3 出会い



 有無を言わさぬ一声とその気迫に思わず身を引き、王女は従者に寄りかかる。


 身を引いた王女の前へ壁にうがった穴から何かが飛び出し、坑道の床へと鈍い音をさせて降り立った。

 それまで壁にあった黒々としたいびつな形は、岩に開いた穴などではなかった。薄明かりに穴のようにして黒く見えていたものは、平たい頭と体をした大きなヤモリだ。

 いや、その真っ黒な背にはびっしりと、いばらのとげのごとき鋭利な鱗が生えている。閉じた口に収まりきらない細い牙は天と地に向けて上下のあごを覆い、目のあるべき場所に目はなく、額にひとつ、赤黒い目玉が半ば飛び出すように付いていた。

 背と尾のとげを打ち鳴らして、異形の大ヤモリは頭をもたげ、王女へと見るからに貪欲なあごを開く。牙は横へと倒れると、それぞれが獲物を探る触角のように、からからと震えた。


 化け物のひとつ目がとらえているものが何かと気付いて、王女は声を上げた。


「虫だわ!」


 ひとつきりの虫明かりをかばうようにして、頭上へ掲げる。

 王女のそのしぐさに、さらに食欲をそそられたのだろう。大ヤモリは床を蹴って、飛び上がった。瓶の中の甲虫と、その下の自分の顔目がけて飛びかかってきた化け物に、王女は腰の剣を抜くのも忘れて身を固くした。


 大ヤモリが、びたりと宙で動きを止める。まるで見えざる矢に射とめられでもしたかのようだ。

 とげだらけの尾をつかんで王女の眼前から捕食者を引き戻したのは、下がれと言って危険を知らせた者。旅姿の、見知らぬ若者だった。

 旅人はそのまま化け物を振り上げ、坑道の壁へと打ちつける。壁に拒絶され、床へ仰向けで転がった大ヤモリはすぐさま寝返りをして、とげでうがった岩の破片を振り落としつつ起き上がった。

 明かりを掲げた王女は空いた手で腰の剣を抜き、従者もそれにならう。しかし、二人が剣を振るう間はなかった。


 大ヤモリの後ろへ屈んだ旅人は、またもや素手で異形の化け物に挑む。右腕をすばやく大ヤモリの腹の下へと差し込むと、のどもとの柔らかい皮をつかんで、片手で軽々と持ち上げたのだ。

 自身の腕と同じ大きさはある化け物をそこへのせ、己が来た曲がり角へと一気に投げつける。大ヤモリは抵抗する間もなく、宙を飛んだ。


 その角へ駆け寄って化け物がどうなったかと確かめずにはいられなかった王女と従者は、虫明かりでぼんやりと照らされた行く手に呆気にとられた。

 角の先の道は底知れぬ縦抗のふちをめぐって反対側へと続いており、大ヤモリは向こう岸のふちへと食らいついて、どうにかこうにか、奈落から逃れていた。

 縦穴に落ちかけた体を道の上へと引き上げながら、そのひとつ目で、こちらをにらむ。うらめしげに見てくる大ヤモリばかりに気をとられていると、落ち着き払った静かな声が背後から、王女をたしなめた。


「これ以上、あれらの腹の虫を刺激しないでもらえるか」


 その言葉で気付いたが、奈落の壁には所々へ、まがまがしく光る目があった。

 どうやら甲虫に目がないものが、あの一匹以外にも大勢潜んでいるようだ。王女は虫明かりを片手の袖でさえぎると、分かれ道へと引き返した。




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