第5話「それ……あ、うん。その弁当ってさ、確か白鳥の母さんが作ってんだよな?」

 まあともかく。

 それもこれもいつもの光景だ。

 慣れてしまえばどうということない。

 いつも通り、その祈りのような何かが終わる。

 そして彼女は箸を小さい口に運ぶ。次々と運ぶ。

 その顔は……先ほどの真剣な様子とは違って柔らかに笑顔で、とても幸せそうだった。


「…………」


「…………」


「……美味し」


「…………」


 可愛らしく穏やかな顔を浮かべている白鳥。

 それになぜか、俺は違和感を覚えた。

 脳を経由せず、音が口から出る。


「……なあ」


「? っん……はい。なんですか?」


「それ……あ、うん。その弁当ってさ、確か白鳥の母さんが作ってんだよな?」


「え、はい。そうですよ?」


 白鳥はもう半分ほどなくなっているハンバーグを箸で指す。


「ああ、うん。まあそのハンバーグもなんだけどさ。今日の弁当ってなんか結構量あるじゃん。それも全部親が作っていたりするのかな、なんて思って」


 結構前に聞いた話。

 確か……白鳥本人が言っていた。

「毎日の楽しみが母の弁当なんです!」とかなんとか。

 そんな調理師免許を保持している自分の母母親について、それなりの賛美な言葉をいくつか拝聴した記憶があった。

 さらに言えば、そういえば俺自身が過去に何度かその弁当を頂いたとき、それのあまりなうまさにひっくり返るほど仰天した——なんて体験を、具体性を持って想起できたあたり、おそらく、彼女の弁当が『母親作』なのは間違いないだろう。


 そして、そんな思考連鎖の果て、俺は先ほど湧いてきた違和感の正体を掴んだ。

 いつもなら、その彩や、大きさ、栄養バランスにまで。

 素人目から見ても、細かなこだわりが垣間見える美しいそれだったものが、しかし今日の弁当は何か違った風に思えたのだ。


 弁当箱はいつものピンクの可愛らしいものではなく、それより少し大きい。

 色も黒を基調とした二段弁当だ。

 中身も、唐揚げやハンバーグなどの茶色の色が強い。

 そのせいなのかどうかは知らないけれど、どこか彩や栄養面を欠いている……気もする。

 なんというか……子供が好きなものを詰め込んでみた——みたいな、そんな感じ。そんな中身。

 中には形自体が不恰好なものも、ちらほら伺える。


 俺はそんな思ったことを呟くように言いながら、もちろん気を遣って傷つけないような言葉を選びながら。

 パンをかじった。


 ……とはいえ、まあ、こんなのほとんど適当である。

 あくまでなんとなく思った疑問で、ふと思った質問で、つまり俺としてはどうでもいいことを暇つぶし程度に聞いてみただけ。


 日常会話の延長線。なんて事のない会話。

 それに過ぎないもので、真剣に捉えられても逆に困る。



 しかし、困ったことに、どうやら彼女は俺のセリフごときを軽く捉えなかったらしい。


「驚きました」


 というセリフを、本当に驚きながらいう奴を俺は彼女の他に知らない。

 白鳥は、いそいそと口元に運んでいた箸の動きを止めて、まっすぐ俺を見る。


「……なんだ」


「あ、いえ。すいません。あのですね、そのですね。実はですね。二、三日前からなんですけど、私、お弁当自分で作ってるです」

 まだまだ全然へたっぴですけど——

 

 なんて可愛らしい照れ笑いを添えて、彼女は言った。


「でも、やっぱりお母さんみたいにはいかないですね。全然美味しそうじゃないです」


 そしてまた、自分の弁当を隠すように箸をいそいそと動かし始めた。

 それはまるで恥ずかしいものを見せてしまった——みたいな。

 そんな申し訳なさを前面に出した箸の動きであった。


「——っと」


「え?」


 俺は——彼女の弁当からきんぴらごぼうを一掴みし、それを口に運ぶ。

 口に入れ、ゴボウを噛み切る。

 その風味が口から鼻へと広がり、弾け、空気と調和し優しげに胃の中に収まった。

 飲み込む。


「……うん、全然うまい」


 本音だった。

 さすが親子だな、と心の底から思った。


 作り方が一緒だからだろうか。

 味と見た目までそっくりだと、本気で思った。


「ほ、本当ですか?」


「おう」


 俺は嘘はつかない。

 というかつけない。


 なんとも容易に人の嘘を暴く人間が近くにいる弊害なのだろうが、高校生になって以降、結構な正直者になってしまった俺である。

 そんな説明を加えて、再度美味であると言う主張を適当に伝えると、彼女は満開の笑顔を浮かべた。


「それは良かったです」


「いや、普通に、ほんとうまい」


 もぐもぐ。

 食感を楽しみつつ口を動かして答える。 


「でも、それ、お母さんが昨日作り置きしてたやつなんですけどね」


「…………」


 こけそうになった。


 ……なんだ、こいつ。


 白鳥がボケるなんて、これまた珍しいこともあるものだ。


「えへへ……」


 そんな緩んだ表情を浮かべているところを見ると、どうやらそれは天然の産物らしかった。

 俺は少しずれた席を元の位置に戻す。


「まあ、はい。確かにきんぴらごぼうとか卵焼きなんかは……昨日の残りで、お母さんが作ってくれたやつなんですけど……。それでもこのお弁当の半分ぐらいは自分で作ったやつなんです!」

 例えば……そうです!

