第100話 街の鮮魚店

 この商都のメイン通りを散策していたら、20人ほどの人だかりができている店があった。当然気になったので近づいていくと、その店先で見知った顔を見つける。


「ダンリルさん」

「ん? おや、ルーク殿下」


「シーッ!」

「あはは……お忍びでしたか、それは申し訳ありませんでした」


 公爵家専属料理長のダンリルさんだ。

 まあ騎士6人も引き連れ、これだけ目立っておいてお忍びとか言われても「あはは……」だよね。それでも『御貴族様』って思われるだけなのと、『王子』ってバレるのでは全然違うんだからね。特に警護している者から「こいつ何さらっとばらしてんだ!」って怒られるよ。王家の暗殺とか実際あるんだから怖いんだよ。



「この人だかりは何事ですか?」

「この店は海産物を扱った鮮魚店なのですが、営業は不定期で週に1・2回ほどなのです。天候次第では2週間ほど店が開かないこともありまして、販売前に主だった買い手先に販売告知メールが入るようになっております。そういう理由もあって、こうやって開店前に買い付け客が集中して人だかりができるのですよ。まあ公爵家の場合はここの店員が直接届けるか、うちの見習いが買い付けに来るのですが、今日は魚好きのルーク様がいらっしゃるので私が直接品定めに来た次第です」


 嬉しいことを言ってくれたが、誤解があるようなので早めに正しておこう……。


「あー、どちらかと言うと俺は魚より肉が好きです。時々無性に魚が食べたくなる時があるけど、基本肉の方が好きですね」


「そうなのですか? 了解いたしました」


 申し訳ないが、魚ばかり出されるようになっても嫌なので早めに自分の好みを伝えておく。


「この時期だと、鮮魚はちょっとヤバくないですか? 海のある場所からこの商都まで結構な距離がありますよね?」


 もう夏と言っていいくらいに気温は上がってきている。馬車だと海塩都市まで一週間ほどの距離だと聞いている。


 ちなみに『海洋都市』とは言わずに『海塩都市』と言うらしい。外洋には超巨大魔獣がわんさか居て、どの沿岸国も海を使った貿易は行えないそうだ。塩で栄えている都市なので海塩都市とか海都と言われているのだとか。


「この鮮魚店ではドレイク便を利用しているのです。だから午前に海都を出たドレイク便がこの時間に届き、夕飯に丁度良いのですよ」


「へ~、それならこの時期でも新鮮なものが得られそうですね」

「ええ、でも生ものはやはり少ないですけどね」


 ダンリルさんが言うには、ドレイクを運搬に使っているのでお値段は高めで、魚も生のものより現地で凍らせた冷凍ものが多いのだそうだ。


『♪ マスター、どうやら水揚げ後すぐに魔術師の氷魔法で瞬間冷凍されているようで、ほとんどの品が冷凍後24時間以上経過しています。アニサキスの心配も要りませんね。鮮度はかなり良いようです』


『こっちの世界でも寄生虫いるんだ……』

『♪ ですね。でも、この国では生魚を食べる文化はあまり有りませんし、教会の診療所で簡単に治療できますので、前世ほど寄生虫などは警戒されてはいません』




「おや、そろそろ販売が始まるようですね」


 店主が店の厚い木製の扉を横にスライドさせると、間口が6mほど解放され、氷水の中に並べられた魚たちが目に飛び込んできた。


「あ、ヒラメがある! ん? なぜ皆こっちを見てるんだ?」


 外で待機していた者たちが一斉に店舗内に雪崩れ込むかと思っていたのだが、なぜか皆こっちを見ている。


「あはは、申し訳ありません。どうやらわたくしどもが不用意に殿下のお名前を口にしたために、皆どうしたものかと遠慮して様子を見ているものかと……」


「「「やっぱりそうだ!」」」


 これまでひそかに聞き耳を立てていた者たちが、『殿下』と聞いた瞬間に片膝をついて頭を下げ、礼の姿勢を取った。見様見真似で慌てて同じ行為をしているだけの者も居るが、普通この行為は騎士が行うもので一般人はそういう教育がされていないのであまり行わない。


