞こえる? どこからか水の流れる音がします」


 少し振り返って、そう従者へ声をかけた王女は行く手を見やった。坑道はそこで終わり、三人は出口を抜けて広い場所へと足を踏み出した。


 開けた空間は深い谷に分断されていた。こちらから向こうへと、木や石を組み上げた大小の橋が縦横斜めと幾本もかかり、対岸へと道が続いている。地下の谷の底へと岩壁の合間から細い滝が流れ込み、明かりを掲げても見えない崖下には川があるようだ。

 旅人はざっと頭をめぐらせると、いくつかある向こう岸への道の中から、木組みの足場で二段構えになっている大きな石橋へと歩を進めた。

 橋の中ではそれが一番頑丈そうで、そうそう落ちそうにない。大勢の濡れた足跡が中へと続いているのを見ると、王様の一行もこの石橋を選んだようだ。王女はそれに幾分か安堵し、自身の足跡も皆の中へ混ぜた。


 橋は、外から見て思ったよりも長かった。虫明かりに浮かび上がる先は黒々として、何者かが大きく口を開けているようにも見える。上の足場を支える材木が影の中で、乱雑にかみ合わせた獣の牙を思わせた。

 従者は行く先ばかりを気にしていたが、王女は石橋を覆う木組みの合間から左右の谷へと目をやって、だれかが残ってはいないかと探し、どこにいるかもわからぬ異形の者への警戒も怠らなかった。


「なにかいる」


 不意に足を止め、旅人が天井を見上げる。従者が側を見れば王女も顔を上げて、木組みの中へと厳しいまなざしを向けていた。

 遅れて顔を上向かせた従者は、上げかけた明かりを胸元へと戻した。大ヤモリのことがあって、虫明かりの扱いには注意がいるとおぼえていた。


「何匹もいる」


 旅人の言葉に王女がうなずく。

 従者もそれに気づいた。材木に爪のような固いものが当たる音が、この橋の方々から聞こえてくる。三人は逃げ場のないこの石橋の上で、なにか大勢に囲まれてしまったのだ。

「走り抜けましょう」と王女が言い、剣を抜く。旅人と従者はそれへうなずき、三人は一気に駆け出した。


 木組みを蹴る大勢の足音が後ろから付いてくるばかりか、橋の外側を並走しているのが聞こえる。従者も虫明かりの持ち手を腰の帯へと差し込むと、慣れない剣を抜いた。


 悲鳴が上がる。

 耳障りな甲高い声で鳴いたのは、従者の頭上から降ってきた何者かの、運の悪い一匹だ。抜いた剣の上へと飛びかかってしまい、偶然にも切り捨てられたそれは、さび色の光を放って、はじけ飛んだ。

 その光に呼応するように方々から一斉に鳴き声が上がる。異形の化け物の言葉はわからないが、その合唱が怒りによるものだとは、だれの耳にも明らかだ。


 旅人の前方へ柱の間から飛び出して来た塊は、明かりの中に捉えると、人の頭ほどもあるネズミだった。

 それもトカゲのような鱗におおわれた鼻面をし、目がない代わりに耳が四つも付いている。その耳で三人の足音を聞きつけて、この橋上で待ち伏せしていたらしい。異形のネズミは群れとなり、四方から三人へと襲い掛かった。


 旅人が前に来た一匹の固い鼻面を思いっきり蹴り上げ、暗がりへと吹っ飛ばす。王女の肩に飛びかかる数匹は振り抜かれた刃を浴び、柱や床へ叩きつけられ、光ってはじける。その光に、体のところどころを埋める鱗を緑に輝かせ、新たな数匹が飛びかかって来た。

 従者は、むやみやたらに振り回した剣で化けネズミどもを寄せ付けないようにするのが精いっぱいだ。腰の虫明かりが揺れるたびに照らし出されるのは、石橋のあちこちを駆け回りながら獲物の隙をうかがう、異形のネズミの尽きない姿だった。


「数が多いわね! 相手をしていられない。走りながら倒さなければ!」


 王女は、腕や足、頭を狙って飛び付こうとするネズミたちを切り伏せ、完全に足が止まってしまった従者の元へと駆けた。従者の足首へ跳び付こうとした一匹を切っ先で払い、追いすがって来た二匹へ剣を叩きつける。


「しっかりなさい! 後ろは私が守るわ。走って!」


 王女の言葉に必死の形相を和らげてうなずいた幼なじみの少年が、騎士見習いでも兵士でもなく、ただの従者であるのは、剣を持って戦うには心もとないからだ。国の守護を自ら担う父王直々に鍛えられた王女との力の差は、比べるまでもない。


 足手まといになるのはわかっていたけれど、ここまでとは……。

 そう思って内心穏やかでなかったのは、幼なじみを助けることが当然と思っている王女よりも、当の足手まといである従者の方だった。


 王女と従者が駆け出そうとした、その時。行く手の旅人が大声を張り上げた。



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