第37話 武術大会《最終日/剣術》4

 再び静寂を取り戻した部屋のベッドの上で、アリスはおとなしく目を閉じていた。

 だが胸騒ぎがひどい。とにかく頭のなかを整理せねば。おとなしく寝ている場合じゃないともうひとりの自分が急かしていた。

 やがてアリスは眠ることを諦める。胸騒ぎの原因を取り除かなければ、とても眠っていられなかった。


(……父上は一人じゃない、とおっしゃった)


 中断していた考察を再開する。

 複数犯人がいるとしても、父に訴えたとおり、アリスは祖母がその中にいるという可能性はないと信じていた。

 祖母ではなく、祖母を利用して父とアリスを陥れようとしている者がいる――というのが正解に近いと思った。

 エマを害して王位から遠ざけ、仕組んだのをアリスに見せかける。アリスに卑怯者の汚名を着せて評判を地に落とし、そして王位継承の戦いから引きずり下ろす。そんな真似をして得をするのは、王位継承者に決まっていた。


(ヘルメスはどこかに絡んでいるだろうけれど……、残りはミロンか、それともエニアスか)


 年の順に名を並べて、一つ一つ考える。

 もちろん前科もあり、言動態度に野望がだだ漏れているヘルメスは限りなく怪しい。だが、アリスには「ヘルメスは大悪党には成り得ない」という妙な信頼があった。だから、エマを襲うにしても自分で体を張ってやると思ったのだ。


(というか、こういった込み入ったことは出来ないんじゃないかな……)


 あの従兄は昔から単純で、なのだ。だからこそ、対策もしやすかったし、正面から相手にしないで済んだのだ。エマなどは真っ向勝負を挑んでいたけれど。

 だから関わっているとしても、あからさまな小細工だけなのではないかと思えるのだ。


(例えば、体術での嫌がらせに近い印象操作とか、そのあたりはヘルメスなんだろうけれど……だから、くじの操作は絶対ヘルメスだと思ったのに)


 体術ではエマに当たるように。そして剣術ではエマと当たらないように。そんな操作をしたと思っていた。

 祖母に罪をなすりつけるような操作までやったのかとも思うけれど、ヘルメスがそこまでやるか? と問いかけてみても否の答えが優勢だ。

 不可解に思いながら、アリスはひとまず次の人間に思考を移す。


(次は、ミロン)


 彼は馬鹿じゃない。あの三人の従兄の中で一番まともだ。ヘルメスに辟易しているのは、言葉の端々ににじみ出ていた。それでも取り巻きをやっているのは、ヘルメスの悪意を跳ね返すのが面倒くさいからだろう。

 もしも彼がエマ襲撃の犯人だとすると、動機はヘルメスに脅されたという理由が一番しっくり来る。

 だが、やはり不自然だ。

 ヘルメスがミロンを脅そうとも、彼はもうエマを敵に回す方を恐れるだろう。

 体術の試合をアリスも傍で見ていた。あのとき――エマがミロンのために王になりたいと言った時に、ミロンは確実にエマに落ちたと思うのだ。

 アリスが、ライバルが増えるんじゃないか? とハラハラするくらいに、エマはミロンをたらしこんだ。あの時のミロンの顔を見ていれば、彼がエマを襲おうとするのは考えにくかった。


(うん、……あれはちょっと羨ましかったんだけどね)


 苦笑いが出る。残るはエニアスだけど――と思ったところで、扉が再び音を立てた。

 そこにはどこか悲壮な顔をした侍従が立っていて、「あの、その」とおとおどとしながら、試合結果の経過を差し出した。予想通りの結果に破顔する。


「エマは勝ったんだ。まぁ、当然だけど。快勝だったんだろう?」


 だが、侍従の顔は曇っていた。とある可能性が頭のなかに降ってきて、アリスは頬をひきつらせた。


「どうかした? まさか、怪我でもした!?」

「い、いえ、そのようなことは決して。バッサリと――いえ、観衆が湧くほどの快勝でございました」

「ばっさり? 斬りつけたの?」


 ほっとしたものの、妙な表現に引っかかった。剣の刃は鈍らせているのに、不穏だ。突っ込むと、侍従はとたん慌てだした。


「いいえ。――あの、あ、あの……、」


 なにか言い淀んだが、侍従は結局口を閉ざし、きっぱりと言い切った。


「そろそろ次の試合が始まりますので、失礼致します」

「……ああ。ありがとう。手間を掛けるけれど、決勝の結果も頼むよ」


 逃げるように侍従が飛び出していく。呼び止めるべきかと思っている間に侍従の姿は見えなくなった。仕方なく、アリスは胸に引っかかったままの問題を再考しだした。


(で、どこまで考えたんだっけ……ああ、エニアスか)


 アリスは手元の紙に視線を落とし、そこにある名前を見つめた。

 エニアス――従兄の中で一番得体の知れない人だった。善人の顔をしたまま、悪事に手を染めている。個人的にはヘルメスが可愛く見えるほどの卑怯者だと思っていた。だから、やっていてもおかしくはないけれど、一方、アリスはエニアスほど物事には対価があることを理解している人間もいないと思っていた。

 そんな彼が日の当たる場所に出たがるようには、――重責と引き換えの権力を得たいと望むように思えないのだ。

 それに不自然な点もある。


(彼が王位欲しさにやったとなると、矛盾がある)


 体術の試合で、エニアスはヘルメスにあっさり勝利を譲っているのだ。もし王位に執着するのならば、ヘルメスに勝って、アリスに勝つチャンス――アリスは体術がそこそこ得意だと公言していない。エマでさえ知らなかったくらいなのだ――を無駄にするのはおかしい。

 一位で五点、二位で三点、三位でも一点。加点すれば、優勝に手が届くのだから。


「じゃあだれなんだ……」


 呟いたアリスは、何気なく対戦表を見て血の気が引いた。

 エマの次の相手が目に入ったのだ。


(彼女が万が一、決勝ではなく、ここで負けたなら、どうなる?)


 得点表、それからこれまでの対戦表などを引っ張りだす。目を走らせると、いくつかの可能性が組み合わさって一つの形を浮き上がらせた。そして先ほどの父との話題がかちりと嵌った瞬間、アリスは戦慄した。


「ああ、それなら――。もし、なったら、が王位を手に入れられるじゃないか」


 毛布をはねのけると、起きあがる。ぎりりとした痛みに呻くけれど、なんとか病床から立ち上がった。

 エマの危険は去っていない。そして危険は場外にひっそりと落ちている。なぜなら、おそらく犯人は試合場に上がってこない上に、表舞台に姿を見せる気もないからだ。

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