第13話


「あんたさ、せっかく10万のバイトなんだし、留守番くらいしっかりとこなしなよ。なんで隣のおばさんを家にあげてるんよ」

「この人が勝手に入ってきたんです。僕は全然悪くありません」

秀太は包丁から距離をとろうとへっぴり腰のまま後ろに下がり、安川氏の背後に立った。


「あんた、あれの彼氏やろ、説得して」

「そんなへなちょこ、彼氏にするわけないやろ」

サキは嘲笑した。

「サキさん、僕たちだれにも言いませんので助けていただけないでしょうか」

サキは冷蔵庫を見て、ため息をついた。

「矢柄さん、これは犯罪ですよ」

「二人はそれが人に見えるんですか?」

包丁の先端で哀れな老婆を指し示した。老婆は口の端から涎を垂らして唸っていた。

「そんな状態になってまで生きているのが人間なはずないでしょ。

それ、元々この家にいた弁財天だか座敷わらしだか知らないけど福徳をもたらすありがたい神さまらしいよ」


「何わけのわからないことを言ってるんですかっ。いい加減にしないとすぐに警察を呼びますよ。ご両親のためにも大人しく自首してください」

「サキさん、3世帯だったんですか」

「今はおられないみたいですけど、前に何度かご夫婦でお見掛けしていました」

なるほど、使われていない部屋は夫婦の寝室だったのかと、秀太は納得しそうになった。しかし、サキの口ぶりは、この老婆と無関係であると主張しているようだ。

秀太は安川氏の耳元で囁いた。

「それ、サキさんの両親じゃないかもしれません」

「は? 何を言ってるんですか」


「サキさんと、そのご夫婦が一緒であるところは見たことありますか?」


安川氏は少し悩んで、首をふった。


「サキさん、通報はしません。お金も要りません。だから見逃してください」

「なんで、元々殺す予定だった奴を見逃さなきゃなんないの。早く帰ってきた意味がないでしょ」

「出張は嘘だったんですか。全ては僕を殺すためのワナで、ええっと」

「それは、ほんと。不景気で日帰り出張しか出来なくなったけど、さっきまでソウルにいたよ。パスポート見る?」


「あんた、本当に間抜けね。逃げても住所がバレてるんでしょ? どこに逃げるつもり? それに私なんて隣の家よ!」

「おばさん、頭いいね」

「サキさん、考えなおしてください」

「バカ言わないでよ。あんたたちが、私の生活の邪魔をしたんでしょ? ここの家主もそうだけど、幸福を独占するなんて卑怯が許されるはずないでしょ」


老婆は見えない眼で部屋全体を見渡していた。秀太は今にも大きな亀裂となって壊れそうな柱や天井のヒビを見つめた。彼女が暴れた痕だろう。


「もういいでしょ?」

サキは、包丁を握っていた反対の手からサバイバルナイフを投擲し、秀太の腹を刺した。包丁を過剰にアピールしていたのは、もっと過激な武器を隠すためだったらしい。

老婆の足元に倒れた秀太は、自分の血がドクドクと洩れていくのを眺めた。アルコールを飲んでいたおかげで、ほんの少ししか痛みを感じない。それともこれは、感覚が死んでいく前触れなのか。血は湯気をたてている。

「次はおばさんね」

サキは、首もとに包丁を向けた。


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