「ダンリルさん……」

「重ね重ね申し訳ありません!」


 ほら~! 騎士の人たち、あなたのことめっちゃ睨んでますよ。


『♪ あ、これは呼び出し案件のようですね。家令のオルクか直接ガイルに呼び出されて注意されるでしょう』


『この件は俺悪くないし、知らん顔してよ』


『♪ ちなみに、騎士の礼を即時行った者たちは、貴族家から独立した者たちですね』


 なるほど。嫡男以外は家を継げないしね。騎士ではなく商人や冒険者に成った者も沢山居るだろう。


「皆さん、頭を上げてください。俺に対してそういう配慮は要りません。遠慮しないで買い物をしてください」


 と言ったのだが、立ってはくれたものの誰も店の中に入ろうとしない。


「殿下、ここは先に見させていただいた方が宜しいかと……かの者たちもその方が気兼ねなく後から買い物できるでしょう」


 皆が一斉にコクコクと頷く……申し訳ないがそうさせてもらうとするか。


「あなたのせいでしょう。なにが気兼ねなくですか。はぁ~、分かった。皆さんありがとう、では先に見させてもらうね」




「「「ララお嬢様可愛いな~」」」

「「ミーファ様も御美しい!」」


 皆の視線を追ってそっちを見たら、ララが大きなエビを指でツンツンしていた。


 ボタンエビ? 赤エビ? めっちゃでかい旨そうなエビだ! ララがつついているものの他にも2種類違う種のエビが並んでいる。黒っぽいのはブラックタイガーかな?


「ララ、それが気になるのか?」

「はい、ルークお兄様。これ、エビというものですよね?」


「そうだね。3種類あるね……どれも美味しそうだ」

「美味しいのですか?」


「うん、とっても美味しいよ」


「ララお嬢様、以前スープに入れてお出しした時は美味しいと言ってくれていましたよ。何度かお出しさせていただいております」

「そうなの? どのスープに入ってたの?」


「う~~ん、口頭での説明は難しいですね……トマトのスープの時が一番喜ばれたと給仕から聞いております」



 剝き身状態だとどのスープか分からないかな? 


「店主、このエビの在庫はどれくらいありますか?」

「申し訳ありません。どれもそこに並べられているものだけしか在りません」


 エビ類だけで言えば、各種20匹ほどしか置いてない。そして、1匹1500~2000ジェニーと結構な値段だ。庶民が普段食べる食事に買えるような値段ではないな。


 公爵家の人数を考えると全然足りない。


『♪ いつもは主人一家の分しか買っていないようですね』

『ガイルさん一家の分だけなら20匹もあれば十分だね。でも俺、自分たちだけ食べるのはなんか気が引けるんだよね』


『♪ 気になさる必要はないのですが、元一般人のマスターの性格ではそういうのは仕方がないのでしょうね。なら、ご自分で仕入れに行かれてはどうですか? ララをディアナに乗せてあげるって約束もありますし、明日向かわれてはどうでしょう?』


