第24話:女子トイレの妖魔
女子トイレの入り口から中を隠すように配置された部屋。パウダールームというらしいその部屋のドアノブに二郎は手をかけた。ひんやりした金属感とともに伝わってくる
二郎は恐れることも躊躇することもなくノブをひねり、慎重にドアを開けた。
流れでた圧倒的霊子の奔流。それはまさに妖気と呼ぶにふさわしかった。他を寄せ付けまいとする強い意志が伝わってくる。
「入り口から離れてろ!」
二郎には大丈夫でも、常人には強すぎる妖気だった。完全に想定外の強さだ。時間をかけすぎれば簡易的に由沙に施した結界では防ぎきれなくなる。
縄張りを侵す二郎という強大な存在を認識し、防衛本能が働いたのだろう。妖魔を認識できない常人に近寄られた程度では、これほどの妖気が襲い来ることはない。せいぜい軽い障りを受ける程度だ。水瀬や由沙が貰ったような。
とぐろを巻き、鎌首をもたげて威嚇の姿勢を取る大蛇。蛇だからだろう、うなり声をあげることはないが、大型のニシキヘビをはるかに超えるその姿は圧巻だった。
妖魔が人の言葉を理解することはない。本能に従って行動するのみだ。それでも二郎は声をかけた。
「ココはお前がいていいところじゃない。送ってやるから安心しろ」
妖魔とは動物や虫などの霊体が喰らい合い、強力になった存在だ。現世にもわずかに存在するが、取るにたらないのがほとんど。これほど強力な妖魔がいるとは思いもしなかった。
どんな理由でここを根城にしているのか。どこまでを縄張りと認識しているか定かではないが、この部屋に妖魔を留めているなにかがあるはずだ。
そう思って視線を巡らすも、それらしいものは見あたらなかった。体格から考えれば、確かにこの部屋は蛇が好みそうな穴倉ではある。しかし根拠としては弱すぎた。
そんなことよりも、今は急がねばならないことがあった。漏れでた妖気で二人が倒れ込む音が聞こえてきたからだ。これ以上妖気を振りまかれるのはマズい。もし戦えばさらに強大な妖気が辺りにまき散らされるだろう。
一撃で葬り去ることができればそんなことを心配する必要はないが、容易く勝てる相手ではなかった。というよりも、勝てるかどうか五分の相手だ。ここで戦うことはできない。取りえる選択肢は一つしかない。
「そう怖がるな。俺は敵じゃない。むしろ味方だ」
言葉は通じない。けれども、たとえ妖魔相手といえど感情が伝わることを、二郎は経験から学び取っていた。だから彼は負の感情をすべて取り去り、自分は害をなさない安全な存在だということを言葉に込めていた。
はたして通じるか、威嚇を解いてくれるか、みんなは無事か。そんな思いさえも心に蓋をして封じ込め、穏やかな笑顔で対峙する二郎。ひりつくような時間がじりじりと流れ、やがて妖魔は威嚇を止めてもたげていた鎌首をゆっくり降ろした。
「よーし、いい子だ」
妖魔がおとなしくなってくれたことに一安心した二郎だったが、急がねば由沙たちの負担が大きくなる。幸いなことに、まだ動ける一人が倒れた者を遠ざけている気配が、背中越しに伝わってきた。
まだ油断はできない。目を離した隙に身を隠されでもしたら、たまったものではなかった。威嚇は止めてくれたが、心を許してくれているわけではないのだ。だから急がねばならなかった。
二郎は全身の霊力を開放し、大きく横に手を広げた。そして柏手を打つ。甲高い音が冬の乾いた空気を震わせ、トイレ全体に木霊した。
「われは道を示すものなり。あるべき世界へ帰られよ。迷うことなかれ。惑うことなかれ」
呪に込められた霊力が天へと昇る道を作り、大蛇はいざなわれるように天へと昇って行く。
二郎は由沙のもとへと走った。トイレの入り口にはいない。警備員が倒れているだけだ。ふと車の方に目をやると、波留があけ放たれた後部ドアの前にへたり込んでいた。由沙の足が出ている。彼はわき目も振らずに駆け寄った。
「大丈夫か?」
「大丈夫とは言えませんね。それより和泉チーフが心配です」
青い顔をした波留が指摘したとおり、後部座席に横たえられた由沙が、苦しそうに胸を上下させていた。
「待ってろ、今楽にしてやる」
二郎は由沙の上体を抱き起こし、霊力を流し込んで侵食していた妖気を追いだしていく。体の隅々にまで自分の霊力を行きわたらせ、わずかな妖気も見逃すまいと慎重に、そして優しくいたわるように彼女を包み込んだ。
青白かった顔にすこしづつ赤みがさしていく。同時に、苦しそうだった呼吸が落ちついてきた。
「うっ」
「楽になったか?」
うつろだった由沙の瞳が、間近に迫った二郎の瞳に結ばれた。血色が戻った顔に赤みがさし、ついには真っ赤に染め上げられた。彼女の瞳は揺れだし、動揺を隠せないでいる。
「どうした? まだ苦しいのか? だが安心しろ。妖魔は祓った。お前の体に流れ込んだ妖気も追いだしたはずだ。すぐに楽になる」
「う、うん」
そう答えて由沙はうつむいてしまった。二郎は彼女を再び寝かせると、いまだに苦しそうな波留の体から妖気を締めだし、警備員のもとへと走ったのだった。
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