第10話「……どういう、ことだ?」

 翌日。


 登校中、白鳥を見つけた。

 わかりやすいやつだ。

 見ただけでわかるほどに気を落としている。

 いつもは人に多く囲まれている彼女であるが、しかし周りも気を使っているのか、どうやら一人での登校らしい。

 少し早足で彼女の背中に追いつく。

 俺は、その頭を叩き——そうになったのは慌てて止めて、背中を軽く小突く。


「あ、純也くん……」

 おはようございます。


 と、こんな時でもしっかりと頭を下げて挨拶をしてくる白鳥。

 一瞬顔に笑顔が晴れたが、しかし、その心が曇りなのは見ただけでわかった。

 全く。

 本当に正直でわかりやすい。

 まあ

 だからこそ、俺みたいな変に難しい人間とでも、簡単に付き合っていけるのだろう。

 そんなことをふと思った。

 

「あの……」


「ん?」


 か細い声。

 耳元に届いた白鳥の声。

 そちらを目だけで向いた。


「今日……」


「おう」


「部活って……ありますよね?」


 もうほとんど泣きそうな顔をしていた彼女の顔がそこにあって。

 そしてまっすぐ、俺を見上げていた。

 「あの……」と彼女は言葉を続ける。


「私、先生になんとかお話をして、取り消してもらってきます。それでもダメだったら、せめて……せめて期限を延ばしてもらおうと思います。実はそのために今日、早く来たんです」


「……そうか」

 

「最悪、みんなにも協力してもらおうことになるかもしれません」


「……ああ」


「いろいろ、迷惑をかけてしまうかもしれません」


「……おう」


「今日のために……ほら。こんなビラを作ってきたんです」


「…………」

 

 普段抱えていないトートバックを開け、その紙の束を俺に渡してくる。

 

「後は私の友達と、知人と、先輩と、後輩ちゃんたちと……後、協力してくれそうな先生に当たろうと思ってます」


 夢中になって。

 目を大きく見開いて。

 子供が——大人に夢を語るみたいに。

 彼女は続ける。


「私たち、知名度だけはたくさんあるじゃないですか。だから、それを生かして協力してくれる人を集めて、声をかけてみて——」


「……白鳥」


「あ、そうです! 署名活動なんかしてもいいかもしれません! 今からだって登校する人は大勢ですから! ちょっと純也くん、これ持っててもらっていいですか? 今から紙とペンを持ってきます!」


「白鳥」


「あ、そうだ! この間みたいにまたあれ、やりましょうよ! あれ、校内大鬼ごっこ大会! 前回だってほとんどの校内の人を集められたじゃないですか! あの時と違って賞金百万円なんて用意できないですけど、でも……! 私、お年玉は全部貯金してるんです。だからそれを崩せば、きっとその半分ぐらいには!」


「白鳥」


「あとは、あとは——」

 

 その後も。

 言葉を続けて、案を出して。

 考えを巡らせようと必死な目の前の女の子は、とても——純で。

 綺麗で、まっすぐで。


 正しい。


 この期に及んで。

 どうしても、守りたいものが目の前で壊されそうなのにも関わらず。

 彼女は、人を騙すことや、操ることや先導することを考えない。

 最後まで人を信じて、周りを信じて、善を貫く。

 それはまるで落ちない星のように。 

 薄汚れた船頭たちを導く星のように、俺は眩しく見えた。


 自分が薄く笑っていることを自覚しながら。

 彼女に声をかける。

 

「なあ、白と——」


「……わかってます」


 言葉を出したタイミング。

 同時。

 出す案がなくなって黙りこくっていた彼女は、再び、上を向いて、俺をみた。  


「わかってます。こんなの、結局、ダメです」


「…………」


「うまく……いくわけありません」


「……だろうな」


「私、純也くんや薫ちゃんみたいに頭良くありませんし、赤碕くんみたいに何か、自分にしかできないことなんて何もないですから」


「……そんなことは」


「でも……!」

 それでも。

 と、白鳥は言って、笑う。


「それでも。……私、最後まで頑張ろうと思ってます」


「……うん」

 

