第40話 武術大会《最終日/剣術》7
頭ひとつ以上背が高い男――ルキアを前にエマは剣を中段に構えた。ルキアはエマを誘うように剣を頭上に構えている。飛び込んで来いとでも言うようだった。
エマの機敏さが勝つか、それともルキアの力が勝つか。そんな風に民は予想してささやいている。
だが、エマとルキアがじっと睨み合う時間が刻々と過ぎて行くと、やがて漣のようなざわめきはぴたりと止み、試合場からは音が消え去った。
隙がない。
エマのこめかみを汗が伝っていく。
そんな些細なことでも、気を取られた瞬間に勝負が決まるのが分かった。
エマは瞬きもせずにルキアの顔をじっと見つめる。息を深く吸う。静かに吐いて、重心の位置を確かめる。
アリスの体術の試合を思い出す。あの時は、得体の知れない的に動きが取れなかったけれど、今回はルキアの力量がわかってしまうからこそ動けなかった。
さすがに父の師に師事しただけあった。父を前にしたときと同じ。到底敵わない、そう思って怯んでしまいそうな感覚だ。
足の指一つ動かせない。だけど、このまま動かない訳にはいかない。
エマはわずかに視線を動かす。そして右足に重心を動かす。とたんルキアが目を細め、やはり右足に重心を移した。切り出した石を隙間なく敷き詰めた床に、そのまま一歩足を滑らせる。するとルキアも反対方向へと足を踏み出す。二人は右回りに円を描くようにそろそろとすり足で動き始める。そして互いの隙を伺った。
(どうする? どうすれば、裏をかける?)
ルキアは未だに胴を空けている。ここを打ってこいとばかりに。そのまま飛び込めば頭頂を叩かれるのはわかりきっている。エマが機敏であろうとも、構えているところに飛び込めば終わりだ。
じゃあどこを狙えばいいか? 一番ありえない場所――と考えて、エマはふと思い出す。父に指南されていた時に、「どうして《ここ》を打たないんだ?」と笑われたことを。
(そうだわ。発想を変えればいいのよ)
絶対にないと彼が思っている場所を狙うのだ。やり方を変えれば、届かないようでも届く。それは、他のどんな場面でも言えることだったではないか。一番得意な剣術でどうしてその発想に至らないのだ。
エマはぎり、と歯を食いしばると同時に剣の柄を握り締める。短く、鋭く息を吸う。ルキアの剣先が呼吸に合わせて小さく震える。エマはわずかに膝を曲げ、彼の方へと飛ぶように後ろ足を蹴りだした。
刹那。
ルキアの剣先が風を切った。読み通りだ。紙一枚ほどの隙間を縫って、エマは左に避ける。着地と同時に、ルキアの腕を叩き上げた勢いで大きく上へと飛び上がった。
「な、に!?」
前方にバランスを大きく崩したルキアが、頭上に覆いかぶさった人影に慌てて上を向いた時には、エマは彼の首筋に剣を押し付けていた。
潰れた刃が、ルキアの首に赤い溝を描く。勢い余って寸止めは叶わなかったが、これが真剣であれば、彼の首は落ちていただろう。
打撃のせいで息が詰まった彼は小さく呻く。さらにルキアの右腕を素早く打つと、彼はあっさりと手に持っていた剣を手放す。
きいんという高い金属音が静まり返った会場に、響き渡ったあと、
「――――勝負あり!」
審判が感極まった様子で叫んだ。どどど、と地響きに似たどよめきが会場を埋め尽くす。
『見たか今の』『すっげえ』『あの身長差で――どれだけ飛んだ?』
そんな声が耳に届くけれど、膜が張ったようになっていて、頭に染み込まない。手に確かに衝撃はあったのだけれど、実感が湧かない。言葉通りに夢中だったのだ。
「勝った……?」
急激に息が上がる。全身から汗が吹き出し、頭の芯が焼き切れたかのようで、現実なのか夢なのか、判断がつかなかった。
「勝ったんだよ。おれの負けだ」
座り込んでいたルキアが、服の埃を払いながら起き上がる。そして、小さくため息を吐いたあと、エマの手首を掴むと、大きく空へ向かって突き上げた。
「――可憐で、かつ、誰よりも強靭な王女に賞賛を!」
歓声が更に大きくなり、鼓膜が悲鳴を上げそうだった。
