第39話 武術大会《最終日/剣術》6

 エマの二回戦は急遽不戦勝となった。エニアスの体調不良だと発表されたが、調査の後、彼の罪状が公になるはずだった。


「後始末は負かせておけ。もろもろの事件の関連を虱潰しに調べてやる。だからエマ、おまえは試合に集中していろ」


 尋問のため連行されていくキモン親子の背中を睨みつけながら、父が言う。

 父は、こういうとき全く甘くない。情けなど知らないような冷酷な王にもなれるのだ。エマは自分にそれができるかどうか自問する。再従兄の断罪を徹底的に――最悪命を奪うことになるかもしれない――できるのか。

 父の代の王位継承権争いでは、最後の最後で王太子位の簒奪がたくらまれ、陰謀を企てた王子は父との争いの中、命を落としたという。そういったことが無くなるようにと、今回の改正が行われたというのに。

 陰惨な未来を想像して憂鬱になる。身内との命の奪い合いの覚悟は出来そうになくて、胸のあたりの布をギュッと握った。


(今の私には、とても出来ない。でも王になればやらないといけない……)


「とにかく、頑張れ。あとは決勝だけだ」


 父がエマを気遣うように声をかける。エマははっとして、暗い思考から抜けだした。


「頑張るわ」


 頷いて送り出そうとすると、父は僅かに眉を上げた。


「もう、おれの応援よりも他のやつの応援のほうが力になるらしいな」


 にやりと、どこか寂しげに笑うと、父は踵を返した。

 そういえばそうだ。今までならば、父が見ていてくれるだけで力が湧いてきていたし、だからこそ、きっと引き止めて応援してくれとすがっただろう。だけど、今は置いて行かれても平気だ。なぜならアリスがそばに居て支えてくれるから。

 武術大会が始まる前は、父に勝利を捧げるつもりで居た。そうして父に認めてもらおうと意気込んでいた。だというのに、いつの間に勝利を捧げる相手がアリスに変わったのだろう。

 自分の中の優先順位が完全に変わってしまったことにエマは驚き、戸惑った。


(しかも、お父様、気づいていらっしゃった!?)


 気持ちがだだ漏れているらしいことに気づいたエマは慌てる。そういえば、先ほどアリスに向かって父は一生傍で守れみたいなことを言っていなかったか。それはつまり、二人の仲をもう認めてくれているということで。エマは彼とのことは何も告げていないのに。


(順番が逆だし――……っていうか、今それどころじゃないし、それに、父様はああおっしゃったけれど、アリスはここにいちゃいけないわ!)


 エマははっと気がついて、アリスを振り返った。


「アリス! 今すぐ部屋に戻って寝てて!」

「だめだよ。燃やしちゃったから」

「あああああなにやっているのよ馬鹿」

「大丈夫だよ。うちの衛兵は優秀だから、あのくらいの火はすぐ消してくれるはずだ」


 のんきなアリスにエマは肩を落とす。そういう問題じゃない。アリスの休む場所がすぐに用意できないことが問題であって。


「しょうがないわね。じゃあルイザ、代わりの部屋を」


 と指示を出そうとすると、アリスはそれを遮った。


「僕はここにいるよ。ちゃんと君の勝利を見届ける。じゃないと君はまた無茶をしそうだ」

「無茶なんかしてないわ」

「――どこが? じゃあ、その髪は一体どういうわけで、短くなっている?」


 穏やかな顔のまま問うアリスだけど、目が笑っていなくて、エマは顔をひきつらせた。

 ルキアの言ったとおりなのだろうか。髪を切ったことでアリスはどうやら怒っている。怒りの矛先は髪を切った人間だろうし、つまり、真実を話して叱られるのは、髪を自ら切り落としたエマということになる。もちろん、ヘルメスのせいだなどというのは、エマのプライドが許さない。


