第23話:サービスエリア

 波留が運転する車は最寄りのインターから高速に入り、料金所で折り返した。


「見えてきました」


 季節的なものもあるだろうが、深夜の高速道路は交通量が少なかった。街灯に白く照らされた車線が滑らかにカーブを描いているその先に、サービスエリアが見えてきた。


「ここですね。入ります」


 深夜のサービスエリアは特徴的だった。駐車スペースには大型トラックがずらりと並び、暗さも相まって昼間とはまったく違う様相を呈している。


「二郎さんアレ、あのトイレです」


 由沙が指し示す方向にたしかにトイレはあった。深夜だというのに奇麗にライトアップされたアーチ状の入り口が、清潔感を演出している。その様子を一瞥した波留が口を開く。


「やはり無断で入るのはマズそうですね。監視カメラがあります」

「そっか! 二郎さん、人がいないからって男の人が女子トイレに入るのはやっぱりマズいです。特に二郎さんは有名人ですからね。もし監視カメラの映像が流出でもしたら大変なことになりますよ。お店の人か誰かに立ち会ってもらいましょうよ」


 まったく、よく気がつく男だ。波留をちらりと見やった二郎は、もういちどトイレに視線を戻し、その横の監視カメラを見て心の中で舌打ちをした。今の日本では公共の場に必ずといっていいほど監視カメラがある。その存在を忘れていたことに腹が立った。


 由沙が言ったとおり、芸能人の不祥事は格好の炎上ネタになる。


「管理会社があるはずです。私が交渉してみましょう」


 しかしさすがは波留だった。即座に解決策を見出みいだす洞察力。そして行動力。見知らぬ相手をいともたやすく納得させる話術と交渉力。そのどれもが図抜けている。何回か電話を掛けなおし、さほど待つことなく波留が振り向いた。


「なんとか連絡が付きました。警備員がいるらしいので声をかけてくださいとのことです。では行きましょうか、いや、お二方はこのままお待ちください」

「あ、わたしも行きます」

「いえ、ここは私だけの方がいいでしょう」


 欠点がないこともないが、これほど有能な男がよくぞ来てくれたと、車内に残った二郎は感心するばかりだった。同行を断られた由沙はすこしむくれているが、波留の判断は正しいだろう。


 ただでさえ、障りで体調が悪いはずだ。水瀬より症状が軽いとはいえ、体を冷やしてまで無理をすることはない。


「立ち会ってくれるそうです」


 しばらくして波留が戻ってきた。後ろには、若いが垢ぬけしない地味な男が見える。いかにも警備員らしい制服姿だ。


「さすがに波留さんは仕事が早いな。んじゃ行くか。由沙は車に残れ」

「わたしも行きます。すこしでも役に立ちたいんです」


 決意じみた眼差しだった。その覚悟を知り、二郎は由沙の頭をポンポンと軽く撫でる。


「ダメだっつっても無駄そうだな。無理すんじゃねぇぞ」

「うん」


 すこし恥ずかしそうに頷いた由沙は、車を降りると二郎の背中に身を寄せるようにしている。顔が赤いし、熱でもあるんじゃないのかと彼は思った。


「あの、握手してくださいませんか。あ、あとで写真もいいですか。ぼく、斉藤さんのファンなんです」

「全部が終わったらな」


 そう言いながら二郎は、差し出された警備員の手を軽く握った。いつもならわりと強く握手する彼だが、その男はなよなよしていて線が細く、骨折でもされたらマズいと思った。


 撮影に関係ない一般人に握手をせがまれたのは、これが初めてだった。強面キャラを売りにしている影響か、女性ファンに遠くからキャーキャー騒がれることはあっても、ファンに握手をせがまれたことなど一度たりとてなかった。


「ありがとうございます!」


 自分も偉くなったもんだと自戒じみた感情が湧きあがり、二郎はそれを振り払うように、感動している様子の警備員から視線を外す。


「あそこです。あのパウダールームに入ったときに寒気を感じました」


 張り切る警備員に先導される形で女子トイレへと足を踏み入れた二郎。その正面に見えるドアを、彼の背中に張りついていた由沙が指さした。


 パウダールームとは何ぞやと二郎は一瞬思ったが、ドアから漏れだしてくる強烈で邪悪な霊波が、彼からその思いを振り払った。間違いなく、かつて人であった悪霊ではない。本能をむきだしにした人外の物の怪、妖魔だ。


「間違いない。確かに居やがるな。場違いに質の悪いのが」


 しかしあまりにも不自然だった。本能だけで動く妖魔が、こんなところに居るはずがないのだ。妖魔はなわばりを決めると、よほどのことがないかぎりそこを動かない。


 たいていは深い山間だったり、人が寄り付かないような場所を縄張りにする。それにこんなのが居れば、この部屋を利用した客が障られないことなどありえない。その噂はなんらかの形で広がるはずだが、そんなことは聞いたこともなかった。


「だが、あり得ねぇ」

「なにがあり得ないの?」


 霊波にてられたのだろう、背中に密着した由沙の震えが二郎には伝わっていた。


「妖魔、動物とか虫の悪霊はな、縄張り意識が強ぇんだ。よほどのことがなけりゃこんな場違いな場所に出てくることはねぇ」


 背中で震える由沙を慈しむように、二郎は自分の霊波で彼女を包み込んだ。それは常人には見えないが、さなぎを覆うまゆのごとく彼女を守っている。


「そこで待ってろ。いいか、絶対ついて来んなよ」

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