第28話 武術大会《三日目/体術》4

 目の前で睨み合うエマとヘルメスを見て、アリスは小さく苦笑いをこぼす。


(あーあ。エマは、あれもこれも偶然だと思ってたか)


 先ほど披露した技もまぐれだと思われたのか。誰も彼の勝利など想像していないのが可笑しい。体格が一回り違うヘルメスと並べば、たしかに頼りなく見えるだろう。だが、エマ自身が体格や力だけでは勝負は決まらないと証明したというのに。

 アリスは小さく息を吐くと、壇上に上がる。


「僕が勝ったら安心するかな? それとも――」


 彼女のことだから胡散臭げに顔をしかめそうだと思うと苦笑いがまた出た。同じく壇上に上がったヘルメスが「緊張しすぎておかしくなったか?」と気味悪そうにこちらを見ている。

 ヘルメスは事前に何の探りも入れてこなかったが、いくら相手が学問しか取り柄がないアリスでも油断しすぎだろうと思った。

 外見で判断されすぎるのも考えものだ。


(だから、苦手じゃなくって……人を傷つけるのが好きじゃないだけなんだけどな)


 父に似たのか(おそらく運動が全く駄目な母ではないと思う)、昔から器用な方だった。だから武術全般苦手ではなかった。それでも人を積極的に傷つける武術は嫌いだと言い張ったアリスに、父や母は護身に特化した武術を薦めた。攻撃を避けて、力を削ぐ方法は、自分の性に合っているとアリスは思う。

 そしてその方法は、ヘルメスのような男を相手するときには最適なのだ。


「早くやっちまおうぜ。お楽しみが待ってる」


 ヘルメスが舌なめずりをしながらエマを見る。エマが不快そうに顔をしかめ、腕をさする。


「そうだね、早く終わらせよう」


 アリスはくすりと笑うと、心配そうに見上げててくるエマを見つめた。


「待ってて」


 口を動かすのと「はじめ」と審判が高い声を上げるのは同時だった。アリスはわずかに伏せていた目を開けると、先手を取ろうと突進してきたヘルメスを冷たく睨みすえて、静かに宣言する。


「あなたに対しては手加減する必要は全くないと思ってる」

「あ…………手加減だ!?」

「彼女を辱めるようなことは、」


 胸ぐらをつかもうとしたヘルメスの手首を逆につかみ、手早く内側に折り曲げる。

 ヘルメスが何を考えているかくらい簡単に予想できた。頭のなかの妄想だけで、万死に値する、とアリスは思っていた。


「想像するだけでも、ゆるさないよ」


 一歩踏み出すとヘルメスが重心を後ろに下げる。掴んだ右腕の肘の裏を思い切り突き上げ、膝を折り曲げて自らの重心を下げると、ヘルメスがバランスを崩して前につんのめる。よろけたヘルメスを床にうつ伏せに倒すと、アリスは彼の手首を持ち上げながら、逆に肘を下へと沈み込ませる。

 そうして手首を軽く内側に押しやると、ヘルメスの肘がみしり、と嫌な音をたてた。

 たちまち断末魔の叫び声が上がる。


「うぁあああ、折れる、やめろ、折れる!!!!」

「『やめろ』じゃないよ。早く降参しないと、本当に折るよ。最初に手加減しないって言ったよね?」


 にこりと笑って容赦なく言う。きっと目は笑ってないだろう。だが笑えなくて当然だ。腕を折ってしまいたいくらいに腹を立てているのだから。

 ヘルメスは「手加減って、そっちの意味……」と青ざめる。そして全身の力を抜いてぐったりしたあと、小さな声で「……まいった」とつぶやいた。



「……え?」


 エマは目の前で起きていることがにわかに信じられず、目を何度も瞬かせた。


「ええ? あれ、なに」


 アリスの使った技は、エマの知らないものだった。そのため、動きが即座には理解できなかった。


(え、手首を返しただけに見えたけれど……)


 先ほど一回戦で見たアリスの動きでは、武官が勢い余ったところをうまく突いた、と言った感じだったのだが、二回続くとどうやらこれはまぐれではない。

 対ヘルメスの戦術はルキアとの対戦の応用で済むけれど、アリスの使う技は得体が知れなすぎてうかつに手を出せない気がした。


「強敵現るって感じなんだろうけど……あれは、ジョイア風の護身術だな。あれだけの使い手なのに、誰も知らなかったのか?」


 エマの隣で観戦していたルキアが感心したように口笛を吹く。敗戦のことはすでに吹っ切ってしまったようで、さっぱりとしたものである。こういうところは素直に好ましい。彼と居て気楽だと思える所以だった。

 こんな風に隣に並び同じものを見る――友という立ち位置でならばものすごくうまくやれそうなのに、彼が望む関係が、それとは異なることをエマはひたすら残念に思う。


「護身術ってことは、つまり、技をかけられて初めて使う技ってことでしょ。そんな技はアウストラリスの武術にはないし、知るわけないわ。大体、アリスが人を襲うようなこと――」


 ないものと言いかけて、エマは思わず口元を抑える。そういえば、あの夜、エマは身体の上にのしかかったアリスから逃げられなかったではないか。あの時も手首を押さえられただけ。重みや力ではない何かで身体が拘束されてしまっていて、エマの反撃を彼は全て封じ込めた。

 てっきり動揺してそうなったのだと思い込んでいたけれど、もしかしたら、アリスが意図的にそうしたのかもしれなかった。


(もっと早く気づくべきだったの?)


 と悔やみかけたけれど、いまさらだ。そもそも、今でも思い出すだけで頭が爆発しそうなのに、冷静に省みることなど不可能だとエマは思った。


 昼食を挟んでまずは三位決定戦が行われたのだが、ヘルメスは二回戦で腕の筋を違えて棄権。ルキアの不戦勝となった。そのためルキアの持ち点は七点となる。ここで勝っておけばエマが九点。剣術で二位以上――つまり決勝でルキアに負けても同点での優勝が決まる。


(だけどルキアと決勝で当たるとは限らない……もし初戦でルキアに当たったりして、万が一にでも負けたら、一点追加で総合で負けになる――――……ああ、だめだめ、全力でやることを考えないと)


 皮算用を頭の隅に押しのけるエマの視界には、淡々と足の筋を伸ばすアリスが目に入った。

 エマの視線に気づくと、アリスはにこりと笑う。自信に満ちた笑顔自体が、まるで勝利宣言にも思える。


(まだなにか隠し持ってそうよね……)


 胡散臭げにエマは眉をひそめる。と、アリスはなぜかぶっと楽しげに噴き出した。

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