 そういえばララとそんな約束をしていたな。俺が公爵家に居るのは後2日ほどしかない。他国の使者が面会依頼してきているし、王都に帰れば暫く公爵領には来られないだろう。




 いろいろ見ていたのだが、ララが今度はヒラメをツンツンしている。


「ララ、買わない品をそうやって指でツンツンするのは良くないよ。ララだって良く知らない人がべたべたと何度も触れたものを口にしたくはないでしょ」


「はい、ルークお兄様。ごめんなさい」

「うん、次からは気を付けようね。『お魚ツンツン娘』とか変なあだ名付けられたらララも嫌だろ?」


「……凄く嫌です」




 一通り見て回った後に、ダンリルさんが俺やミーファに聞いてきた。


「ルーク様、ミーファ様、なにかお気に召したものはおありでしたか?」


「この魚とエビが食べたいかな? ララに作ったというエビのスープを飲んでみたい」


「わたくしはルーク様が気になったものが食べてみたいですわ」


 俺の食べたいものを食べたいとか……ミーファは完全に恋愛脳になっているみたいだ。まあ嬉しくはあるけどね。


「その魚はシタビラメですね。こっちのが普通のヒラメです」


 ダンリルさんは魚の目を見たり、エラを開いて中を見たりして鮮度の確認をしている。流石はプロの料理人だ。


「鮮度は申し分ないですね。では今日の夕飯にお出ししましょう」

「よろしくお願いします。あ、出来ればバターソテーが良いかな。もっと状態が良ければ、そっちのヒラメも買うんだけどね」


「そのヒラメも鮮度は大変宜しいかと思われますが?」


 店主もやや不服そうな表情をしている。


 日本人の食に対するこだわりは狂気じみているんだよね。この魚も水揚げ後、すぐに魔法で瞬間冷凍されているので鮮度は良い。だが、日本人は生きているうちにもうひと手間かけるのだ。


「え~とね、魚も肉と一緒ですぐに『血抜き』をしないとどうしても血の臭みが残るんだよ。例えば冒険者はオークを狩ったらすぐに木に吊るして首を落とし、足や手首の大きな血管に切れ込みを入れて血抜きするよね。鮮度を保つために内臓を抜いたり、肉焼けしないように血抜きの後は川や湖に浸けたり、魔法で冷やして出来るだけ良い状態に仕上げるよね。それをした肉としていない肉では、ギルドや肉屋での買取時に大きく差が付くんだよ」


「そうでございますな。では、この魚も血抜きをした方が良いということでございますか?」


「うん。10段階評価で評価するなら、この魚は☆8つってところかな。生きているうちに血抜きをして、エラや内臓を抜く処理をしていたら☆9個、その処理がなされて冷凍されていない、水揚げ後数時間の生の状態のものなら満点評価かな。細かいことを言えば、さらに身幅や脂ののりとかいった基本的な見分けもそこに加わるけどね」


「流石ですルーク殿下!」


 ダンリルさんが褒めちぎってくれているが、その横で店主はちょっと悔しそうだ。


 店先から「大したもんだ」とか「大国の王子は口が肥えてる」とか聞こえてくるが、中には「うわ~面倒そうな人」とか「殿下の料理人は苦労しそう」とか小声で聞こえてきた。


 仰る通りですね!


 でも刺身で食べるなら、それらはとっても大事な下処理なんだよ。



 乾燥昆布や干したホタテっぽい貝柱やアワビっぽいものがあったので、それは個人的に味見用として少し購入した。



 さて帰ろうかとしていたところに、商人ぽい奴がララに声を掛けてきた。

 当然騎士に囲まれ数メートル近寄れただけで阻止される。


「ご無沙汰しておりますララお嬢様。商人のサッカリンでございます。宜しければ、わたくしめをそちらの殿下様たちに紹介していただけませんでしょうか」


 媚びへつらったような薄ら笑いをしながら、俺たちの方を見た。


 ララはさっと俺の後ろに隠れて、そーっと顔半分だけ出して覗くように相手のことを見ている。警戒モード全開の小動物のようでめっちゃ可愛い!



『♪ 御用商人ではないですが、公爵家に出入りを許されている商人の一人ですね。ここに集まっている者たちの素性は一応確認済みで、王家や公爵家に害意のある者はいません』


 ナビーちゃん優秀過ぎる!


