第8話「えっと……一応、これから部活、なんすけど」

 ある日の放課後だ。


 俺はいつものよう、白鳥に急かされながら自分の席を立つ。

 そういえば……今日も山紫の姿が教室になかった。

 並べて、赤碕の行方も午後からは見えなかったように思える。 


 授業中のほとんどを意識なく過ごしている俺が心配することでもないのだろうが、しかしあいつら、出席日数とか卒業単位とか、そういうのは大丈夫なのだろうか。


 というのも、だ。

 校則や規則がひどく緩いことで有名なうちの学校なのだが、しかし去年から我らクラスの副担任に就任しやがったおっさんが、なかなかに面倒くさい人間なのである。

 もともと国のお偉いさんなのか、話しかけてくる言葉や表情、仕草やその他言動からも滲み出るその高いプライドが、なんというか……ひどく癇に障る。

 加え、校則にもないことを自身の価値観に合わせて説教をかましてくるタイプでもあるので、だから、生徒人気はひどく悪いものだった。


 例えば、そうだ。

 俺や赤崎が第二次成長期を正しく謳歌するための睡眠を確保しようと勤しんでいる授業中にだって、その寝姿を見つけては容赦無く教版で頭叩いてくるし、

 俺や赤崎が仮病の体調不良を訴えつつ保健室に逃げ込んだところ、その真偽を確かめるため、保健室まで駆け込んできて無理やりに体温を測ってきたり、

 俺や赤崎が最近見たAV女優談義に花を咲かせている体育の時間中、どこからともなく現れて怒鳴り散らしてきたり。

 全くひどいものだった。


 ……いやまあ確かに、これだけ聞いてると、「お前らがなかなかにひどいだけじゃね」と言われてしまうことぐらいは理解できているわけで、だからその反駁のため、信用ある証人からの言葉を引用する。

 

 

 ある高校二年の女子。仮名、白とする。


「あー……あの先生ですか。あ、はい。知ってますよ。いろいろ有名な方ですし。……ん? どう、思うか、ですか? あ、あはは……。うーん、なんて言ったらいいかなぁ。とても真面目で厳しい方ですよね。とても個性的な方で素敵だと思います。……いえ、私はあまり指導されたことはないんです。むしろ、頼まれて、職員室なんかに物を運んだりする時、わざわざ紅茶なんか頂いたりしてるので……はい。そこまで悪い印象はないです。だから私個人としてはなんとも……。え、女子全体のの評判ですか? え、えっと、そうですね……。なんか人様の悪口を言うようで本当に申し訳ないんですけど……。これ、ここだけの話にしてくださいね? ……実は今、セクハラ紛いなことをされた子たちから相談を受けてまして……。大体全部で三人ほどなのですが実態はもっと大きいらしいです。……あ、でも被害者の方はあまり強く言えない子達ばかりなので、だから私も相談に乗るだけであまりお力になれてなくて……。あ、すいません、ちょっと話過ぎてしまいました、忘れてください。……あ、えっと、質問の答えですよね。……はい。ですから、そうですね。評判という話なら、その……あまり良くはない、と言うの結論でしょうか」


 ある高校二年の女子。仮名を宇宙人とする。


「……あ? あいつ。あのハゲ? 知らないわよ。興味もないし。……あーでも取られたゲーム機は返して欲しいかも。あれ、まだ売ってないやつなのよ。あー、そういえば、なんかあったかもね。ゲーム機返してくれるって言うからわざわざ職員室まで行った時に、何か暗に体を要求してきたりしたかしら。まあ黙殺して帰ってやったからよく覚えてないんだけど。エピソードとしてはこんなものね。……ねえ、そんなつまらないことよりも純也、今日うちに来れないかしら? 最近私……結構溜まってるのよ。久しぶりに一緒に盛り上がらない?」


 以上。

 信用度の高い二人からの証言だった。 

 まあ後者の方は置いておくとして、前者について言えば、彼女はもはや人格破綻しているほどに性格が良い人間なので、だからその先生が、いったいどれほどの悪評判で満ちているのか、それがよくわかるだろう。

 ちなみに蛇足にはなるが、最後一名の証言に関して言えば、ただ単に俺がゲームに誘われただけだと言う釈明させていただきたい。

 まあこの他にも、身体検査で体を触られただの、持ち物検査を偏見に基づいて行っただの、地毛の茶髪を無理やり黒にさせられただの、校内で飼っていた野良猫を捨てられただの、没収物を焼却炉に放り込まれただの、文句を言った先輩が停学になっただの。

 暴虐無人。

 その情報全てを鵜呑みにしてたら、第六天魔王もびっくりな悪人が出来上がるほどだった。

 

 とは言え、だ。

 そんな悪代官様とは言え腐っても元、霞ヶ関である。

 まさか、役人様を邪険に扱うわけにも行くまい。 

 と言うことでここ一学期、二学期とも、俺たち生徒は彼の目に怯えつつ、震えつつ、それでもなんとか、俺たちはいつも通り、自由で楽しい学校生活を送っていたと言う次第だった。

 

 ……と。

 そんな風に長々と語ってしまったわけだけれど、しかし、大変申し訳ないことに、俺個人としては彼の顔も名前も露ほどにだって覚えていない。 

 ただ、なんとなくの話を今日の昼。

 白鳥の弁当を摘みつつ、今日も来なかった二人を心配する文脈で彼の話をしただけであって、話の流れの中、最終的には周りにいたクラスメイトなども加わって、彼の悪口大会が始まって。

 そして、ようやくその全貌がわかってきたと言う話なのだ。


 ……うん、流石にやばいと思う。

 いい加減、周りに興味がなさすぎる。

 一応自分の副担任ぐらいは把握しないとまずい。

 はてさて、俺はいつからここまで周囲に無頓着になったのだろうか。

 

 と、まあ。

 話を戻すけれど、山紫と赤崎については正直そこまで心配はしていない。


 あの宇宙人はともかく、赤碕に関しては、最低出席日数というものをエクセル表にしてまでしてギリギリを攻めている男ではあるし(だから先日はあんなに怒っていたわけだが)実は裏で、学校側も、そんな彼が学校を休んでまでして行なっている活動を、咎めるどころか、むしろ応援してくれていると言う話なのだ。


 彼が無事、一年生を突破し二年になったことを俺は、同じクラスに彼が座っていることで初めて知ったわけだが、確かその際にそんなことを自慢げに語って聞かせてくれた記憶があった。

 その話が本当だと仮定するならば、何とまあ、相変わらずここは変な学校だと思う。

 まあそれでも、そんな優遇措置が納得できるほどのスキルを、彼は持ち合わせていることを知っている俺としては、特別驚くこともない。

 

 だから。

 残りの映画研究部の面々を考えてみると、

 白鳥なんかは当然のように無遅刻無欠席で優等生だし、どうせ山紫は勝手に一人でなんとかするのだろうから……つまりまあ、映画研究部の中で真の意味で留年の危機にあるのは俺ということになる。


 あれ……出席日数とか大丈夫だったっけ?

 なんか不安になってきた。

 今日、帰ったら確認でもしておくか。


 そんなことを考えながら、昼の時間、午後の授業の時間を過ごし。

 そして、いつも通り放課後、俺は習慣性に基づいた足に従う形で無感情のまま部室への道を歩く。

 白鳥と、そしていつの間に合流したのか山紫が、楽しそうな談笑をしているその背中を見つめつつ。

 うん、そうだ、今日は久しぶりに部室で本を読むのではなくて、試験勉強でもしようか。

 なんて、そんな皮算用をしてた時だった。


「君が——多和田純也くんか?」


「……?」


 友達の少なさゆえ、校内で名前を呼ばれることが少ない俺ではあるのだが、しかしもしかすると、こうしてフルネームを誰かに呼ばれたのは、二年生になってから初めてかもしれない。

 なんてことを思いながら俺は振り向いた。

 おっさんがいた。

 頭頂部のハゲが目立ち、スーツを着こなして下っ腹の膨らみをごまかしている、メガネをかけた四十代。

 綺麗なおっさんがそこにいた。

 周りを見渡しても、しかしこいつ以外、俺を見ている奴はいない。どうやらやっぱり名前を呼んだ奴はこいつらしかった。

 俺は少し緊張気味になりながらそのおっさんの方を向く。


「……なんすか」


「ああ、少し用事があってね。これから時間あるかい?」


「えっと……一応、これから部活、なんすけど」


「おお、部活か。それは済まないことをしたね。君は何部なのかな?」


「……映画研究部、です」


「おお、そうかそうか。映画を作ったりしてるんだな。いい趣味を持っているじゃあないか。私も昔の頃は——」


 そういって自身の映画話を始めた彼だったが、当然その続きは聞き流す俺で、それよりもどうしてこいつが俺に話しかけてきたのかを考えていた。


 どうやらこいつが不審者とかではなく、この学校の先生であることはわかったのだが、しかしだとして、どうして俺に話しかけたのか、何を目的にしているのか、さらには俺を見る目がどうしてそんなに媚びるようなものなのか、それら全てが全く見えてこなかった。


 ……後、ほとんどこれは蛇足になってしまうだろうが、俺はこういう人間はあまり好きではなかった。

 いわゆる大人——と言った感じで、奥の深いところを隠すような笑顔を浮かべる人間が俺は好きではない。

 それはもちろん腹の底がわからないことによる不安というものもあるのだろうが、しかし、そういう感情からくる嫌悪感でなくて。

 ただ、なんとなく、生理的にこういう輩が俺は苦手だった。こういう人間との会話は苦手だった。


 できれば……話を早く終わらせたい。


「あの……すいません」


 俺は声を出して彼の言を遮る。


「——と、済まんね、話が長かったかな。歳をとるといかんね」


「いえ……。あの、なにか要件がありましたでしょうか?」


 なんか変な敬語になってしまったのだが、まあこれはこれでいいだろう。

 社会を知らない学生らしく、敬語を知らない若者らしい。

 まさかそんなことを彼も思ったのだろうか。

 気持ち悪い微作られた笑みを崩すことなく、彼は頷いていた。


「ああ、そうそう。私は君に用があったんだよ。そうだったそうだった。思い出させてくれて、ありがとう」


「……はあ」


「それで、だ。要件というのはね……」


 そんな風に少し貯めて。

 気持ち悪い作り笑いを……いきなり無に変えて。

 彼は言った。


「——その映画研究部な。明日で廃部にするから、そのつもりでいてくれ」

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