第12話:武嶋真由

 ようやく動きだした新事務所『斉藤芸能探偵事務所(仮)』。なぜ(仮)がついているのかというと、探偵業をはじめるためには警察経由で公安委員会に届出書を提出する必要があったからだ。


 二郎と由沙、そして水瀬ではじめたこの事務所に、じつはもう一人加わったメンバーがいる。その彼が、公安委員会への手続きが必要なことを教えてくれたのだ。彼はその指摘をするなり書類を仕上げ、今は警察署へと出向いている。


 実に有能な新メンバーだが、はたから見れば妖しさ満点のこの事務所に転職を決めたその蛮勇は、賞賛されるべきなのだろうか。彼は先見の明ある者か、はたまた只の博打打ちか、意見は分かれるところだろう。


 それはさておき、事務所には、顧客第一号となる依頼者が訪れていた。熟年の夫婦だった。以前週刊誌にリークした結果だ。二人は真新しいソファの先に申し訳なさそうに座っている。


 二十三年前、二郎が生まれたころと時を同じくして行方不明になった幼い少女。生きていれば三十歳になる彼女を探すことが夫婦の依頼内容だ。


 三人が向き合う低いテーブルの上に、由沙が腰をかがめるようにして湯呑に入ったお茶を配っていく。


「最初に言っておく。お子さん、武嶋真由たけしままゆさんが国内に居る場合は俺が必ず探し出す。だがな、当然だが見つからない可能性もある。その場合は海外にいるか、骨まで燃やされたとか、獣に食われたとか、海の底とかだ。探しようがない」


 二郎はありうる可能性を、かいつまんで夫婦に伝えた。しかし残酷なようだが、彼には分かってしまうのだ。


「はい、十分に分かっております」


 武嶋真由は生きていない。そのことを夫婦に伝えなければならなかった。


「それからもう一つ。真由ちゃんが生きている可能性は限りなくゼロに近いと覚悟してくれ」

「……なぜそんなことが」


 夫はとても納得できないような顔で一度きつく目を閉じ、妻と向きあう。


「俺には霊が見えるんでな。いいか、お前たち二人の両肩に霊の痕跡が見える。七、八歳くらいの少女だ。恐らくだが降霊すればでてくるだろう」


 夫婦はごくりと喉を鳴らし、再び二郎に向き直った。


「会いたいか」


 その問いかけに夫婦は再度見つめあい、間を置くことなく、夫が二郎の目を真剣なまなざしでみつめてきた。


「はい。是非とも」


 一にも二にもなくこぼれたその言葉には、夫婦二人で紡いできた積年の想いが込められているかのようだった。


「なら会わせてやろう。だが、遺体の捜索は明日以降だ。恐らくだが、お前たちは霊力が枯渇して今日は動けなくなるはずだ。今日はここに泊っていくがいい。休憩部屋で寝ることになるが、それでいいか?」

「分かりました」

「ならこっちだ」


 二郎に促されて夫婦は立ち上がり、一階奥の休憩部屋へと場所を変える。そこは畳敷きの六畳間。


「これをそこの水で濡らし、横にして額に貼れ。文字が書いてあるほうが表だ」

「こうですか?」

「それでいい。俺がいいと言うまでそこを動くなよ」


 靴を脱いで部屋に上がったのは、二郎と由沙、武嶋夫婦の四人。水瀬は事務所で電話番をしている。彼女にも立ち会いたいとおねだりされたが、由沙にひと睨みされてあっさり引き下がった。