『危険がないならまあいいか……でも、あの手の人相は好きになれないんだよね』


『♪ 悪人ではないのですが、商人魂が強いというか……ララが警戒するほどにお金に対して貪欲ではありますね』


『俺も前世では商社マンだったので、まあそういう奴は嫌いではない。「チャンスは自ら生み出さなきゃ、向こうからはやってこない。それをしない奴に大きな功績は望めない」と、よくうちの叔父さんが言っていた。でも、空気読めない強引な奴は好きではない』


「悪いが予定が詰まっていて忙しい。次の機会があるか分からないが、またにしてくれ」


「左様ですか、残念です。またの機会をお待ちしましょう」


 そう言って会釈をしてすすっと後ろに下がっていった。以外にすんなりと引き下がって拍子抜けしたが、ガイルさんが出入りを許している商人なので優秀なのかもしれない。ララには警戒されているようだけどね。


「あの人嫌い……」

「わたくしもちょっと……」


 警戒どころか嫌われてた!

 相手に配慮して聞こえないほどの小さな声で二人は呟いたが、俺は嫌う理由が知りたい。


「どうして? ミーファもなの?」


 周囲の者には聞かれないように俺も小声で聞いてみる。


「「色が――」」


 どうやら『欲深い人』に多い色を強く発しているらしい。少しなら良いのだが、強い色の者とは最初から関わり合いになりたくないのだそうだ。



「ルーク殿下! 一言だけお礼を!」


 また来たよ……さっきの後でよく声を掛けてこられるものだ。


「……」


 あからさまに嫌そうな顔をしたら、泣きそうになった。


「で、お礼とは何のことだ?」


 ちょっと口調が荒っぽくなってしまったが、マジで空気読めない奴は嫌いなんだよね。


「わたくしはアーキンス子爵家の四男のグレイと申します」

「アーキンス子爵家? 知らないな」


「ルーク様、エーデル夫人のご子息かと――」


 イリスがそっと耳打ちしてくれる。


「あ~、サーシャ夫人のお茶友達の……今晩か明日の朝には完治予定だね」

「そうでございます。もうすぐ家に帰れると母から連絡があり、わたくしめがカスタル侯爵領より急いで迎えにまいった次第です。直接お礼を申し上げたくて、公爵家に何度か面会を申請しておりましたがお会いすることは叶わず、こうやってお目にかかれてどうしても我慢できずお声を掛けさせていただきました。母をお救い下さり本当にありがとうございました!」


「カスタル侯爵領? すまないな、俺はこの国に来たばかりなので、貴族の家名や地名がさっぱり分からない」


「ルーク様……カスタル侯爵領は例の領地ですよ」


 呆れたようにイリスに囁かれた。


 だって誰も地名のこと言ってないじゃん!


「カスタル侯爵領はここから南に三日の距離ですね。急げば二日で行けますが、そう急ぎでない限り馬の負担を考えゆっくり向かいます。わたくしはそこで雑貨商を営んでおります」


 雑貨商?


『ナビー! こいつどうよ? 空気読めない系?』

『♪ いえ、どうしてもお礼が言いたかったようですね。ちゃんと空気は読める人です。「どうよ?」というのは……あ~なるほど、人柄も問題なさそうですし、彼は適任かと思われます』


『例の侯爵領の貴族家らしいけど、その辺も問題ない?』

『♪ はい。アーキンス家はグレーではありますが、黒ではありません。その点も踏まえてガイルはマスターの治療候補にエーデルを組み入れたようです』


『サーシャさんのお茶友だからってだけで選ばれたんじゃないのか』


『♪ アーキンス家が侯爵領の不正に直接関わっていたのなら、サーシャの友人であろうがガイルは見捨てていたでしょうね。まあたまたまエーデルが公爵領にある神殿の治療院に入院してたってのもあるようです。流石に重篤患者を三日かけての馬車移動は無理でしょうし、そういう良い運勢も持っていたのでしょう』


「グレイと言ったかな? この後予定があるので俺はもう帰るけど、少し話がしたいのでエーデル夫人の夕刻の治療時間に来てもらえるかな?」


「あの、母に何か⁉」

「あ、病気の方はもう心配ないよ。現在のカスタル領の情勢とかを商人視点で知りたいんだ」


 さっきの貪欲商人が「ではわたくしめも!」と言ってきたがきっぱりと断った。

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