第4話「悪いけど――」

 ——数学って将来の役に立つんですか?


 みたいな。

 思春期ガイドブックを作ったら間違いなく上位に毎度の登場を見ることになるだろう疑問。

 それを今、もしこの場で突然投げかけられたとしたら、さて。

 目の前にいる先生はどんな答えを返すのだろう。


 そんなつまらないことを考えていたらいつの間にか午前中が終わっていた。


 つまり、現在昼休み。

 俺は一人の女性徒と席を囲んでいた。


 山紫……ではない。

 あいつは結局朝の時間、わずかに話してから、ずっと姿が見えない。

 邂逅以降。

 いつしか周りに顔だけは見知ったクラスメートがちらほらと着席していって、言葉を交わして、挨拶をして。

 そして最終的に。

 ほとんどの生徒が席に座った状態になって、定刻通りHRが始まって。


 一限、二限と、そして当たり前に三限目が終わるも、しかし、山紫の姿はその気配すら感じることなかった。


「もしかして今日見たあいつは何か生き霊的なものだったんじゃないか……?」


 そんなわけのわからないことを心に思ったりしながら、そしてついぞ、この昼休みの時間まで彼女は教室にその姿を現すことがなかった。


 ……何なんだあいつ。


 そんな感じで。

 なんだか背筋が寒くなって気がしなくもないので、考えることを放棄した。


とにかく何より昼休み。

 お昼の休み時間である。

 

 つまり今は弁当を食べる時間であり、

 学校内において俺がまともに意識を覚醒しているという、なんとも貴重な時間だ。


 ここからは心底どうでもいいことなので聞き流してもいいが、ちなみに俺の昼飯はパンだ。

 パンと名のつくものであれば基本的になんでも好きな俺なのだが、しかしそのパンの中でも特にこのミルクフランスに関していえば一日に二本以上食べなければ即刻発作が起きて死んでしまう悲しき運命を背負っている。

 愛しているといっても全く過言にはならない。うますぎる。愛してる。大好き。


 そんなこんなで目の前の恋人と愛を確認しつつ、俺はその一つ目のミルクフランスを口に放り込む。

 クリームとパンの絶妙なバランスが素晴らしく口の中で踊って、甘さに飽きたところに塩っけのあるパンの素材がまた絶妙な塩梅で口の中を楽しませてくれる。

 その、交互に来る味覚を楽しむため、閉じていた目をゆっくり開けた。

 前を見る。

 そこにいたのは……綺麗な女子だった。

 美しい髪と整った顔。

 きっと街を歩いたらほとんどの人が振り返るほど、可愛らしい雰囲気を身にまとった。 

 例えるなら——そう。

 天使のような美少女が、そこにいた。


 彼女は目の前に広がった弁当と、教室のドアを交互に見比べている。

 その動作は幾分か落ち着きがなく、どうにもそそっかしい。

 まだ箸にも手をつけていないみたいで、そこには箸が一切の汚れなく並べられている。


 時計を見る限り、昼休みが始まってもう十分は経つぐらいだろう。

 はてさてどうしたことか。


「——なあ」


「え、な、なんですか? どうしたんですか?」


 彼女が弁当に伸ばした手を引っ込める。

 自分の手を目の前であわあわとさせつつ、視線が泳いでいる。


 ……ん? 

 何してんだこいつ。


 そんな怪訝な表情が表に出ていたのか。 

 最終的に彼女は言い訳をするように視線をそらして、彼女は口を開いた。


「べ、別に二人が来るのが耐えきれなくて、まだかな、そろそろかな、なんて思ってて、それでとうとう我慢できずに先に食べようとなんて——私してないですよ?」


「いや、俺、何も言ってないけど……」


 つまりそういうことらしくて。

 なんとも彼女らしい理由だった。

 

