第2話 色とりどりの飴に囲まれて
エマの手の中の透明なガラスの器には、色とりどりの飴が入っている。
ガラスはこのアウストラリスの工芸品で主要な輸出品。以前は岩塩の輸出のみで国の経済を回していたらしいが、いつまでも貧しいままだとエマの父王、ルティリクスの代で産業の大きな改革が行われたのだ。
水晶のような透明な飴、はちみつ色の飴、柘榴色の飴、緑色の
そして中身の飴はありとあらゆる味がする。それらはエマの気分に合わせて作られているかのようで、アリスの人格そのままに思いやりにあふれている。
「……アリスって、やっぱりすごい」
そう思い知るたびに、エマは複雑な気分になるのだった。
エマの幼いころからの夢は、父のような立派な王になることだ。
エマにとって不幸なことに、アウストラリスでは女が王になった前例がほとんどない。建国まもない時期に、ごく短期間に女王が立ったこともあるらしいので、なれないわけではないらしいけれど……それはどうやら傀儡の女王だったらしい。
だからエマの望みを聞くと、大部分の人間が半笑いで流してきた。真剣に聞いてくれるのは父と母、それからアリスくらいのものだった。
だが、このところ風向きが変わってきた。十六になった今もエマは発言を取り消さない。てっきり子供の戯言だと思っていたらしい他の王位継承者たちが、エマの本気を嗅ぎとって慌てだしたのだった。
しかも、父王と宰相が、エマが漏らした何気ない一言から王位継承の儀の仕組みを変えた。そのせいで、特に年長者たちの首が締まってきている。
今まで明確な基準がなかった『王としての資質』について、基準を作ったのだ。
どの王子が王位を継承するかについては、これまで王族貴族で構成される元老院での投票で決まっていた。だが、そこにエマが「国民には問わないの? 民あっての国ってお父様もいつも言ってるのに?」と口を挟んだことから雲行きが変わった。
どの継承者がふさわしいか、民意を問う。民の意見を判断の一つに加えることになったのだ。
当然、今までどおり他の資質についても王位継承者は試される。武術に学問が優れ、加えて民から慕われる者が王者たる資格があると。父はそれにさらに付け加えた。「もちろん、男女問わずだ」と。
王と宰相はエマにもチャンスをくれたのだ。俄然やる気になったエマだが、他の王子たちは継承権争いに闖入者が現れて面白くないに決まっている。王が娘であるエマを贔屓していると思ったのだろう。
「お父様がそんな事するわけないじゃない?」
エマは笑いたくなる。そんな狭量な父ならば、エマがこれ程に惚れ込むわけがないではないか。
幼いころ帝王学の授業に混ざれずに、「男の子ばっかりズルい。仲間はずれは嫌。私だって王になりたい」とわがままを言って泣いたエマを、母は抱きしめて宥めたが、父は眉を寄せる代わりに不敵な笑顔を。慰めの言葉の代わりに激励を。涙を拭う手巾の代わりに剣を与えた。
『欲しいものがあるなら、自分の手でつかみとれ。強くなれ、エマナスティ――お前は革命の姫だ』
あの言葉があったからこそ、今のエマがあるのだ。だからこそ、エマは尊敬する父の期待に応えたい。
父は「お前の好きにすればいい」としか言わないけれど、エマが王になれば、きっと喜んでくれると思うのだ。
この国には王位継承権を持つものが五人いる。年の順に、ヘルメス、ミロン、アリスティティス、エニアス、それからエマナスティ。
過去に血で血を洗うような王位簒奪を繰り返したアウストラリスは長子相続ではなく、能力で王位を継ぐものを選ぶ。力こそ全て。王族の血を引いていれば、それが傍系であっても均等に王位継承の権利を持つのだ。
通常王が即位してからすぐに次代の王位継承者を決める。だが、祖父である前王が病で早々に退位し、父が即位するのが二十五歳と早かったため、次世代の王位継承者がまだ資質を見定められるほど育っていなかった。そのため、暫定でしか王太子が決まっていない。
父は暫定王太子など混乱のもとだと渋い顔をしている。自分に何かあった時はヨルゴス宰相閣下が王になればいいと公言しているのだ。それほどに父は宰相閣下を信頼している。口喧嘩ばかりだけれど、仲が良いのだと皆が知っていた。
だが、その環の中に入れないものが面白く無いのは当たり前だ。
暫定王太子であるヘルメスは、父の従兄の子で、継承権を持つ王子の中で一番年嵩の二十六歳。はっきり言うとどら息子だ。岩塩の鉱山を持つ家の財産を食いつぶし、好色が過ぎて身を滅ぼした父親そっくりの能なしだった。
誰もが彼の即位には反対だったが、それでもエマが王位継承に首を突っ込むのにもいい顔はしなかった。