そんな声の波をかき分けるようにして、聞こえてきたのは「エマ」という自分の名。
ふと見ると、階段をアリスが登って来ていた。
第三王子の無事な姿に、観客が更に沸く。
それに応えるようにアリスは手を挙げると、エマの傍までやってきて、ルキアが掴んでいない方の手を掴んだ。
ルキアと同じように高く掲げてくれるのだろうか、そう思ったエマの予想はあっけなく裏切られる。
彼はエマの脇に片膝をつくと、優雅な仕草でエマの手の甲に口づけたのだ。
「な、な――!?」
場が一瞬静まり返ったあと、今度はどよめきが辺りをうめつくす。
アリスは涼しげな笑みを浮かべると、立ち上がって、ぐるりと会場の観客を見回した。
「聞いてくれないか」
それはさほど大きな声ではない。だけどアリスの静かな言葉に触れたとたん、熱狂していた民は、彼の話を聞こうと口をつぐんでいく。それはまるで魔法でも見ているようだった。
やがて凪いだ民衆に向かって、アリスは通る声ではっきりと宣言した。
「私、アリスティティスは、エマナスティ王女と婚約したことをここに発表します」
会場がまたもや沸く。だがざわめきには戸惑いも混じっている。じゃあエマ王女の王位は? 結局は第三王子が王になるのか? そう囁き合っているのをエマの耳が拾い上げる。
(ちょっと、それ、どういうこと!? もしかして、私の努力をここで全部泡にするっていう計画だったってわけ!??)
最有力候補の一人であるアリスに妃にすると公表されてしまえば、エマの優勝はもはやお飾りにしかならなくなってしまう。それはなんという茶番だろう。あんまりだ。血の気が引いたエマは、アリスの胸ぐらをつかみかけた。
だけど、アリスは「聞いて」とどよめきとエマを右手ひとつで制御すると、再び話を聞く姿勢になった民に向かって続けた。
「僕は、《未来の女王》、エマナスティ王女を、一番近くで支えていきたいと思っている」
「女王……?」
どういうこと? その場にいる者はすべて同じような顔をしているのではないかとエマは思った。
アリスは一拍ののち、言った。
「僕は、史上初の女王の
「王配……?」
「今のジョイアの皇帝陛下が皇位継承権争いをされていらしゃったころ、女帝を擁立する動きがあった。知っている者は多少いると思う」
「……なるほど、な」
すぐ近くで顛末を見守っていたルキアが小さく呟く。
「それまで、ジョイアでは女帝が立った場合、伴侶を持たないということになっていた」
エマは静かに頷いた。そういった身近な例を知っていたから、もし王位を得られるならば、結婚を考えず、生涯独身を貫くつもりだったのだ。
「だけど、それでは女帝を推して政権を握ろうとしている貴族たちには都合が悪いはずだ。一代限りで栄華が終わってしまうからね。だからもう少し突っ込んで調べたら、王配に辿り着いた。彼らは、西方の国の制度を基に法改正をしようとしていたんだ。アウストラリスにももちろんない制度だけれど、女王が史上初ならば、史上初の王配がいても全くおかしくないと思わないか?」
「……あなた、そんなこと考えて……」
エマは目を見開く。アリスの考えはエマの女王になりたいという破天荒な野望の更に上を行っていた。
「人には天賦のものがあると思っている。君はたしかに王になる資質を受け継いでいるよ。――だけど、それ以上に、ここにいる誰よりも王になりたくて、そのために一番努力した君が一番王にふさわしいと僕は思うし――」
そう言って、アリスはにこやかに民を見回した。
「今の試合を見ていた者には、殻を破って新しく生まれ変わるアウストラリスが見えたんじゃないかな? ――僕には、見えた」
歓声に混じって拍手があちこちから響いた。まるでアリスの言葉に賛同するかのように。
満足気にアリスは微笑むと、エマに向き合った。
「でね、西方の国の例に倣うと、女王を一番近くで支え続けるという幸せな男は、女王自身が選ぶんだ」
手を差し伸べるアリスにエマは吸い寄せられるに近づいた。
