第25話:お妙

 警備員は気を失っているが、症状はそれほどひどくないようだ。二郎は霊力を流しこむことで妖気を祓い、車まで運んで助手席に放りこんだ。この寒さだ。さすがに放置はできない。


「波留さん、悪いがこの人を頼む。まだ終わってないんだ。また行ってくる」

「余計なお世話かもしれませんが。お気をつけて」


 二郎はパウダールームに駆け戻り、部屋の隅々にまで視線を巡らせる。もちろんただ視ているだけではない。あの大蛇が依り代としていたものを霊的視力で探しているのだ。


「ねぇな。どういうことだ?」


 必ずあるはずだ。それが思いこみだったのだろうか、二郎はもう一度部屋の中を見回して一つの結論に至る。


「ここは巣か?」


 ドアさえ閉まっていれば、それほど広くない密閉された室内。ねぐらに使えないことはないだろう。ならば、依り代はまだ無いか別の場所だ。あの大蛇が最近ここに来たことは明白だったじゃないか。


 それでも二郎は依り代が別の場所にある可能性を捨てきれず、トイレの全個室を見て回った。依り代があればあの大蛇が戻ってくるかもしれないし、ほかの妖魔や悪霊が新たに取り憑くだろう。それを避けたかったからだ。


 しかしトイレで依り代は見つからなかった。残る可能性は外だが、人通りが多い正面は考えづらい。だから二郎は裏に回り込んだ。


「なるほど、あんな化け物が出てくるわけだ」


 二郎が見つけたもの。それは大きな岩だった。二メートルを超えるいびつな卵型のそれが、トイレ裏のきつく傾斜した法面のりめんに、抱きとめられるように倒れ掛かっている。奥に見える山の斜面を転がり落ちてきたのだろうと容易に推測できた。


「コイツを封じておけば」


 その岩は幽世に通じる”門”としての霊的力を十分に秘めていた。あの大蛇は、この岩を通って現世に迷いでてきてしまったのだろう。それは二郎が幽世から戻ってきたときの状況を想起させるものだった。


 それはさておき、人為的な、あるいは人間由来の悪霊が絡んだ陰謀ではなかった。それが分かっただけで十分だ。


「だが……」


 今後も霊的な企画に関わるだろう水瀬や由沙のことを思うと、なにか対策を講じておくべきだろう。そう思いながらも、二郎は斜面を滑るように飛び降り、岩に籠る霊的力を霊力の刃で打ち祓うのだった。



 翌朝、由沙と水瀬は事務所の一階奥にある休憩部屋に寝かされていた。波留と警備員の治療を施したあと、朝まで車で休んで波留の運転で事務所に帰ってきた。幸いなことに、波留と警備員は障られた直後に二郎の治療を受けている。障られていた期間がごく短時間だったせいもあって、一晩の睡眠でほぼ完治した様子だった。けれども由沙と水瀬は違う。


「どうだ、一晩寝て少しは楽になったか」

「うー、ちょっとだけダルい」


 水瀬が言っていることは間違いないだろう。彼女はいつもの棒読み台詞で、二郎を誘うだけの余裕があるようだ。


 問題は由沙の方だった。彼女は二度の障りを受けた。それを物語るかのように、布団の上で苦しそうにうなされている。想定を超える強烈な妖気だったが、それは言い訳にしかならない。こうなってしまう可能性を見抜けなかった不甲斐なさに、二郎は忸怩じくじたる思いで苦しむ彼女を見つめている。


「由沙姉苦しそう」


 由沙の隣に敷かれた布団の上で上体を起こし、水瀬も彼女を心配そうな顔で見ている。


「俺のせいで同じ奴にもう一度障られたんだ」


 厳しい顔つきだった。いつもの仏頂面ではない。己の不甲斐なさに対する怒り。由沙に対する申し訳なさ。それらがあいまって、やりようがない感情が顔にでている。


「二郎なら治せるんでしょ?」

「治すさ。だが、なにを期待してるのか知らんが、お前にかまってやる暇はない」

「二郎のイケずー。でも、今日は由沙姉に譲るわ」


 なにを? とは聞く気にはなれなかった。水瀬もそんなことは期待していないだろう。今やるべきことは、一刻も早く苦しむ由沙を楽にしてやることだ。


 だからといって市販薬を飲ませるわけではない。そもそも霊障に効く薬など売っているはずがないのだ。しかし薬となる食べ物ならあった。ただし、現世で手に入るものではない。二郎は部屋の片隅に置いてある小さな木の祠を見た。