現状、誰もが納得する次世代の王はアリス――アリスティティス王子だろう。
二十歳にして、あらゆる学問に通じ、政で忙しくなった父親の片腕となっている。そういった実績がある上に、冷静で穏やかな――アウストラリスの王にしては覇気が足りないという声も聞こえるが――人格も評価が高い。
つまり、彼はエマの強力なライバルなのだった。
彼が王になったら国はきっと良くなると思う。だけど、このまま引き下がるのはどうしても悔しいのだ。なぜなら、エマがアリスと根本的に違うのは、性別、ただ一つだけだったからだった。
エマはアリスほど学問は出来ない。だけどその分、剣の腕では勝っている。元は遊牧民であったアウストラリスの民は、多数の部族をまとめあげる強い王を好むし、その点ではエマが一歩抜きん出ている。
そういった美点を伸ばし、歳の差の四年分、必死で頑張れば、アリスに追いつけるかもしれない。追いつけば父のような立派な王になれるかもしれない。それなのに、可能性を女だからという理由一つで捨ててしまうのが嫌でしょうがなかったのだった。
エマが王様になりたいというと、他の男どもは笑うけれど、アリスだけは笑わない。だからこそ、エマは彼をライバルだと認めるのだ。
エマは種類がどんどん増える飴を、じっと見つめる。ふうと小さなため息をつくと、今の気分に最適なのは――と緑色の薬草飴を選んで口に放り込んだ。と、そのとき、
「エマ、稽古をつけてやる。用意しろ」
不意に頭上から降ってきた声に、跳ねるようにエマは顔を上げた。
見上げた先に燃えるような赤い髪が目に入ると、とたんに心が踊った。
「お父様! お時間取ってくださったの!?」
それはエマの敬愛する父王、ルティリクスだった。
赤い髪を揺らして覗き込まれる。鋭くも温かいまなざしに見つめられるとエマの頬が瞬く間に紅潮した。犬のようにしっぽがあれば、きっと千切れんばかりに振っていると自分でも思う。
「ああ。久々に稽古をつけてやってくれって、ヴェネディクトに頼まれた」
「ヴェネディクトに?」
「お前もう少し手加減してやらないと、あいつが死ぬ。もう歳だからな」
ヴェネディクトというのは、幼い頃からのエマの剣の師匠だ。技術はあるが、歳のせいで体力が落ち始めた彼は、ここ数年で「エマ殿下の相手はしんどいです」と音を上げることが多くなった。五十を過ぎているのだから当然ではある。
「でも手加減してたら上手にならないもの。お父様が教えてくださるのが一番だけれど」
上目遣いでねだると、父は肩をすくめた。
「あいにく、そこまで暇じゃない」
「じゃあ、もっと丈夫な人連れてきて。鈍っちゃったら困るもの」
「わかった。考えておく」
頷いた父はエマの膨らんだ頬を見て、それから手元の硝子の器を見る。
「その飴は、アリスか? また会いに行ったな? 俺の目を盗んでいつ会いに行ってるんだ」
鋭いまなざしで睨まれ、エマは「授業でわからないところがあったから聞きに行ったのよ」とごまかし笑いを浮かべる。だが、父は簡単に嘘を見抜く。
「じゃあなんで飴がある。アリスが飴を用意するのは、お前が泣いた時だけだろう」
言い当てられたエマは、言い訳した。
「だって、お父様がお母様ばかり大事にされるから」
父は呆れた様子でため息をつく。こういう時の返答はいつも同じだ。父はいつもどおりに答えた。
「あいつが居なかったらお前は存在していないが」
「そんなのわかってる」
「わかってるなら、もっと母様を大事にしろ。あいつの何が不満なんだ。あれほど出来た母親はあんまり居ないと思うが?」
臆面もなく母を褒める父を見ていると、エマはいつも憂鬱になった。
「……不満なんて何もない」
だから問題なのだとは言えずにエマは黙りこんだ。
(いっそ、ダメな母親だったらどれだけ良かったかしら)
エマの母であるメイサは、国一番の美人である。エマと同じ赤い髪に、茶色の瞳。だが、エマとは違って成熟した女性らしい体を歳を重ねても保っている、誰もが認めるほどの美女だった。だというのに、本人にまるで自覚がなく、人と接するときの垣根が低い。気さくに誰とでも別け隔てなく接し、懐も深い。父に惚れるなというのが無理な話である。エマだって母が大好きだ。惚れていると言ってもいい。父が母を伴侶に選んだわけが嫌というほど分かる。
昔からエマは母に向かって「お父様と結婚したい」と言い続けているが、母は「そうねえ、お父様は世界一素敵だものね」とニコニコと惚気けるだけ。
そう――エマが決して勝てない相手、それが母だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます