第26話:波留と二人

 大蛇の妖魔を幽世に帰してからひと月が経過していた。


 もちろん対策については抜かりない。二郎特製の強力なお守りを銀製のネックレスに仕立てあげ、由沙にも水瀬にも常に身につけおくよう言い聞かせてある。よほどのことがないかぎり、障られたり、取り憑かれたりすることはなくなるだろう。


 二郎は玄関ドアを大きくあけ放ち、春の陽気に暖められた外気を事務所内に招き入れた。都心だけあって新鮮とはとても言えない空気だが、締め切られた室内にいたせいもあって肌をくすぐる風が心地よい。


 由沙と水瀬は障りから回復し、精力的に動き回っている。今日二人はロケにでかけていて、事務所には二郎と波留の二人だけだった。


「二郎さん。来週の件ですが、和泉マネージャーから言伝ことづてがあります」

「何て言ってた?」

「結界の護符を十二式、最高級の素材で準備しておいてくださいとのことです」

「ああ、例の代議士の件か」


 二郎のテレビ出演はめっきり減って、最近は金持ちの上客相手の商売がメインになりつつあった。古くからの名家が多いが、古参の代議士や、一部上場企業の役員だとか財閥の幹部だとかからの予約が入っている。


 魔よけのお札と違って、結界の護符は高価だ。見栄を張ってかどうか知らないが、金持ちはおしなべて結界の護符を欲しがる。波留や由沙のセールストークのたまものもである。


 どちらにしろ、繁盛するのはいいことだろう。おかげで事務所の金欠は是正され、潤沢とまではいかないが、資金に余裕もでてきたのだから。


「そうなりますね。最上級の上客になるでしょうから、手を抜かないでくださいね」

「分かってるって波留さん」


 来週の仕事は、月曜に政権与党幹部の実家に出向くことになっていた。築二百年以上の豪勢な屋敷で、離れ合わせて三棟に結界の護符を備え付け、悪霊や地縛霊が憑いていたら払うことになっている。


 もちろん仕事はそれだけでなく、警察からの依頼も入っていた。ほとんどが迷宮入りした殺人事件の犯人捜索依頼だが、犯人逮捕に繋がった割合は半々といったところだ。


 犯人が外国人で国外逃亡していたり、すでに死亡していたこともある。時間が経ちすぎて痕跡が全く残っておらず、成仏しているのか、悪霊にでも食われたのか、被害者の霊も降ろせないということが何件かあった。


 それでも警察としてはありがたいようで、依頼が無くなることはないようだ。犯人逮捕に繋がった場合と繋がらなかった場合で報酬が変わってくることから、波留曰く、警察の仕事は割に合わないらしい。


「来週末は警察の仕事です」


 顔はクールに決めている波留だったが、その声からは、請け負いたくないという感情がありありとにじみでていた。


「断れなかったのか?」

「警視長からの依頼ですからね」

「今までは警視からだったよな?」

「そうです」


 今までの依頼主には何度か会ったことがある。人間的に問題があるわけでもなく、犯人逮捕に繋がろうが繋がるまいが、本心だと実感できる感謝の言葉を貰っていた。


「なんでいきなり変わったんだ?」

「社会的な要求が強まったというか、民意の突き上げというか」


 歯切れ悪くそう言った波留。彼にしては珍しいもの言いだ。


「なんか言いにくそうだな」

「和泉マネージャーから話しは聞いていましたからね」


 その言葉で、二郎には波留がなにを言いたいのか分かった。嫌な記憶がよみがえってくる。


「あれですよあれ。喜多川みゆ殺人事件」


 波留の口からは、予想どおりの言葉がでてきた。またアイツと会わねばならないのか。それとも担当者が変わるのか。それは分からない。しかし、由沙のことだから、たとえアイツがいても懲りずに交渉に乗りだすだろう。


 今までに解決した事件も警察と被害者遺族の同意を取り、ドキュメンタリー番組として放映されたことが複数回あった。視聴率もよく、由沙の努力が報われて嬉しさもあったが、アイツと彼女を再び会わせることになるのかと思うと、二郎には思うところがあるのだ。


「波留さん。由沙がアイツと顔を合わせる前に一度会っておきたいんだが」

「高時警部とですか?」

「いや、警視長のほうだ」

「分かりました。代議士の案件には和泉マネージャーは同行しませんからね。終わった帰りにでも顔合わせをセッティングしておきましょう」


 さすがに波留は理解が早いと二郎は思った。ロクな説明もしていないのに、文句の一つも言わずに最良の答えを返してくれる。


「それはそうと二郎さん」

「なんだ?」

「一人マネージャーを雇おうと思うのですが、どう思われますか? 和泉マネージャー一人で二郎さんと綾波さん二人をマネジメントするのももう限界かと」


 それは二郎も考えていたことだった。ここ最近、由沙が眠そうに仕事しているところを何度も目撃している。彼女は自分の境遇に不満を訴えることがない。


 芸能事務所に労働基準法など有ってないようなものだ。その感覚が染みついているのだろう。加えて彼女のがんばりすぎる性格もある。ちゃんと休むように常々指摘しているが、今のままでは体を壊すのが目に見えている。


「たしかにな。いいと思うぞ。波留さんのことだからもうアテはついてんだろ?」

「もちろんです。再来週あたりに面接お願いしますね」


 波留の眼鏡に適ったのだから面接するまでもないと思うが、相性もある。面倒だが逃げるわけにはいかないだろう。


「分かった」

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