第19話 宰相の企み

 ルキアの影が見えなくなると、ようやく息がしやすくなった。


(ほんと、なんて威圧感よ……)


 彼の申し出を受け、年中彼が傍にいるようになった状態を想像したエマは、苦虫を噛み潰したような顔になった。

 あんな派手な人間と暮らすなど息が詰まってしかたがないと思うが、慣れたらなんとかなるものなのだろうか。美人は三日で飽きるとか言うし。

 その辺り、彼の家族に聞いてみたい。もしくは、シリウス帝と親交の深い母あたりに尋ねてみるのもいいかもしれない。


(とにかく、その問題は置いておくわ。勝てばそんなことにならないのだし――)


 頭を切り替えようとするけれど、武術大会の成績の付け方にふと思いを馳せて、思考が逆戻りする。

 いくつもの競技のある武術大会の優勝は、総合点で判断される。つまり弓などの他の競技で負けたら、いくら剣で圧倒してもだめなのだ。

 エマが剣で勝てたとしても、弓では勝てないのはわかりきっている。となると体術、馬術を含めての勝負となってくる。体術は体格から不利。馬術は……不得手ではないけれども、特別に上手いわけでもない。ルキアの腕前はどうだろう……と、どんどん焦りが湧いてくる。


 これまでエマが戦う相手と想定していたのは、ろくでなしの再従兄弟たちとアリスだけだったのだ。計算外もいいところだった。

 もし、ルキアが優勝してしまって、父にエマとの結婚を願い出たら、父はアウストラリスの王として約束を違えることは出来ないだろう。

 なんといっても相手は大国ジョイアの皇太子なのだ。引く手あまたな未婚の皇子の正妻に、しかも武術大会にまで出て求められれば、国として、また一人の女としても断る理由などない。

 アウストラリスの民はその縁談を大歓迎するだろうし、エマが王になりたいなどと訴えてもきっと奇怪な目で見られるだけだ。

 考えれば考えるほど、追い詰められている自分に気がついてエマは青くなる。

 ぶるぶると頭を振りながら校庭を横切り、室内に戻ろうとしたエマだったが、


「ん?」


 視界にあるはずのないものを見た気がして、思考と足を止めた。

 教室に上がるための階段で、再び本に夢中になっている少女を見つけてしまったのだ。


「…………デジー」


 彼女はちらとエマを見上げたけれど、「授業中に本を読んでいたら怒られたから。ここ、涼しいの」と言って本に目を戻した。


「そりゃあ、怒られると思うわよ。――ほら、人の話を聞くときは、最低でもちゃんと目を見ないと」


 エマは本を取り上げようと手を伸ばし、気づく。

 何度読んだのだろうか。本がぼろぼろだったのだ。


「これって」

「学院の図書館の本。本が少ないの。次が詰まっているからもう返さないといけなくて」


 だから授業など聞いてられないのか。またもや問題発生。エマはやれやれと息をつく。だけど、この問題は一番最初に解決できそうだと苦笑した。


「ねえ、連れて行ってあげたい場所があるのだけれど、時間はある?」


 不可思議そうな顔をしつつも頷くデジーを連れて、教員の居る詰め所へと向かう。そして外出の許可を得ると、エマはデジーとともに学院を抜けだした。

 問題の種を一度外へと持ち出してみようかと思ったのだ。



 エマがデジーを伴ってやってきたのは、王城を囲む城壁の中にある、王立図書館だった。

 天井まで届くような本棚が所狭しと並んでいて、中にはびっしりと古い本が詰め込まれている。独特のカビの臭いが充満しているが、これを好む人間とそうでない人間は分かれるだろうなと思う。エマは後者だが。

 人影もちらほら。城で働く多くの文官が資料を探しにやってきていている。本をめくる音が聞こえるほどの静寂の中、エマは呆けているデジーに囁いた。


「ここ、一応だれでも利用できるようになっているはずなんだけど、やっぱり城壁の内側にあると使いづらいわよね」


 エマの言葉も聞こえていない様子で、デジーは本棚に吸い寄せられていく。その様子にくすりと笑うエマは、ふとデジーの肩越しに見覚えのある人影をみつけ、どくんと胸がはねた。


 鋼色の髪と砂色の瞳をした人物が目に焼き付いた途端、駆け寄りたい衝動とともに、その場から逃げ出しいような気分にもなる。唇に指を当てると、瞬く間に全身に熱が回った。戸惑い逡巡するエマに、相手の方が気がついた。


「おや」


 目が合ったその人は、にこりと穏やかに笑う。エマのよく知る微笑みとよく似ているけれど、目尻に刻まれた皺が笑みに深みを足しているように思えた。


「……ヨルゴス、宰相閣下」

「おてんばなエマ王女が図書館で勉強とは珍しいね。雨でも降っているのかな」


 くつくつと笑いながら近づいてくるヨルゴスは、やはりアリスとよく似ていて、周囲の人間がほっとするような上品で穏やかな雰囲気を持っている。

 人違いに肩の力が抜けるのを感じたとたん、エマはこれはいい機会だと閃いた。父にも報告するつもりだったけれど、学院の状態を訴えるのには、これ以上の人物はいないのだ。


「この子を連れてきたのです。とても優秀で、学院に本が足りないというので」

「ふうん。まだ足りない? けっこう予算は割いているはずなのだけれどね」

「足りないです。というより……あの、文献が文学に偏っていて、私の知りたいことが載っている本がなくて」


 デジーの訴えに、ヨルゴスは目線を合わせるようにわずかに身をかがめた。


「君はどういうことに興味があるのかな」


 エマは傍目で見ていて、密かに感嘆の息を吐く。子ども相手でも適当に相手をしない。デジーが幼いアリスに重なって、なんだか心が温かくなってくる。アリスは、きっとこんな風に、大事に大事に育てられたのだろう。だからこそ、あんな風に真っ直ぐなのだと思えた。

