第12話「「え……何が?」

 時は流れて一時間後。


 俺たち二人仲良く職員室前の廊下に立たされていた。

 そのというのが、映画研究部の男衆であることの説明は、きっと蛇足だろう。

 まあ、隣の赤崎はほとんど寝ていたところを取り押されたため、そのままこうやって地面に死んだように意識を飛ばしているわけで。

 だから実質、ここで罰を受けている人間は俺一人だけだった。


 ……つまり。

 冷やかしや哀れみ、その他、笑い者の種として手ひどく扱われている見せ物に成り果てているには俺だけだった。

 時間は放課後もとうにすぎた頃だというのにいかんせん、あの騒ぎがあったせいだろう。

 まだ校内には結構な数の人間がいて、それら全員から例外なく笑われている今だった。


 ……というか。

 今時。 

 こんな生徒指導がとやかく言われる今時に、生徒を廊下に立たせるとは、この学校は正気なのだろうか。

 感覚が昭和で完全に止まってやがる。

 最近だとドラえもんだってそうそう描かれない描写だろう。


 そんな。

 そんな馬鹿なことを考えつつ、

 目をつぶって現実を逃避しつつ。

 周りに意識を向けないようにしつつ。

 そうしないと、羞恥心など諸々な感情で、どうにかなりそうなぐらいに参っている俺だった。


 そんな時。

 また、一人、俺の近くまで来た。

 その声は高く、女子のものだとすぐにわかる。

 耳元にギリギリ到達する程度の大きさではあるものの、どこかクスクスと、そんな笑い声も聞こえた。


 くそっ。またか……。


 悪態をつき、舌打ちをし、不満をあらわにする。

 しかし、そんな態度が余計、聞こえる笑いを増やすことは目に見えている。

 だから——俺は、せめて目だけは合わさないよう、閉じていたまぶたを一層深く閉じて、視線を伏せた。


 嘲笑か。侮蔑か。あるいはただの嫌悪か。

 キャラクター上、俺たち映画研究部の面々は白鳥を除いて敵が多い。

 敵というか。

 悪目立ちしがちな俺たちだ。

 まあ、もともとの悪行のせいもあるのだが、特に俺と赤崎は悪評だらけだ。

 その名前を知らない人間は校内にいないぐらいには問題児として名が売れてる。

 まあ……売れてるといってもとんでもなく安売りだろうが。

 寝転がっている変態とは違って、俺の場合、別に人前に立つことが好きでもないので、こういう状況は地獄以外の何者でもない。

 だから——そう。

 そんな羞恥心を耐えるよう、必死に俺は心を空っぽにして耐えていた。


 時間が過ぎる。

 

 ——十秒……二十秒……三十秒。

 

 なかなか消えないささやきのような笑い声は、むしろ、時間が経つほど大きくなっている気がする。

 大きく、デカく…………いや、待て。

 これは少し、種類が違う。

 大きくではなくて、近く……なってる気がする。

 というか、もうこれは近いとかそういうのではなくて、もう隣にいるだろう。

 気配が隣にあるだろう。

 

 ……えなんだ、これ。

 新しい煽りか。

 変な流行のからかいか。

 どうせまたあれだろう。TikTokの仕業だろう。知ってるんだぞ。大体あいつが全部悪い。

 そんな冗談を挟みつつ、しかしこれまた性格の悪い人間に絡まれたものだなんて。 

 そんな、関心半分、怒り半分で隣をチラリ、覗き見た。

 

 白鳥だった。


「…………」


 直立不動。

 相変わらず、可愛らしいその容姿をにこやかにして。

 隣に立っていた。


「…………」


 片や、隣。

 死んだ顔の俺。


「スー……スー……」


 その下。

 寝ているブサイク。


 そんな感じ。という感じ。

 いつの間にか——奇妙な三人組が誕生していた。

 爆誕である。


「……いやおい」

 何してはるんどすかね? 白鳥さん。


 当然、指摘せずにはいられない。やめられない。

 そもそもだ。

 俺と同じで、目立つことがあまり好きではない白鳥なのだ。

 それが……一体どうしてここに立つ。


 別に観測できるわけもないので適当なことを言えば、きっと彼女が立っている場所は、瞬間風速的に現時点、地球上で最も恥ずかしい人間の隣だろう。


 全くもって意味がわからない。

 だからこその指摘だった。

 ちなみに京都弁の理由は全くない。

 

 白鳥は、そんな一連の指摘、俺の言葉を受けてまた一段と微笑む。

 声を出して笑う。


「……ふふっ」


「…………」


 さて。

 いよいよ白鳥様が壊れ申したぞ。

 

 善人がいきなり狂人に早変わりしてしまった恐怖体験エピソードなんて、きっとどんなテレビ局も受け入れてくれないだろうけれど、しかし当事者にとってみればもうぶっちぎりで恐ろしい事態なことは伝わってくれるだろうか。

 あの……ちょっと先生方。

 お忙しいところ大変申し訳ありません。

 とっても命が惜しいので、ちょっとここから逃げてもいいでしょうか?


 そんな言葉で職員室に駆け込みたい衝動をぐっと抑えていると、また、隣から声が聞こえた。


「——純也くん」


「あ、はい」


 その声はとても穏やかで。

 いつもの白鳥報瀬のもので。

 だからきっと、反射的に俺はいつも通りに答えていた。

 彼女は頭を下げる。

 その後に――続く言葉。

 それも、なんとも彼女らしい言葉で


「ありがとう、ございました」


 と。

 しっかりはっきり、お礼を言った。


「…………」


「……………」


「え……何が?」


 聞き返した俺の質問に答えはない。

 それでも白鳥は笑顔のまま。

 そして俺の顔を見ていた。

 ゆっくり、横を、窓を、外を見ている。

 

 そのまましばらく経って。

 人通りがピタリと止んで。

 静かな廊下になって。

 そして、彼女は口を開いた。


「映画——」


「…………」


「大好評、でしたね」


「ああ、そうだな」

 まあ当然と言えば当然なのだが、それでもまさに赤碕様様と言えるできだった。


「……ですね。あれをほとんど一晩で作っちゃたなんて、本当に赤碕くんはすごい人です」


「だな」


 唐突、呻くような謎の音が、下から聞こえた。

 え? 別に、何も蹴ってないですよ……?


「結局あの先生……やめるみたいです」


「へえ」


「私……本当に驚いちゃいました。あんなドラマみたいに警察が人を取り押さえる場面って、なかなか見れないものですから」


「ほほう。そんなのがあったのか」


「ええ。もうほんと、凄かったんですよ」


「そりゃ見たかった」

 

 まあ、あの往生際の悪い性格だ。

 観念なんかするわけもなく、校内を派手に結構逃げ回ったことだろう。 

 

「なんかちょっと……かわいそうでした」


「かわいそう、ね」


「でも、まあ、そうですね。仕方ないかもしれません」

 あんな暴言を生徒に吐いている映像を映画の合間に流されてしまっては……。

 

 と、苦笑いのような微笑みで彼女は言った。

 きっと、思い出しているのだろう。

 あの映画。

 本来一週間後に作るはずだったアニメーション映画を急ピッチで完成まで仕上げたその映画。

 魅力的なタッチと、驚嘆するほど丁寧なシナリオに、きっと魅入られていたのは生徒だけではない。

 だからこそ、それに挟まる形で流れた放送室の中継映像を、みんな見てしまったのだろう。

 全校生徒どころか、学校の教員だって。

 それを最後まで見てしまったのだろう。

 

 見ていないのは——俺と、あいつ、二人だけだ。

 

「でも——それもそうだな。それだって……なあ? どうせあいつが全部仕組んだことだろ」


「……あいつ?」


「山紫」


「あー……。はい。きっとそうですね。やっぱり薫ちゃんはすごい人です」


「な。ほんとな」


 上映、集客、大衆操作、演技指導、証拠偽装、証拠提示、そして……警察への連絡。


 ……面白そうなところは結局全部やりやがって。


 昔っから、ほんとあいつは根っからの黒幕気質だな。

 ——なんて。 

 俺はそういえば外すのを忘れていたピンマイクを、そのワイシャツから取り外しつつ、思った。


「とりあえず」


「おう」


「廃部の話は、なくなりました」


「……そうか」


「今後も……あの部室は使っていいそうです」


「それは良かった」


「部費も……そのまま据え置きでいいとのことです」


「あいつの映画見せられちまうとな。活動実績なんてイチャモンは難しいだろ」

 まあ、何はともかく助かった。

 俺たちは運がいい。

 まだあのオアシスを明け渡すのは俺だって嫌だったんだよ。

 いやほんと。

 ラッキーとしか言いようない幸運だな。


 ピンマイクをポケットにねじ込みつつ、俺は言う。

 盗み見た白鳥の表情は……何故か心なしか暗かった。


「ははは。ええ、そうですね。確かにラッキー……です」


「……どうかしたか?」


 最初から。 

 隣に来た時から、どことなく元気のないのは察していた。

 ……が、一応隠そうという意思は見えていたので、だからここまで触れずにいたのだが。


 しかし、今。

 言葉にしっかりと彼女に現れていた。

 現れて、しまっていた。


 俺はゆっくり、慎重を期して彼女に目を向ける。見る。

 

 驚いた。


 白鳥報瀬は——泣いていたのだ。


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