7 光



 地下の気温は、肌寒さの残る地上よりも幾らか暖かく、走りに走った従者の少年は首筋にかいた汗を服の袖でぬぐった。

 ようやく立ち止まった三人のいる場所は、採掘者の休憩所として設けられた小部屋だ。ただそれも今は昔。朽ちた壁と床板は部屋の隅へと押しやられ、腰を下ろせる乾いた場所もない。


 王女は剣の刃先に残った戦闘の後を虫明かりに照らして、ひとしきりながめた後、どう見ても鉄さびにしか思えない化けネズミの痕跡を服のすそで拭き、鞘に収めた。それから、部屋の入り口で見張りに立ちつつ、身なりを整えている旅人へと目を向ける。


 旅の若者はネズミを打ち倒すのに使った白茶けた布を、細い首へと巻き直しているところだ。

 頭を覆っていたときに布の隙間から見えていた顔は、涼やかな目元から想像していたよりも幼く、どこか儚げで、やわらかい笑みが口端にある。あれだけのことをやってのけて、その顔に汗ひとつかかないでいるのを、従者は驚いていた。

 蓄光花をもう一度左肩へと留めている指先は、冷たささえ感じさせる白さ。肌もさることながら、白髪にも見えるほどに淡い金の髪が、薄明かりを受けて輝きを返す。あごまでゆるやかに伸びた前髪は、光の花をくすぐっていた。


「なにか、おかしなことでも?」


 こちらへじっと目線を向ける王女と従者に気づいて、旅人が聞く。

 その声音は、人の視線を集める容姿を自らが持って生まれていることに、まるで気づいていない。無邪気に小鳥を見上げる子猫のような純然たる瞳と面立ちで、おかしなことと聞かれても、当人へ何と答えたらいいのか従者には思い付かなかった。

 要らぬことで従者はしばし悩んだが、そこへ王女が答えとなる言葉をくれた。


「あなたは、よくあんな恐れ知らずなことができますね。その見目かたち、聖堂の彫像の、守護天使様を思い出させます。でもだからこそ、恐れ知らずでいられるのかしら」


 王女の言うことがよくわかっていないのは旅人だけであるらしい。従者の少年は、王女の供としてよく足を運んでいる聖堂に安置された石像を、旅人の姿に重ねて思い起こした。


 右手に剣、左に盾、その背に翼。遠い昔、天から舞い降り、押し寄せる軍勢からとある都を一人で守った天の使者。その伝説が広まると、守護天使のご利益を受けたいと、いつしか姿を模した彫像が各地の街に置かれるようになった。


 すべてが白い石でできた御使いの像に天から生きた姿が与えられたら、この風変わりな旅人に似た容姿となっても、おかしくはないと少年は思う。ただし、こちらの身なりはずいぶんと、みすぼらしかったが。

 当の旅人はこの国の都の聖堂はもちろん、どこの国でも礼拝というものをしたことがないせいで、なんのことを言っているのかという顔をしてみせた。王女はその表情で自分の例えの失敗を知ると、気を許した微笑みを浮かべ話しを続けた。


「それは良いとして、たしかにあなたの言う通り、いままでの行程でおかしなことがありますね。それについてどう思っているのか、聞かせてもらえますか?」


 王女にたずねられると旅人は、見知らぬ石の像のことなどすっぱり忘れて、しばらく前から不審に思っていたことを淡々と語った。


「ここまで君らの言う異形の者、ひとつ目のヤモリやトカゲの鱗をしたネズミたちと遭遇した。でも、そうやって王様たちも同じ道を進んでいったのなら、どうしてここまで戦った跡がない? だれにも追いつけずにいるのは、彼らが順調だからというだけか?」


 それを聞いて、従者の少年が声を上げる。


「そうですね。戦闘があったのなら、それなりに跡が残ったり、負傷者が取り残されていてもおかしくないし、なにかそういった争いの音が我々のところまで聞こえてきてもいいような気がします」


 あの石橋の隊列の足跡にも乱れた様子はなかった。あんな群れに囲まれれば放った矢や刀傷、なにがしかの戦いの跡が残っていてもいいはずなのに、それがない。

 王女は旅人と従者の考えに、嫌な予感を濃くした。


「私たちの時だけ化け物が現れたのは、決戦の邪魔をさせないため。だれも地上へと返さないため。父上たちは足止めもないままに、赤玉の王のもとへと向かっているのですね。それは、つまり……」


「招いている、赤玉の王が」


 王女へ答えた旅人の声が、小部屋に薄ら寒く響いた。


「行かなくては。出発します」


 部屋の入口へと向かう王女へ、従者も無言でうなずき従う。王女は部屋を出て行きかけ、旅人の前で不意に足を止めた。


「そうでした。伺っておりませんでしたね。あなた、お名前は?」


 旅人は王女へ、石像のことを言われたときと同じような顔を、またしてみせた。

「あなた、でも困らないけども」と、ずいぶんとおかしなことを旅人は言い、王女と従者を驚かせる。

 それでもさすがに自分の名を知らないということもないようで、幼子がするように、ぽつりと答えた。


「ルクセル」


「ルクセル……それでは、ルクセル。共に、赤玉の王のもとへと行ってくれますか? 私たちには、あなたの助力がいるようです」


 王女の言葉に旅人はまたもや、なんのことを言っているのかという顔をしてみせる。旅の者ルクセルは先に小部屋を出ると、中の二人へ整った横顔を見せて答えた。


「聞かれなくても行く。赤い石のことを、たずねに」


 王女が、ため息を吐く。ただし今度は呆れるだけでなく、微笑みも添えられていた。


「そうでしたね。あなたの目的は、それでした。では、参りましょう」


 王女の言葉を出発の合図に、朽ちた休憩所を後にした三人は、坑道を早足で歩み出す。

 道を共にする者を助けるのが当たり前であるのは、王女も旅人も同じなのだなと、従者の少年は前を行く二人の背に思う。そうして自然と差し伸べてくれる救いの手を、今日はつかんでばかりだった。

 だからこそ、少しでもいいから役に立てたらと、従者の少年は瓶の中で光る甲虫をあやすように優しく、虫明かりの曇りをぬぐって掲げた。


 明かりに照らされる旅人の、ほの白い後ろ姿を見て、王女は思う。


 光、という意味ではなかったかしら。ルクセルという名は……。


 この者が希望の光とでもいうのだろうか。そうは思った王女だが、ただの奇妙な縁だと自分を笑った。

 この旅人が先ほどの化けネズミたちを相手にした時のごとくに異形の軍勢を一人で打ち倒すことがあれば、それこそ聖堂の守護天使が現れ来たとでもいうような、千年に一度もない奇跡だ。


 それでも、良い兆候がまったくないよりは救いがあると思う。


 この戦いが、救援にもならない自分が駆け付けたところで、どうにもならない無謀なものであるのは王女もわかっていた。

 それでも王女は、ただの偶然に見つけた小さな希望を信じた。その肩の光と、その決して広くはない背中を追って、先を急いだ。



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