 頬を紅潮させたデジーは目を輝かせてヨルゴスを見つめている。どうやら、国一番の頭を持つとささやかれる宰相は、こういった子には憧れの存在らしい。


「あ、あの、私、砂漠でも育てられる作物を作りたくて。アウストラリスは国土が広いのにほとんど不毛の土地ですから……でもどんな勉強をしたらいいか。学院では基礎しか教えてくれませんでしたし」


 デジーの言葉にヨルゴスは目を瞬かせる。


「君何歳?」

「十五です」

「へえ、そんなに若いのに品種改良に興味があるんだ? 感心だな」


 ヨルゴスがデジーを褒めると、デジーは感激しすぎたのか言葉を失った。そんな彼女にヨルゴスは書架から数冊本を選んでいたけれど、


「うーん、でも、ここにある本はさすがにちょっと難しいんじゃないかな。専門的すぎる」


 と眉を顰める。


「そんなことありません!」


 とデジーはむきになりかけたけれど、ヨルゴスが差し出した本を開いた途端、固まった。まるで暗号のような図式、数式ばかりが書かれていて、エマでも投げ出しそうなものだったのだ。


「こんなの、どこで教えてくれるんですか……これじゃあ、私、まるで井の中の蛙じゃないですか」


 青ざめて悲しげにうつむくデジーはどうやら自信を失ってしまったようだ。学院の中では卒業を許されるほど優秀で通っていたし、これ以上学ぶこともないと思っていたのかもしれない。突然現れた未知の世界に戸惑っているようだった。エマがヨルゴスを見ると、


「僕は独学だったけれど、そうだな。ジョイアや外国に行けばもっといろんなことが学べるかもしれないね」


 と少し考えこむ。


「ジョイアなんて、とても行かせてもらえない。学院に通うのも、やっと許してもらったのに」


 落ち込んだデジーの頭を軽く撫でると、ヨルゴスは温かい笑みを降らせる。


「君はアウストラリスの未来を担う、良い人材みたいだし、ここで枯らすのは惜しいね。……うん、じゃあ、ひとまずは僕が入門書になりそうなものを貸してあげようか。もう読みおわった本がたくさんあるから」

「い、いいのですか!?」


 卒倒しそうなデジーに向かって頷くと、ヨルゴスはエマを振り向き「じゃあ、あとで、この子を連れて僕のところにおいで」と言った。

 二人のやりとりに疎外感を感じかけていたエマは、まだ話の輪に加わっていたことに驚いた。


「私も、ですか?」

「君が連れてきたのだろう? 責任をもって家に送り届けないといけないよね?」


 穏やかな言葉に柔らかな眼差しなのに、どこか有無を言わせないような迫力を感じる。なにか違和を感じつつも、気圧されてエマは断りの言葉を探すのをやめた。



 だが、その違和感の正体にはすぐに気がつくことになる。

 図書館を出る頃にはもう日が暮れてしまい、夕食の時間になっていた。訪問を取り付けた時刻的に、おそらく晩餐が用意されているはずだった。

 エマが向かう宰相の塔は、王城の中央にそびえる三つの塔のうちの一つ。中央の王の塔を挟んで王妃の塔の反対側にある。

 父と母の住処と近けれどもあまり訪ねたことはない。あの場所にはエマが少々苦手な人がいるからだ。それは、ヨルゴスの妃であり、アリスの母であるシェリアだ。

 母メイサと仲が良いのだが、おっとりとした母とは真逆の性格をしていると思う。己の信念を貫くためならば、どんなことだって乗り越えていく、強く尊敬すべき女性。だが――強さの分、あちこちに尖っている。

 エマはシェリアが自分と似た性質をしていることを敏感に嗅ぎとってしまって、苦手意識が強い。

 しかもあちらもエマに良い感情を持っているようには思えない。幼い頃からよく怒られていた気がする。それはもう、母親よりもきつく、容赦なく。

 顔を合わせるたびに叱られた過去を思い出し、鬱屈を抱えながら重い足を運んだエマだったが、塔の中に案内されて、宰相の企みを知った。



「やあ、いらっしゃい」


 肘掛け椅子に腰掛けてくつろいだ様子のヨルゴスの隣には、アリスが座っていたのだ。


「父上!? 聞いていません。なんでエマがここに――」


 目を剥いて椅子から腰を浮かせるアリスを目で黙らせると、


「じゃあ、デジーだったかな。君は僕と上に本を探しに行こうか。妻も待っている。ゆっくりして行くといいよ」


 ヨルゴスはデジーを連れて上の階へと向かおうとする。

 夜に足を半ば突っ込んだ時刻。二人きりで部屋に残されそうになっていることに気づくと、どうしても先日の夜の恐怖がせり上がった。


「ま、待ってください、あの、私――」


(まだ心の準備ができてない! とにかくこんな時間に二人きりにしないで――)


 追いすがるエマだったが、


「心配しなくても大丈夫。アリスは立場を心得てる。そうだろう?」


 ヨルゴスはアリスに微笑みかける。そして、エマを見やると反論をはねつけるように言った。


「君たちは一度、落ち着いて話をした方がいいんじゃないかな」


 遮られて言葉を失う。交互に視線を向けられ、エマとアリスは浮かしかけた腰を同時に肘掛け椅子に収めた。

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