第11話「……あ、すいません。人がそんなに近くにいると思わなくて」

 大変珍しいことに、本日の俺は意識が覚醒している状態で席に座っていた。

 しかし、それ以外は大体、いつも通り。

 あまりにやる気の感じられない担任様の締め言葉を聞いて。級長の挨拶を聞いて。

 そして、すぐ様。

 俺は教室を飛び出した。


 目的地は——放送室。

 流石の根回しだ。

 いつもはこの時間、帰る生徒に向けた放送を行っているこの部屋は綺麗にガラ空きで、

 さらに鍵は開いたままであった。

 一応、俺は周りを警戒しつつ、その扉をゆっくり、開けて、入り、そして、中から鍵をかけた。


「……さて」 


 多くの機械。

 音声機械。

 それらの中から目星をつけ、前に立つ。

 ここに来るのは数回目になるが、しかしどうにもこのスイッチを入れる時が一番緊張するのはなぜだろう。

 押してしまって、そして言葉を話し始めてしまえばもう問題なくなることは重々承知の上なのだが、いつまで経ってもこの震えは止まらない。

 きっと、慣れるものでもないのだろう、こういうことは。


 そんな風に、という風に。

 自分に言い聞かせるようにまとめた俺は、それでも最初の頃よりは、はるかにスムーズな動作でそれらのスイッチを入れ、机に入ってあったUSBメモリーと小型カメラをコードに刺す。最後にマイクをセットした。


 ——ピンポンパンポーン


 一瞬遅れて、大きなチャイム音が校内に響く。

 ここまで聞こえる。

 俺は大きく息を一つ。

 吐いて。吸って。

 そして——吐いた。


『えー、はい。みなさんお久しぶりです。あの大鬼ごっこ大会以来だいたい二ヶ月のご挨拶ですね。映画研究部です。いかがお過ごしでしょうか』


 この放送中の静かな喧騒はなかなかに俺の緊張度合いを高めてくれる。

 しかし、やはりこの緊張自体も一瞬でその後は練習通り、口が勝手に動いてくれた。


『では、皆さん。本日もいきなりになってしまい大変恐縮なのですが、ぜひ楽しんでいただけたらと思います。……あ、もちろん三年生は受験勉強の方が大事なのでさっさと帰ってくださいねー。仮に受験に落ちても当方は全くの責任を負いませんから』


 校舎の中から少し笑い声が聞こえる。

 ……よし、つかみは上々だ。


『ということで、場もいよいよ温まってまいりましたのでね。早速本日の企画。『映画鑑賞会』始めさせていただこうと思います。時間は三十分と短めですが、それでもご好評いただいた前回同様に内容はとても濃いものになっていますのでぜひご期待ください』


 俺はちらりと窓を、そしてその先の屋上を見る。


 一……二……三……。

 三回だな、よし。

 

『それでは早速みなさま踊り場の方をご注目ください。最初の数分間に軽いCMを挟んだあと、三分後に上映開始となります。ポップコーンとコーラの準備をお忘れなく。ぜひお楽しみください』


 そこで俺はマイクの電源を切った。


 そして——ジャストタイミング。

 放送室のドアが叩かれた。

 激しいノック。


 もし、マイクの電源を入れたままにしていたら、その音が入ってしかねないほどだ。

 そのノックと共に激しい声が耳に響く。


「おい、開けろ多和田! お前がそこにいることはわかってるんだ!」


 まあそりゃわかっているだろう。他の誰が放送してると思ってんだ。

 特別焦ることもない。

 予定通り……いや、想定内の行動だ。

 ゆっくりそこに向かって、そのドアの施錠を解除。

 そして、ドアを前に開けた。——思いっきり蹴って。


 ——ガンッ!