 俺は小さくため息をつく。

 少しだけ頭を動かして言い訳を用意してやることにする。


「まあ……あれだ。あいつら多分来そうにないし、先に食べたほうがいいんじゃね?」


「そ、そうですかね……」


「だって……二人とも見る限り欠席だろ。HRからいないんだから」


「でも、先生言ってましたよ。『何も聞いてないから二人とも多分遅刻だろうな』って。さっき聞きに行きました」


「いや、でも……もう昼休みだぜ。流石のあいつらも今から来るほど馬鹿じゃないだろ」


 山紫なんていう宇宙人のことなんかは特に知らないけれど、赤崎に関して言えば間違いなく今日、ここに来ることはないだろう。

 仮に俺がこの時間に目が覚めたとして、わざわざ学校になんか行くわけがない。

 もうそれどころか、ベットから出る気力などすっかりなくして、むしろ一日そこから出ない決意を強く固めてしまうまである。

 そもそもあの二人が『遅刻するぐらいなら休む派閥』に所属していることをこの二年弱の経験上、俺は深くよく知っているので、だから間違いなく、あの二人が今日ここに来るなんてことはない。

 ……のだが、しかし真面目で善良で性善説の動かぬ証拠と大真面目に揶揄されるほどの彼女だ。

 まさかそんな程度の説明をして、わかってもらえる訳も無い。

 だから、それに代わる、それなりの言い訳が必要なわけだ。


「……あー、あれだ。冷めちまうし食べたほうがいいと、俺は思うね」


「で、でも……」


「それに、さ。後からきたあいつらだって、もし自分が来るまで白鳥が待っていたなんて知ったら、それは結構責任感じると思うぜ」


「…………」


「後は……そうだな。うん。俺としても一緒に食べて欲しいってのはあるな。こうやって一人で黙々と飯を食べるのが、なんとなくきつい……かもしれん」


 少し周りを伺いつつ、そんな言葉を漏らす。

 苦し紛れにいったこのセリフなのだが、しかしこれはこれで普通に事実だ。

 まだ箸にも手をつけてない女子生徒を前に、次々とパンを食しているその男子高生の図は、はたから見なくても結構異様で、何というか、どことなく視線を感じなくもないわけだ。

 それも——その女性とがとんでもなく可愛い女子であればなおのことその異様さは際立つ。

 

 と。

 そんな俺の発言を受けてか。

 視線を俺の顔と、そしてクラスメートをぐるりと見るようにした。

 どうやら現状を理解したらしい白鳥は、俺に向き直った。

 少し申し訳なさそうな色が顔に見える。


「そ、そうですね。純也くんに迷惑かけてますしね」


「別に迷惑ってほどではないけどな」


 ちょっとめんどくさな状況だなって思ってただけで……ってあれ? 

 これって迷惑かけられてることになるのか?

 

 そんな自問自答を頭の上で並べながら、しかし。

 結局、古代からある有名な真理を表す言葉に従う形で俺は思考を放棄した。


 ……まあいいや。かわいいし。

 

 とにかくさておきとりあえず。

 結局、俺の言った台詞が、一押しになったようで、彼女は十分と少し遅れて、その控えめな弁当箱を開いた。


 小さな声で「いただきます」

 丁寧に手まで合わせていうあたり、育ちの良さが伺える。

 俺の周りにはまずいなかったタイプだ。


 例えば山紫。

 こいつは食事中に「この肉も私に喰われて光栄でしょうね」なんてことをほとんど本気で言っている始末で。

 赤崎に至っては何か感想を言う前にもう食べ終わっている。


 そもそも「いただきます」なんて言うセリフを高校生にもなって丁寧に言う人間なんかなかなかにいないのだろうけれど、しかし彼女はそれにだいたい五秒ぐらい(俺調べ)かける。丁寧にかける。

 良くもまああそこまであざとくアピールできるものだと、出会った当初、性格の悪い俺やクラスメートなんかは彼女のそんな姿を見て嘲笑していたワケなのだが、しかしこうして二年弱も付き合いを続けていると自然、それが人工的に作られたものではないことは容易にわかった。

 真剣に真面目に。

 しっかりと食べ物をいただこうとしているのだ、こいつは。


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