「おたえ頼む」


 しめ縄で飾られた神棚に似たその祠から、白いもやが湧きだし、小柄な人の形をとる。しだいに輪郭が明瞭になり、幼女であることが識別できるようになった。藤色の小袖をまとった可愛いおかっぱ頭だ。


「おー、おー、ぱっつん幼女。幽霊? これで私も霊能者?」


 霊体など見えないはずの水瀬が、祠からでてきた幼女の霊に反応している。というか、見えているようだ。これには二郎も驚き、すこし目を大きくしていた。そういえばと、思いだす。


「今この部屋は簡易的な神域になってるからな。そのせいでお前にも見えるのかもしれん。一時的なもんだ」


 それだけでは視えないはずだが、強力な妖気に障られ、二郎の霊力を流しこまれたことで霊的能力に目覚めつつあるのかもしれない。彼はそう思ったが、口にすることはなかった。


「ぶー、二郎のイケずぅ。で、このはだぁれ? なにもの? ねぇ二郎、可愛いよ~、この娘かわいぃい」

『こんお姉ちゃん、えすかぁ』


 幼女の霊は二郎の腰元にすがりつき、ブルブル震えながら怖がっている。水瀬はそんな幼女に顔を近づけ、ニマニマと笑みを浮かべて目を輝かせた。


「水瀬、顔を離してやれ。怖がってんじゃねぇか。こいつはお妙といってな、腐れ縁だ」


 二郎はお妙の頭を優しく撫で、彼女は瞳をうるうるさせて彼を見上げている。


『こんおばちゃんば治せばいーと?』

「そうだ。それとな、お妙。次からはお姉ちゃんって言うんだぞ」

『うん』


 頷いたお妙は、祠から白い杏子のような果物を取りだした。その様子を見ていた水瀬が興味深そうに食いつく。もちろん、食いつくといっても噛りついたわけではない。


「ねぇねぇ、なに? それはなぁに?」

『ダメェ、これはおばちゃんと』


 お妙は水瀬の視線からその果物を背中に隠し、後ずさりするように二郎の足元に戻った。彼を見上げ、果物を差しだす。


「こらこら、お姉ちゃんだろ」

『てへへ、そうだった』


 そう言いながらも、二郎は由沙を抱き起し、その果物を指でちぎって彼女の唇にあてがう。果汁が彼女の頬を伝ってしたたるが、押しあてられた果物をなんとか飲み込めたようだ。


 二郎は残りもすべて由沙に食べさせ、彼女を再びそっと寝かせる。その様子を興味深そうに見ていたお妙が、彼に向かって再び手を伸ばした。


『はい、ジロちゃんもこれ食べりぃ』


 二郎を見上げたまま嬉しそうにそう言ったお妙。水瀬はその様子を羨ましそうに見ている。彼にとって、水瀬のこんな一面を見るのは初めてのことだった。


 普段はクールにふるまっているか、演技しているかのどちらかだ。仔猫とか仔犬にも反応しなかったし、可愛いぬいぐるみとか服にも反応しなかった。けれども、今はそんなもの思いにふけっている場合ではないだろう。平気そうにしている水瀬も、状態がいいとはとても言えないのだから。


「俺はいいからソイツにも食わせてやれ。視えてるってことは触れんだろ」

『うー、ヤダ。こんお姉ちゃん、妙は好かんもん』


 お妙は果物を抱きかかえ、駄々をこねるように嫌がった。幽世で永い時を過ごしたにもかかわらず、精神は幼女のままなのだ。


「そう嫌ってやるな。お前に興味があるだけだ。普段はもっと、いやなんでもない」


 言いかけて、二郎は言葉を飲み込んだ。こんなときに言うべきことではない。お妙は恐る恐る水瀬に近づき、おっかなびっくり果物を差しだす。


『はい、お姉ちゃんもこれ食べリぃ』

「ありがとう。でも、可愛いー」


 水瀬はそれを受け取ったが、そんなものはどうでもいいといった感じでお妙に迫る。頭を撫でようと手を伸ばすが、その顔がお妙には怖かったようだ。


『やっぱえすか、こんお姉ちゃんえすかぁ』

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