2 王女と供



 先ほどからしきりに「戻りましょう」と声を掛けてくるのは、なにも主を心配してのことではない。そう言い募る、自分可愛いさからだろう。

 少し意地の悪い考えで従者の少年の言葉を無視し、王女は先を急いだ。


 採掘が終了し、数十年ほど捨て置かれていた坑道は奥へ行くにつれ、手元の明かりでは心もとなく感じるほどに闇が深くなっていく。光を放つ甲虫を入れた瓶型の照明ひとつでは、地の底の闇には到底勝てない。


「戻りましょう」ともう一度、王女へ願い出た従者は、一歩進むごとに手足の先からじわじわと闇へ染まっていく気がしていた。主を見失わないように、闇にのまれてしまわないように、自然と急ぎ足になる。


 前へいるはずの兵士たちの姿は、どこまで歩んでも見えない。

 ずいぶんと奥へ行ってしまったのだろうか。父上はもう、赤玉の王の元へとたどり着いているのではないか。王女が先を急ぐのは、そんな思いに駆られていたからだ。

 邪魔をしないと言うから城から抜け出す際に供をすることを許したのにと、従者への不満が頭をよぎる。侍女の目を盗み、虫明かりをひと瓶手に入れるだけのことに彼がまごまごしていたせいで、王女は父が率いる討伐隊にかなりの遅れをとっていた。


「戻りたいなら、あなただけで帰りなさい」


 王女が冷たく突き放した言葉を返したのは、そんないら立ちもあったからだ。帰れと言った理由はそれだけではないけれど、いまさら変えようもない決意を変えてくれと、これ以上ぼそぼそと言われ続けていたら、柄にもなく、幼なじみを怒鳴りつけてしまいそうだった。


「箱明かりも持ってきてるのでしょう。いまならまだ間に合うわ。気づかれずに上へ戻れる。風は奥から吹き上がってきているもの」


 灯油を使う箱型の明かりは、その火と中の鏡で強く闇を照らすことができるが、煙のにおいを嗅ぎつけた化け物たちに、ここへ人がいると気づかれてしまう恐れがあった。

 それでも従者が箱明かりを持ってきていたのは、いざ敵と遭遇したときには戦うにしても逃げるにしても、よく周りが見えたほうが良いと判断したからだ。そのための道具を持って、自分一人で逃げ帰るわけにはいかない。

 それに先ほどから再三、嫌がられることも承知で「戻りましょう」と従者が王女へ言い続けているのは、言われた通りに、いまならまだ間に合うと思っていたからだ。


 引き返すなら、いまだ。ひとりでも行くと言い張るので自分も最後まで御供せねばと思ったけれど、王女様の最後など、まだ先、何十年も後でいい。


 臆病風に吹かれたと笑われようが、邪魔ばかりかヘマばかりすると怒られようが、従者の少年は王女に、命を賭けた戦いに赴く王様の後をこれ以上追って欲しくはなかった。

 されど、城で共に育ったからこそ、この少年もよくわかっているように王女の決意は変わらなかった。こうと決めたらやり通す王様以上に意志の強い王女は曲がりくねった坑道の先をまっすぐに見て、虫明かりの淡い朱色へ顔を染めながら語った。


「父上は、私が生きていれば国は滅ばぬと言って城へ残したけれど、それは間違いよ。父上が戦いに敗れれば、赤玉の王の報復を受けて、都は今度こそ滅ぶ。私が皆とどこへ逃げようが結果は同じ。あの悪魔は次から次へと、その欲深い手を周囲の国々へ伸ばし続けることでしょう。だから私は、父上を助けて戦うの」


 王女の声音は凛として、従者にも根拠のない希望をくれた。最後まで共にして、どうにか王女の役に立ちたいと、少年にもう一度、闇に向き合う覚悟をくれる。


 けれどもやはり、王女ひとりと微力な御供で何ができるというのだろう。

 王国の地下に広がっていた宝石の鉱脈を狙う賊を幾度となくしりぞけてきた、あの勇猛果敢な王様が命を賭すとおっしゃったくらいに、戦いは壮絶なものとなるはずだ。それならば、この戦いの結末はもはや、絶望の闇へと続くこの坑道のように先が決まっているのではないか。

 従者が儚い希望と濃厚な敗北の予感に無言でいると、王女は明かりの先に広がる闇へと、諦め悪く言い放った。


「最後の戦いで終わるのは、我が国と父上や皆、そして私やおまえじゃない。あの異形の者たちの最期。やつらの終わりとするのよ。そうしなければ!」


 ひとり気を吐いた王女は、次には息をのんだ。小さく淡い虫明かりの照らす先、坑道の分かれ道の角へ、何者かの影を見とめたからだ。

 王女の後ろへいた従者も人影に気づいた。引き返してくるのか、どこからか降りてきたか、地の深くから上がってきたのか。曲がり角の先は足を止めた二人にもわからず、淡い光の中の影では人か異形かも区別ができない。


 影が主へ寄り添う。己の影を背に薄明かりの中に立ったその人は、

「下がれ!」と鋭く、王女へ命じた。



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