「こ、これは単なる戦術なのよ」

「単なる、ね」


 ため息を吐いたあと、にっこり笑ったアリスに思わずエマは怯んだ。やっぱり、目が笑っていない。

 アリスは動揺するエマを見てようやく眼光を緩ませた。


「とにかく。僕はここに残るよ。無茶をしないように見張りたいのもあるけれど、君が勝った時に、ここにいてやりたいことが――いや、やるべきことがあるんだ」

「急になにを言ってるの。あなたのやるべきことは傷を治すことよ」


 エマは言いはるけれど、アリスは頑固にも譲らない。


「僕と君の未来の為には、一番効果的な方法を取らないといけないんだ。表彰式でもいいかと思ったけれど、今日、民に向かって宣言して相乗効果を狙ったほうが絶対いい」

「ぼくときみのみらい――」


 思わず繰り返したエマはその言葉の重みと甘さにぼっと顔から火を噴いた。この男は、どうして真面目な顔でさらっとそういうことを言ってのけるのか。

 そんなエマの頭上から声が降る。


「アリス、おまえ、なにをする気だ?」


 赤い頬を押さえたままエマが振り返ると、不機嫌そうなルキアが壇上に立っていた。どうやら、今の間に二回戦も易々と片付けてしまったらしい。すごすごと壇上から降りていくミロンが、通り過ぎざまに「疲れた。辛かった」と一言。強かったではないところが意味深である。

 ルキアは汗ひとつかかない涼しげな顔をしている。だけど、目だけがアリスを鋭く睨んでいた。


「おれのいないところで、おいしいところを全部持っていくのは卑怯だと思わないか?」


 アリスはふう、と大きく息を吐くと椅子により掛かる。背の傷をかばうためか、背もたれの代わりに、肘掛けに身体を預けると、穏やかに、でも、しっかりとルキアを見つめ返した。


「前に馬術でやられたから、お返しだよ。挽回しないとね」

「結構根に持つな」

「こればっかりは、負けるわけにいかないから」


 睨み合う二人の間に挟まれ、エマは縮こまる。いたたまれない。なんというか、二人の男に奪い合われるなど、どうしても柄じゃないのだ。それに人前だというのが更に落ち着かない。

 色恋沙汰は格好のネタになってしまうのに――と外野の目が気になり、辺りを見回すと、案の定、隣に居たルイザが「やっぱり血は争えませんねえ。お父様お母様もたいそうおもてになりましたから当然といえば当然ですけれど」と羨ましそうにエマを見ていた。

 けれど、エマが望むのはそういう立ち位置ではない。むしろルキアの位置に近く、欲しいものを奪い取る側でありたかった。エマはやはりお姫様になれない自分をまざまざと思い知る。


(守られ、愛される、可愛らしいお姫様になんて、なれない)


 アリスが倒れた時に最後まで王位を捨てると言えなかった。

 エマはやっぱりなにがなんでも王になりたいのだ。

 強情だと、わがままだと眉をひそめて言う者も多いだろう。だけど、魂が訴える。エマの座るべき場所は玉座だと。そのためには犠牲も仕方ないと思うのだ。――それが、たとえ、大事な、大事な恋だとしても。

 アリスの気持ちは天に登るほどに嬉しい。ルキアの気持ちも嬉しくないといえば嘘になる。だけど、エマらしさを殺してしまえば、彼らの気持ちもきっと消え去るだろう。アリスが言ったとおり、王にならないエマはその時点でエマではなくなってしまうのだ。

 アリスをじっと見つめる。

 彼の意図がどこにあるのかまだ聞いていないが、もしも自分の妃になってほしいと言うのであれば、実ったばかりの恋に別れを告げる事になってしまう。

 だけど彼はエマに王位をあきらめないで欲しいと言った。

 だから、彼が言う未来とはどんなものなのか。

 少し恐いけれども、ルキアに勝って手にしてみたいと思った。

 エマは、ぐっと拳を握りしめる。

 アリスはエマの心のなかを覗いたかのように、穏やかな顔で頷いた。


「今は、なにも考えないで。勝つことだけを考えるんだ」


 じっと見つめ合う二人の間に、


「そろそろ試合を始めます」


 という審判の声がひびき、エマは立ちあがる。ルキアも椅子から立ち上がり、挑戦的な目を向けた。大地の色の目には、色香の欠片は見当たらない。彼の真剣さだけが窺えて、エマは改めて気持ちを引き締める。

 自分のため、アリスのため、父、母のため、エマを慕ってくれる皆のため、そして、このアウストラリスのためにも――負けたりしない。


「私は、王になるの」


 呟くと、エマは剣を握り締めて、階段に足をかけた。

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