今からここにどれだけの男を集めようとも、アリス以外に選びようがないと思った。
彼が今婚約を言いだしたのも、エマに敗北を認め、彼女を女王として認め、一生をかけて支えていくという宣言なのだ。
アリスはこれ以上ないほど用意周到な
今までも、これからも、こうやって彼はエマを支え続けてくれる。そういう覚悟を今示してくれたのだ。
(それなのに、疑ったりして)
エマは自分の小ささに涙ぐむ。
(だからこそ、私には、どうしたってアリスが必要だわ)
彼がエマの未熟さを補ってくれる。そして二人で王になるのだ。そんな未来が自然と眼裏に浮かんだ。
迷わずに手を取ると、アリスは大きな手でしっかりとエマの手を握りしめたあと、エマを抱き寄せた。
「ほら、言っただろう? 僕は最後にちゃんと《君》を手に入れた」
嬉しくてたまらないといった様子のアリスは、ここが大衆の面前であることを忘れている。少なくともエマにはそう思えた。油断すればうっかりキスまでされそうで、じたばたと腕を抜けだそうとする。
そうしている間にも冷やかしの声が続々と上がり始めて、エマは焦りに焦った。
だけどアリスの体術の腕は確かだった。要所要所を抑えられてエマは全く動けない。
「離して」
「やだ」
「未来の女王に逆らうの」
「《夫としては》対等であることを放棄したりはしないよ? それに主導権の大半は君に譲るけれど――」
アリスはくすりと笑うと、とんでもないことを耳元で囁いた。
(だから、涼しい顔でなんていうことを言うの!)
ぼん、と音を立てる勢いでエマの顔が熟れると、アリスは満足気に微笑む。
「エマって案外照れ屋だよね」
「アリスはときどきびっくりするくらい大胆よね!!」
真っ赤な顔で言い返す。そんな風に言い合いをしていると、ルキアが大げさにため息を吐いて、二人の間に割り込んだ。そして凶悪なと言えそうな笑みを浮かべると、
「おまえ一人に格好つけさせないからな」
と低い声を出したあと、今度はよそ行きの破壊力満点の笑顔を浮かべる。エマの腕を掴み、アリスの腕の中から引きずりだした。そしてエマの手を取ると、アリスの手にエマのもう一つの手を預ける。
「私も二人の良き隣人として、アウストラリスと共に歩んでいくつもりだ。父の代よりも、更なる発展を約束しよう」
ルキアが目で合図をすると、アリスは小さく肩をすくめたあと、ルキアの動きに合わせるようにしてエマの手を天に向かって持ち上げた。
会場は割れんばかりの歓声で満たされた。あちこちで「新女王陛下、万歳」という声が上がり始める。ルキアまでもが、自分の女王選出のために演出を手伝ってくれたことが痛いほどわかり、エマは胸が詰まった。
と、
「……まだ当分退位する気もないけどな」
後ろから低い声が上がり、見ると、父が不機嫌そうな顔で立っていた。
好き勝手に事を進めたことを怒られるのだろうかと身構えるエマだったが、父はエマの前に立って一つ深呼吸をした後、穏やかに言った。
「おめでとう。おまえなら自力で掴み取れると思っていた。エマナスティ――やっぱりおまえは革命の王女だ。おれの期待通りの――いや期待以上の、自慢の娘だ」
生まれて初めて。そして最高の褒め言葉だった。さすがに今度は涙をこらえきれず、エマが感極まって口元を押さえると、父がエマを抱き寄せて背を撫でてくれる。こどもみたいで恥ずかしかったけれど、たぶんこんなことはもう二度とない。エマはそのまま遠慮無く父の胸を借りることにした。
「一番美味しいところを持って行かれたんじゃないの」
後ろでルキアが笑いをこらえたような声を出した。だが、すぐに「え、あ、おい! アリス!?」と小さく叫ぶ。
ぎょっとして振り返ると、青い顔のアリスが床に片膝をついていた。限界だったのに、気力で平静を保っていたのだ。父が「すぐに連れて行け」と素早く指示を出して、アリスは強制的に退場させられた。
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