雌鹿の角

北條カズマレ

【人外娘短編集】第七作

 狩人エイリクは弓を携えていつものように森へ分け入った。


 歩きながら、鹿型モンスターを獲るための矢尻に塗った毒を確認する。


「今日も一頭獲れるだろう」


 彼は腕のいい狩人である。まだ若いが、生涯で討ち取った獲物やモンスターの数は膨大だ。


 大きな熊型のモンスターを父から教わった秘伝の毒矢で倒したこともある。


「まあ、あんなものをもう一度獲っても、怖がられるだけか……」


 彼は人付き合いが苦手である。獲物を金に変えるのもうまくなく、生活は苦しい。


 嫁のあてもなかった。


「まあ、父もそうだったようだ。母親にはずいぶん早くに逃げられたと言っていたし……」


 死んだ父を思う。彼の遺した言いつけを。


(森の奥に入るな、森の主に手を出すな)


「何が森の主だ。そんな奴がいるのか? ガキの頃からこの森には分け入っているが、そんなもの、見たことも……」


 エイリクはいつもと同じように鹿モンスターを求めたが、今日は見つからない。日もだんだん高くなってきた。朝食を摂りながら、彼は考えた。


(このまま帰るのも惨めだな。そうだ、一つ、森の主というものを探してみるか。まあ、眉唾ではあるが……)


 食べ終わって立ち上がると、ズンズンと普段入らない奥へと入っていく。


 どれくらい奥まで来ただろう。


 下生えがなく見通しはあるものの、鬱蒼とした木々は天を覆い、暗い空間を作り出している。


 正直気味が悪い。


 しかし彼は憑かれたように奥へ進むのをやめなかった。


 その執念が呼び寄せたのか、ついに見つけたのは一匹の巨大な鹿モンスターだった。木陰から様子を伺う。


(あ、あれは……!)


 大きさを別にしても、一目でそれが普通の鹿モンスターでないことはわかった。


 まず枯れ木のように枝を伸ばすツノが異様に大きいこと。


 そしてフサフサとした毛が冬毛のようにずいぶん長いこと。


 太い脚が八本あって、強固に大地を踏み締めていること。


 最後に、何よりも、そのモンスター頭部には人間の少女の上半身が据えられていることだった。


 人間部分の大きさは、彼と変わりがないようだった。


(あれが森の主だ!)


 彼はそう確信すると、矢尻の溝に特製の毒をいつもより多めに塗り付けて弓につがえ、大きな体を狙った。


 ギリギリと鳴る弓のしなりが聞こえてしまうんじゃないかと冷や汗が垂れる。森の主はこちらには気付いていない。


 フッ、と、矢が放たれた。それは正確に目標に吸い込まれたが、狙った人間の形をした部分ではなく、その下の毛皮に当たった。


(致命傷じゃない!)


 一瞬肝が冷えるエイリクだったが、あれだけ強くした毒である。あの巨体でも倒せるだろうと考える。


(どうだ!?)