 当然。

 目の前にいる誰かに扉は当たったのだろう。

 が、そんなことは俺の知ったところではない

 そろそろ、向こう側を覗き見る。

 まあやはり想定どおりに、そこにいたのは『奴』で、頭頂部のハゲ頭を晒してうずくまっている。

 頭は見下ろしたときの方が、普通の時よりハゲだった。


「……あ、すいません。人がそんなに近くにいると思わなくて」


 笑いをこらえようと、必死に押しとどめたから変な声が出たかもしれないけれど、しかし思ったよりスラスラと言葉は出た。やはり台本は書かずに正解だった。


「き、貴様……」


 赤碕以外にその二人称を使う人間。

 それも冗談とか掛け合いとかそういう場面でもなく、単純なリアルの場面でそんなことを言う人間がこの世にまだいるとは。


 なんとも世界は広い。


 俺は充血した目と鼻から伝わる赤い血が目立っている顔を見て、そのこみ上げる笑いを噛み、そして、頭を下げる。


「すいませんでした。まさか前にいたのが先生だったとは……。あまりの剣幕に動転しておりまして……大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」


「……お前、目ついてるのか?」


 ……確かにこれは適当すぎか。


 大丈夫は百歩譲っていいとして、どう考えて見ても怪我はしている。


「本当すいません。悪気はなかったんですよ」


「…………」


 鼻を押さえたまま、睨み顔を見せるそいつ。

 あまりに謝意がこもっていない謝罪のせいで、その怒りはきっと相当な大渋滞を起こしているのだろうけれど、だとして、彼には何もできない。

 最初に言ったとおり、表面上、俺に悪意はないわけで、だから、悪いものを挙げるとするなら、それは俺ではなく彼の運だ。

 それを俺に当たろうものならそれは、間違いなく個人的私怨以外の何者でもない。

 はっきりとした問題行動だ。

 まあ……口が裂けてもそんな本当のことは言わないけれど。

 俺は彼に手を差し伸べる。

 体を起こしてやろうとする。

 意外にも素直に彼はその手を手に取った。


「……まあいい。私も大人だ、許そう」


 そのままのそりと立ち上がってジロリ、俺をにらんだ彼は、そのままのそりのそり、放送室へ入ってきた。


「代わりにこれは——没収だ」


「……っ」


 彼の手にあったのは俺が持たされていた——ICレコーダー。

 胸ポケットに入れていたのがよくなかった。

 きっと、手を取った時に見られたのだろう。


「はっ。小賢しく何を考えていたのかは知らないが、ま、所詮子供のお遊びってことだな」

 ふんっ——とそれを地面に叩きつけ、それを壊した。


 カランカランとレコーダーが跳ねて地面を滑る。

 虚しく底に残ったのは割れた残骸二つ。

 それを見て、奴は満足げに微笑んだ。


「じゃあ、多和田——そろそろお話をしようじゃないか」

 教育的なお話だ——と、一歩前に進み出た彼に合わせて俺は後退する。


「……何を、話すんだよ」


「おいおい、多和田。これは教師と教師の会話だぞ、敬語を使え敬語を」


「……何のことでしょうか?」


 さらに俺は近づいてくる彼との距離感を取るために後ろに数歩、下がる。後ずさる。


「放送室の無断使用は当然校則違反だ。知ってるだろ?」


「さあ」


「それにこれで三回目だ」


「でしたっけ?」


「そんな風にとぼけるのは自由だが、記録にはちゃんと残ってるんだ」

 やはり、お前も本当に馬鹿なんだな。


 笑って、目の前にうつるそのいやらしい笑みやセリフのイントネーションはねちっこくて、心底不快だった。

 

 彼は続ける。


「なぜか前回は停学程度で済ませられたが……まあ今回ばかりはそんなわけにもいかないだろう」


 細目。

 俺を見おろす小さい目。

 鋭い視線はしっかり俺に向けられている。


「あれぐらいのプレッシャーをかけた程度で焦ったのかどうかは知らんがな。やはり、お前にとってあの部活は大事だったのか。やはり、目をつけていて正解だった。……まあ俺が潰すわけもなく、結局最後は自分で自分の首をしめたことになったしな?」


「……どういうことだ?」



「——退学者を出すんだ。これでもうあの部活も言い逃れできんよ。間違いなく廃部だろう」


 彼は少し嫌に笑った。


「お前のせいで、お前だけのせいで、あの部活は廃部になるんだ。……ん? どうだ? 悔しいか? 悔しいだろ?」


 挑発でもして俺が殴ることを期待しているのか、顔を近づけてきて臭い息がこっちまで臭って不快だった。


「——俺はな。多和田」

 会った時から、お前の人生、めちゃくちゃにしてやろうって思ってたんだよ。


 憎悪が込められたその言葉と視線。

 薄寒い笑みと同時。

 彼は後ろ手に鍵を閉めた音が廊下に響いた。

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