「諦めません」


「ああ」


「部活、もっと続けたいんです」

 

 最後まで正しく。

 彼女らしく。

 白——らしく。

 

 彼女は自分の決意を胸に、俺を見た。

 笑った。

 

 そんな笑顔が眩しくて。

 俺はなんとなく目を逸らし、相槌を返すだけ。


 そんな俺なんかに、何か加わる言葉は当然ない。

 

「……じゃあ、私、ちょっと職員室行ってきますね」

 頑張ります——と、ほとんど自分に言い聞かせるように言った彼女。


 そのまま駆け足。

 足早に校舎に消えていった。



*****



 とりあえず。

 また珍しく早々と登校した俺は、自分の教室へ——ではなく視聴覚室に向かった。 

 視聴覚室なんて、普通の生徒であればまず行かない場所であるし、特別使う授業や部活動もない。

 だから当然、普通の生徒の一人である俺も、もちろん出向いたことなどなかった。


 しかし、今の俺はその場所へ向かっている。

 初めて、まっすぐ、迷わず、足を動かして向かう。

 手に持ったビニール袋を遠心力でぐるぐると回しつつ、鼻歌を歌いながら。

 そして、その前まで来た。扉を開ける。


「…………」


 ほとんど睨むように、PCの画面を見つめている赤碕の姿があった。


 厚手のカーテンのせいだろう。

 朝方の今でも、中は夜のように真っ暗で。

 ある光は画面のブルーライトに照らされている彼の姿のみだ。


 多分……何も知らない人間が今の彼を見たとしたら……まあ腰を抜かすか、あるいは病院へ連れて行くか。

 どちらにしろ、即座にケータイで三桁の数字は押されるだろう。

 それほどに奇妙で異質で不気味な光景だった。


 そして……どうやら、俺が来たことにはまだ気づいていないようだ。

 

 ……まあ、それならそれでいいか。


 と、俺は、彼の後ろに回り込んでそのPC画面を覗き見るも、その行為に特別意味はない。

 画面には複雑そうな動画編集ソフトが数個展開されていて、その動きを目で追うだけでも手一杯。

 俺には、その使っているPCがMacであることと、彼の装着しているヘッドフォンがとてもいい値段の代物であるということ以外、何もわからない。

 

 まあとにかく。

 どうやら、問題なく作業に熱中しているようだ。

 それならそれでいいのだ。

 むしろこちらもそれ以上は何も望まない。

 当然、何か邪魔をするつもりもなかったので、だから、俺はビニール袋を彼の隣の席に置くと、すぐに部屋を後にした。



 次に向かったのは俺たちの部室。つまり旧校舎だ。

 視聴覚室も旧校舎にあるので場所的にはここの階段を上がってすぐのところが俺たちの部室だった。


「——遅い」

 待ちすぎて待ちすぎて、ほとんどもう死ぬところだったわ。


 と、悪態をついてきたのは山紫。

 いつどこからどのように持ってきたのか。

 あるいはもともと備品として置いてあったのか。

 部室の大半を占領している大きめのソファにドカッと深く座っている彼女。

 片手には文庫本。

 もう一方の手には顎に当てられている。


「私を呼んでおいて一分も待たせるなんて、なかなかいい度胸してるじゃない」


「一分なら許せよ」


「時は金なり。忘れたの?」


「……でした。ごめんなさい」


「ほとんど極刑ものよ」


「すまんすまん。本当すまんて。先に用事をすませたかったんだ」


「……あ? 用事?」


「赤碕のところ」


「なんであの小猿に……。って、ああ。もしかして差し入れとか?」


「まあ、そんなところかな」


 俺はソファーに。

 彼女の隣に座る。

 同時、カバンから紙を数枚取り出して彼女に差し出した。 

 山紫がそれを一瞥だけする。


「……何これ」


「なんていうか……一応、みたいなもん。作ってきた方がいいと思って」


「…………」

 