 毒矢の刺さった森の主は、ピョーっと鳴き声を上げると、森のそのまた奥へ、ドコドコと蹄を鳴らして駆けていく。


 無論、大急ぎで追いかけるエイリク。


「やった、やったぜ! ホノオガエルの毒をあれだけ使ったんだ! 逃げられるわけがねえ!」


 エイリクの予想通り、森の主が走ることができたのは三十メートル、たったそれだけだった。


 巨体は倒れ伏した。あたりの木々が揺れて葉が落ちてくるほど、大きな衝撃があった。


「お、俺は森の主を討ち取ったぞ!」


 すかさず森の主の頭部に近づく……つまり、人間の体の部分に。


 少女の顔をしていたそれは背中からツノが生えていて、エイリクはその可憐さにギョッとした。


 こんな生き物を俺は殺してしまったのか……。


 罪悪感すら感じた。


「もし……」


「なっ!?」


 人間の顔があるのだからこれは予想すべきだったかもしれない。人間の言葉だった。


「もし、あなた、助けて下さい」


 獲物にそんなことを言われるのは初めてだった。


 エイリクは言葉を返すことができない。


 森の主……大きな体の鹿角の人外の娘は、息も絶え絶えに、


「助けてくれれば、お前と夫婦になってやります」


 と言った。


 考える時間はなかった。毒が効いてしまうからである。


 エイリクはつい、万一のために携帯している解毒剤、コオリガエルの肝を飲ませた。


 巨体は見る見るうちに縮み、森の主はただの少女の体になった。


 ※※※※※


「ふふふ、エイリクさん、洗濯が終わりましたよ」


「ああ、いつもすまんな、デイ」


 森の主、デインナーク。今は村の狩人、エイリクの妻。


 彼が嫁を迎えたという知らせは、村の人間を驚かせた。


 森の中で行き倒れているところを救った、と説明した。


 村はそれなりに遠巻きに見つめる感じではあるとはいえ、結婚を受け入れた。


 そして男の子と女の子、双子の赤ん坊に恵まれ、エイリクとデイは幸せを感じつつ穏やかに暮らしていた。


 しかし、赤ん坊が一歳になる頃であった。


 宗教都市から審問官がやってきたのは。


「人外は魔女となって女に化け、この村にも潜んでいるかもしれない! 女たちを出せ! 検分する!」


 真っ先に、疑われたのはエイリクの家の妻だった。


 一晩、猶予を与えると言われ、その夜、二人は眠れないでいた。


「どうしましょう、私、神の奇跡を使うという審問官から自分の正体を隠し通せる自信がありませんわ。いえ、必ずバレるでしょう。そうしたら……」


「何をされるかわからんな。赤ん坊も……」


「逃げましょう……?」


「ああ」


 エイリクはベッドで眠る双子を見る。


 男の子の方には一切変なところはないが、女の赤ん坊の背中には鹿角が生え始めていた。


 ※※※※※


 月明かりも見えない暗い森の中を、デイの目だけを頼りに走る。大型の八本脚の鹿の体になったデイの背中にはエイリク、そして彼の背面には女児を、胸元に男児を抱いている。そして弓も肩に……審問官たちの追手に備えている。


 デイは闇夜に目を凝らし、人間では見えない暗がりまで見通す。しかし、追手はそれ以上だった。


 審問官たちが契約したアサシンは正確に追ってきた。


 闇夜に溶け込む黒い装束を、エイリクの弓は捉えられない。デイが角を傾けて突進し、一人、また一人と倒す。


 ついには全滅させられたが、しかし負った傷は決して浅くなかった。


「デイ! おいデイ!」


「大丈夫です……」


 デイは強がりを言った。


「どこか……私たちを誰も知らない場所へいきましょう。この広大な森の反対側とか……」


 そして、明け方、森の反対側の村に彼らは到着する。


「デイ、傷は……」


「何も言わないで……」


 エイリクはデイの背中から、デイの人間の顔に手を回し、撫でてやった。すこし、体温が低くなっているように感じた。


「デイ……」


「ねえ、あなた」


「なんだい?」


「私はやはり森の中で暮らすわ。娘を連れて」


「……そうか。それが安全かもしれんな」


 エイリクは男の子を抱えてデイの背中から降りる。デイは首から生えた人間の腕で女の子を抱いた。


「いつでもまた会えるんだろう?」


「……いいえ、もう会わないようにしましょう。あなたはあの新しい村で暮らすのでしょう? 怪しまれるべきじゃないわ……私たちは所詮、住む世界が違うのよ。私のことも誰にも言わないで。その子にも」


「そんな……なあ、デイ。俺、あの新しい村から離れないよ。絶対、どこにも行かない。この子にもちゃんと伝える。森の奥には近づくな、森の主には手を出すなってな」


 デイは微笑みを浮かべた。そして二人は別れた。


 デイは傷が元で、数年も持たずに死んだ。女の子は立派に成長し、二十年を生きて母親のデイと同じくらいの、立派な森の主に成長した。


 ※※※※※


 狩人レイフは弓を携えていつものように森へ分け入った。


 歩きながら、鹿型モンスターを獲るための矢尻に塗った毒を確認する。


「今日も一頭獲れるだろう」


 彼は腕のいい狩人である。まだ若いが、生涯で討ち取った獲物やモンスターの数は膨大だ。


 熊型のモンスターを父から教わった秘伝の毒矢で倒したこともある。父……。死んだ父を思う。彼の遺した言いつけを。


(森の奥に入るな、森の主に手を出すな)


「何が森の主だ。そんな奴がいるのか? ガキの頃からこの森には分け入っているが、そんなもの、見たことも……」


 そしてレイフは気まぐれを起こし、森の奥に入り、森の主と出会うのだ。


 そして毒矢を射って、森の主を撃ち、こう、選択を迫られる……。


「助けてくれれば、お前と夫婦になってやります」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雌鹿の角 北條カズマレ @Tangsten_animal

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