 このハンバーグとか、結構頑張りました!


 なんて。

 彼女が先ほど食べたものとはちょっと違う。

 先ほどよりも不恰好に映るハンバーグを、箸でつまんで見せてくる。


 未だ、ゴボウ特有にあるその歯ごたえを楽しみながら、それを見た。


 確かに所々焦げている部分が見える。

 黒こけている表面は、その内側までがしっかりと生でないことがよく伝わる。

 上にかかっているソースも、所々黒焦げが混ざっていてゆっくりとハンバーグの体を撫でていた。

 あれがきっと苦味を醸し出してくれる素晴らしいスパイスになるのだろう。

 匂いも……おっと。なかなかどうして、ハンバーグが醸し出す特有にある食欲が刺激される暖かな香りがする

 ……わけもなく、小学校の頃に嗅いだ、給油型のストーブから出る、あの特徴的な焦げぐささに似た匂いが鼻を通って、非常にノスタルジーな気分へと誘われた。


 …………いや、まて。

 これじゃダメだ。

 しっかりと、はっきりと。

 ここは言っておくべきなのかもしれない。

 文字だけだと伝わるものも伝わらない。

 先ほどの遠回しな表現方法は、きっと日本人として長年生きてきたことでいつの間にか獲得してしまった『忖度』というなのステータスなのだろうけれど、しかし、それでも。

 能力というのは使うべき場面とそうでない場面を見極めてこそ、力を発揮するものだろう。


 そしてきっと、今はその場面ではないはずだ。


 だからまあ。

 ありのまま。

 正直に目の前の物体を表現するけれど。

 えっと……。

 つまり……。

 うん。

 ……まあ、はい。

 ほとんどが黒かったです。

 めっちゃダークマターです。


 焦げているところしかないと言っても全く過言じゃないほどに、間違いなく限りなく、黒かったです。

 これが許される料理は、せいぜい飯盒で焼いたご飯ぐらいのものだろう。

 それも、きっと、全てが黒くてはダメだろうが。


「あの……よかったら」


「…………」


 どうしよう。

 ここで断わりの言葉を述べるのは確かに簡単だが、しかしそれだと何か男としての大事なものを失う気もする。


 かと言って、俺は別に特別お腹が空いているわけでもない。

 今日の朝に食べた唐揚げがなかなかの自己主張をしてきており、すでにパン二つを完食した俺としてはあまり進んでそれを食べたくはなかった。


 ……いや、わかる。


 そんなに気にするほどの量でもないのはわかる。

 確かに目の前にあるハンバーグの大きさは市販で売られているミニハンバーグのようなものではなく、夕飯の食卓で出されても全く遜色ないぐらいの大きさ。

 パティと呼んでも差し支えないほどに立派なハンバーグである。

 さらに言えば、だ。

 俺は育ち盛りの身。食べ盛りの男の子なのだ。

 ハンバーグの一つや二つ、口に無理やり詰めれば、まあ胃の中に入らないことはきっとない。


 しかし——しかしだ。

 再度逆説構文(そんなものはない)を駆使してなおも言わせてもらうけれど、一つ、わかって欲しい事実があった。

 えっと……なんというか。

 わかるかな。

 

 今の口が、全くハンバーグ口していないのだ。

 ハンバーグ用にできた口ではないのだ。


 どちらかというと、先のきんぴらゴボウのように、あっさりとした軽くて少なくて、さっぱりしたものを欲している口なのだ。

 少なくとも、間違いなく、黒焦げたハンバーグなんていう重量級のモンスターを入れる準備などできているわけないのだ。


 何を言っているのかわからないという人はきっと全く共感できない部分の話なのだろうけれど、ただ、理解できないまでも納得はしてもらいたい。

 要はだ。

 今、俺はこのハンバーグをそこまで食べたくないのである。


「えっと……」


「…………」


「悪いけど――」


「あ、いらないですよね! そうですよね! ごめんなさいです! 変な気を使わせちゃって! こんな失敗作を人様に食べさせるなんてどうにかしてたました。えへへ。大丈夫です。大丈夫です。心配しなくても私がちゃんと処理します! 純也くんは気にしないで自分の食べたいものを食べてください!」


「――いただきます」


 苦いだけで普通に味は普通に美味しかった——と思う。

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