 二郎を除く三人が、渡された短冊状のおふだの裏面を水にぬらして額に貼り、降霊の態勢が整った。緊張の面持ちで待つ夫婦を、由沙がハンディカメラを構えて撮影している。


 二郎は静かに両腕を広げ、カッと目を見開き柏手を打つ。両掌が打ち合わさった瞬間、集まっていた霊子の光が部屋中に飛び散り、霧散していった。


「われは道を示すものなり。その者らの子、武嶋真由の御霊みたまよ、わが導きに応じ、その姿を現さん」


 二郎がしゅを唱えると、ちょうど夫婦と対面する形で、幼子の霊が浮かび上がるように姿を現した。


「真由……」


 名を呼んだのは妻のほうだった。夫婦二人とも落涙で顔がぐちゃぐちゃだが、その瞳はしっかりと真由の姿を捕えていた。


『おとうさん、おかあさん。真由がみえるんだね』

「うん、うん……」


 父がなんとか絞りだした声は震えていて、それ以上続かなかった。けれども、親子はしっかりと、その目で語り合っているようだった。


『あのね、真由はね、ずっとね、おとうさんとおかあさんのこと、みてたんだよ。だけどね、いくらお話ししてもつたわらなかったの。だからね、会えてとってもうれしいんだよ。だからね、もう泣かないで、おとうさん、おかあさん』


 真由のたどたどしくもしっかりとした口調は、おそらくともに暮らしていた当時のものだろう。たとえ霊であっても精神的に成長できることを二郎は分かっている。だから彼には、真由があえて当時の喋り方をしているのだと思えた。


「……」


 夫婦は頷くばかりで言葉がでない。それでもしっかりと、片時も見逃すまいとするように真由の目を見て離さない。


『真由はうれしいの、やっと会えたね――』


 感極まっているのだろう。夫婦は幾度も口を動かそうとするが、涙にむせび、声にはならなかった。真由の語りにつど頷いて、涙を流すばかりだ。


『――だからね、真由のことはもういいんだよ』


 夫婦につられたのか、由沙も大粒の涙を流している。けれどもカメラはしっかりと構え、この感動的な再会を撮り逃すまいとするさまがありありと伺えた。


「真由、真由、向こうでは元気にしてるんだな? 楽しく暮らしてるんだな?」

『うん、だからおとうさんもおかあさんも、もう真由のことで悲しまないで』


 なんとか父がむせびを抑え、声を振り絞った。真由の顔から笑みがこぼれる。しかし、夫婦の状態はかんばしくなかった。霊力が枯渇寸前だ。二郎の見立てでは、あと数分で尽きてしまう。由沙もだいぶつらそうだった。


「だいぶキツそうだな。そろそろいいか?」


 真由に向けていた優しげな二人の顔が、二郎に向けられたとたんに苦しげなものへと一変する。


「まだっ、まだ大丈夫です。もう少しだけ」


 父の必死の懇願に、二郎は静かに頷いた。断れるわけがない。


「分かった、だが、明日のこともあるからな。あと五分くらいで切り上げてくれ」

「はい」


 最後の力を振り絞るように、夫婦は精いっぱいの笑顔を見せて真由に語り掛けている。それはまさに、失った親子の時間を取り戻そうとしている光景たった。しかしそんな時間にも、終わりが訪れる。夫婦二人が限界だった。


「そろそろ止めておけ? 大丈夫か?」

「……はい」


 どう見ても大丈夫ではない。声はかすれ、立つこともできずに夫婦はへたり込んだ。真由は両親を労わるかのように二人の肩に手を置いている。


「大丈夫じゃねぇだろ。死にそうじゃねぇか。由沙、撮影は終わりだ。水瀬! スポーツドリンクがあっただろ、持ってきてくれ」


 由沙がカメラを降ろし、荒い息づかいでその場に膝をついた。彼女もそうとう疲れているだろうに、落涙しながらも気丈に顔を上げ、家族の様子を見守っている。


『おとうさん、おかあさん。もう無理はしないで。またあした会えるからね』

「真由……」


 その一言を最後に父が倒れ込み、気を失った。後を追うように母もその横で気絶している。二郎は心配そうに両親を見ている真由に声をかけた。


「明日も頼むぞ」

『うん』


 真由は寂しそうにそう言って姿を薄くしたのだった。

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