 無言。

 その紙の束。

 五十枚に渡すその束をじっと見つめて無言を返す。

 手にあった本はまだ開かれた状態で、

「……ああ、なるほど。そうだったわね」


 と、一言だけ言って、彼女は固まった。


「そういえば、あなたがバカだったことを忘れていたわ」

 

 そう大きくため息まじりに言ってみせた山紫。

 いきなり何を言ってくれているのだ、なんて反論をしようとした矢先。

 初めて彼女が文庫本を閉じた。

 音を立てて閉じた。

 その様子から、彼女の相当な苛立ちを予想しつつ、それに少し蹴落とされながら。

 しかし、不服は申し上げる。


「……どういう、ことだ?」


「え、何。わからないの?」


 無表情、無愛想。 

 紙の束を受け取った彼女。 


「本当、馬鹿」


 そして、それを真っ二つに破ってしまった。

 ビリビリと。

 それを宙に投げ捨てる。

 それらは思いの外高く飛んで、散っていった。

 朝日の差し込む部屋ということもあり、見ようによっては幻想的な光景かもしれないけれど、しかしそんなことを感じる余裕なんかあるわけもない。


「……え、まじか」


 せいぜい。そんな情けない声を出す程度。

 

 一応だ。

 五時間ぐらいかけて作ってきたものが先の紙だったわけで。 

 それを見向きもされず破かれてしまったとなると、普通に怒りというか、理不尽に対する衝動は湧いて出てくる。

 しかし、あっけない。

 山紫の次の言葉によってそれらの感情は全てかき消された。


「あなたね。今から一体何するつもりなの? 論文大会? スピーチコンテスト? 相手は何も言葉を返さない愚物じゃないの。血の通った人間なのよ。事細かに想定状況を書いてみなさい。そんなの、紙が何枚あっても足りやしないわ」


「…………」


「それにね。台本ってあなた言ったけれど。それは討論や詐術において最もやってはいけないことよ。思考がこり固まっちゃうから。一辺倒な答えしか返せなくなる。もちろんアドリブに自信があるならそれでもいいけど、それだって、想定外な質問が来たときと、想定内な質問が来た時、それが違う回答速度になってしまうわけ。つまり結局、柔軟な受け答えができなくなるの。中途半端に考えるぐらいなら何も考えない方がまだマシよ。それぐらいしないと人は騙されてくれないわ」


「…………」


「あなたがこれからするのはね。会話なの。生きている人間との対話なの。いちいち、友達との会話で計画を立てる? 『今日はこれをきっかけに話しかけて、ここで話題転換をして、ここで人笑いとって……』なんて、そんなことをあなたは紙に書くのかしら。予定を立てて会話をするのかしら。言っとくけどね。それは友達のいない典型的なやつの癖よ。もし無意識にでも心当たりがあるならやめといた方がいいわ。会話にははあっても、はないの。それにね。舐めているようだからはっきり言ってあげるけど、対話というのは紙に書いた程度でうまくいくものではないのよ。もっと緻密で、本質に近く、奥が深いものなの。あなた如きが完璧にやろうとするなんて馬鹿らしいにも程がある。今すぐ反省するか、今すぐここから飛び降りるか、あるいは死になさい、この無能が」


「…………」


 何も、言えなかった。

 俺はそのまま、視線を下にそらす。顔を下にやる。

 そんな俺を見てどう思ったのかは知らない。

 まあ少なくとも同情だけはしていないだろう。

 こいつはそういう奴ではないことは、多分俺が一番知っている。

 とにかく。

 山紫はしばらくの沈黙後、大きなため息を一つついた。


「……まあ、でも、事前に思考を整理してきたって点では評価してあげなくもない、わね」


「……そうか」


 やはり、それが同情ではなく彼女らしい気遣いの産物であったことに気づいたのは、相当後になってからだった。


「まあいいわ。もうあまり時間がないし。じゃあロープレから入るわよ」


「……ああ、わかった。よろしく頼む」


 タイムリミットまでおよそ一時間——と言ったところだろう。


 改めて、俺は彼女が設定する状況説明を聞いた。

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