第22話:妖魔を追って

 日付けが変わってまもなく、二郎たちは山間の廃村にたどり着いた。周囲に灯りはなく、ヘッドライトに照らされた廃古民家、大きな日本屋敷の前に二人は佇んでいる。


「ここで撮ったのか?」

「そうですよ。わたしは外から見てました」


 結局水瀬はここに来ることができなかった。ソファに座ったとたん、崩れるように横になって苦しみだしたのだ。あれだけ平気な様子で芝居がかった会話をしていた彼女は、やはりそうとう無理をしていたのだろう。


 苦しかったはずなのに、まったく顔に出すことなく、いつもどおりの動きで違和感がなかった。女優としての根性はあっぱれだが、苦しいときにそれを隠されると、取り返しがつかないことも、こと悪霊がらみでは多い。


 だから二郎にしては珍しく、水瀬にきつく言い聞かせていた。


 病院に連れて行っても無駄だと分かっていた二郎は、急遽一枚のお札を書きあげ、それを水瀬の肩に貼りつけて応急処置をし、彼女が安らかな寝息を立てはじめたのを見届けてここに来ている。


「水瀬はこの廃屋に入ったんだな?」

「そうよ。男女でペアを組んで三組。カメラマンを入れると三人づつだったわね」


 由沙は廃屋敷の朽ちかけた門の前に立ち、二郎が照らす懐中電灯の明かりの先に見える、空け放たれた玄関の暗闇を見つめていた。


「入るぞ。由沙は俺の後についてこい。はぐれんじゃねぇぞ」

「うん」


 今にも尻込みしそうな声で頷いた由沙は、歩きだした二郎のジャケットを片手で掴み、体を寄せるように後に続く。


 玄関をくぐり、屋敷の中が照らされると、長い板張りの廊下が浮かび上がった。埃が積もった廊下には、様々な靴跡が暗闇に吸い込まれるように続いている。まだ新しい。


「ね、ねぇ、どうしたの? 急に立ち止まって」

「いた」


 その廊下の先、暗闇の中から覗く目が二つ。若い女の霊だ。


「お祓いするんだよね」


 その霊はなにかを訴えかけるような、そして悲しそうな瞳で二郎を見ていたが、彼が視線を向けるとどこかへスッと姿をくらましてしまう。


「いや、コイツはこのままにしておく」

「どうして?」

「ただの地縛霊だ。この家に住んでいた誰かだろうな。お前らを障った相手じゃねぇ。だがおかしいな」


 そう言って二郎は廊下の先へと歩を進めた。奥へ進むと廊下には雑誌や雑貨が無造作に散乱し、面する部屋にも粗大ゴミが山と積まれている。


「キャッ!」


 転がっていた空き瓶に足を取られた由沙が、後ろから二郎に抱きついた。


「大丈夫か?」

「うん」


 懐中電灯で由沙の顔を照らすと、すでに泣きべそ顔だった。そんなに怖いなら来なければいい。とは思わない。可愛い妹分が障りを受けたことに責任を感じているのだろう。二郎にはそうとしか思えなかった。


「ならいい、足元は暗いからな。だがおかしい」

「どうしたの?」

「確かに霊は居やがるんだが、人を障れるほどのヤツは居ねえし、痕跡もねぇ」


 由沙は震えながらも首をかしげている。


「障られたのはココでじゃねぇな」

「え?」


 理解できない。そんな顔だった。


 たしかにこの屋敷、雰囲気だけはある。肝試しの場面設定としては申し分ない。けれども二郎が探している悪霊は、その痕跡すら発見できなかった。となると答えは一つしかない。


「とりあえず出るぞ。障られはしねえが、付いてこられちゃ面倒だからな。特に今お前は憑かれやすくなってる」

「怖いこと言わないでよ。早く出ましょ。ねっ、ね」


 脅しともとれる言葉を聞き、由沙は二郎の腕を引いて屋敷からでようとした。このとき彼は必死に怖がる彼女が、なぜか可愛く見えてしまった。理由は分からないが、そんな自分の感情が愉快にさえ思えた。


「こらこら、前に出んな。憑かれてぇのか」


 車の前まで二人は戻ってきた。ウィンドウを下げた波留が、運転席から顔を覗かせる。


「どうでした? 上手く祓えました?」

「いや、ここにはいなかった」


 波留は一瞬目を丸くして驚いてみせたが、「そうですか」と一言つぶやいてウィンドウを閉めた。二郎は助手席に乗り込み、後部座席に座った由沙に顔を向ける。


「ココで撮ったあと、お前らどこ行った? いや、どこかで違和感かなんか感じなかったか? なんでもいい、思い出してみろ」


 かじかんだのだろうか、両手を握りこむようにして口の前にあてていた由沙は、首を傾げたり上を見上げたりしている。彼女なりに必死に思いだそうとしているようだ。


「えーと……あっ! あのときだわ。撮影前です。ここに来る前に寄ったサービスエリアのトイレで寒気がしました。水瀬ちゃんも寒いって言ってたし」

「二月だからじゃねぇんだよな?」

「ええ、。おトイレに入ったときと明らかに違ったもの。水瀬ちゃんがパウダールームに入ったら、こう首筋がゾワゾワっとして急に寒く感じたんです」


 それなら間違いないだろう。二郎はそう思えるくらいには由沙を信用している。問題は障りをもたらした相手がその場にいるかどうかだ。


 もし行動範囲が広かった場合、二人はしばらく障りに煩わされることになるだろう。対処療法でなんとかなるが、長引かせたくはないというのが本音だった。


「ならそこで当たりだろう」

「でも女子トイレですよ」

「こんな時間だ。誰も来やしねぇって」

「分かりました。わたしが入り口で見張ってますね」


 二郎の躊躇がない顔を見て、由沙は諦めたようにそう言った。そんな彼女に、彼はカーナビの画面を指し示す。二人の話を聞いていた波留が、手際よく操作していてくれた。


「由沙、このサービスエリアで合ってるか?」

「そこです! 間違いありません」

「ここだと、そのまま高速に乗って次の料金所で特別転回すると早いですね。多少の料金がかかるかもしれませんが、構いませんよね」

「それは構わんが、特別転回?」


 聞きなれない言葉だった。由沙も分かっていないようだ。


「高速道路にはそんなルールがあるんですよ。インターから降りなくてもUターンできるんです」

「知らなかった」

「二郎さんは免許持ってませんからね」

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