第7話「なんでお前ここにいんの」
ほとんど毎日。
欠かすことなく。
大体の場合。
俺は放課後になると、溜まり場の『部室』で過ごしている。
たまり場——と言うからには、まあもちろん他の面々もここに集まってくるからこそ、ここが『たまり場』なりえているわけで。
ちなみにうち一人が、先の白鳥報瀬だったりする。
彼女も俺も、この部内では同じような立ち位置。
つまり形上は部に所属してはいるものの、そこで何か特別な活動に従事しているのかと言えばそんなわけもなく。
とはいえ、じゃあ何もしていないのかと聞かれれば、まさかそんなことはないぞ——と声を大にして叫べるぐらいは、部へ活動的に関わっていたりもする。
行く当てもなく。
したいこともなく。
さりとて時間を無意味に消費するのは何か違くて。
そんな部活動難民ハウスみたいな場所がここ——旧校舎三階再奥の部屋にある『映画研究部』だった。
俺は学校では珍しい、その特徴的な押し扉に力をかける。
少し軋んだ音が、旧校舎全体に響いた。
「――遅かったわね」
はてさて。
ということで紹介しましょう。
今、目の前のテーブルで、優雅に紅茶を飲んでいらっしゃる美少女様。
山紫薫。
今朝方俺にセクハラをしてきたエロめのお姉さん。
彼女を表現する形容詞は巷に溢れ出て限りないので、だから基本、俺が彼女を紹介するときには決まってこう言うことに決めている。
——山紫薫は『山紫薫』である。
もちろんそう表現するにたるエピソードもあるわけなのだが——しかしそれはまた別の機会に話すことにしよう。
「私の紹介は終わったかしら」
そんな風に人の心を見透かしたような彼女の態度も、こうして二年も一緒にいれば当たり前に慣れた。
俺は山紫のそんな言葉と視線を適当に受け流しつつ、自分の指定席——つまり彼女の前の席へ向かう。
「……なあ」
「何かしら」
「なんでお前ここにいんの」
「私も部員よ。忘れたの?」
「いや、そういうことじゃなくて」
朝に会ってから今まで。
あなたが一体どこで何をしていたのかを聞きたかったんですが。
そんな言葉とため息ひとつ。
しかし、俺はそれ以上何かを言うなんてことはなく、席にカバンを置いた。
「気になる?」
「別に」
俺は彼女から差し出されたカップを口につけた。
『山紫薫』という女が授業をサボって一体何をしているのか。
そんな問いなど、解いたところで仕方がない。
当たるわけもない予想をするなんて、そんな労力の無駄甚だしいこともない。
そもそも模範解答すらくれないのだから答え合わせのしようもない。
まず答え自体、ロクでもないことに決まっているのだ。
藪蛇ならぬ、藪女。
そんな風に彼女を呼んでいることがバレた先日は、それはもうえらい目に合わされたことが大変記憶に新しい。
ともかく、さておき。
これもまた経験則。
二年も一緒にいれば、大体にわかることだ。
だから俺は——どこか誤魔化しきれない好奇心を必死に見ないよう——紅茶を再度口に含んだ。
「薫ちゃん、こんにちはです」
「こんにちは、白ちゃん。今日も相変わらず可愛いわね」
「あ、ありがとうございます。薫ちゃんも、一段とお綺麗ですよ」
「うん、ありがとう。超知ってる」
確かにその笑顔は綺麗なのは認めるが、しかしそれに勝るウザさが綺麗をかき消してる。
彼女は自分専用のマグカップに口をつけつつ、俺を少しだけ見て口を開いた。
「今日は……純也くんと一緒に来たのね?」
「あ、は、はい」
「ふーん。どうだったの?」
「え?」
「お願い——したんでしょ?」
「え、えっと……」
「ちゃんと受けてもらえた? 作戦通り行った?」
「さ、作戦? な、なんのことでしょうなー?」
「あら、忘れちゃった? お弁当、お弁当作戦よ。『あいつは取引とかに弱いから弱みに漬け込んで無理やりに交換条件とでもすれば絶対首を縦に振るから』って言うあれ。昨日電話までして会議したじゃない」
「か、薫ちゃん! そんな簡単に全部言わないでください!」
「あら、言ったらダメなやつだった?」
「昨日あれだけ内緒って言ったじゃないですか~!」
半泣きになりながら可愛らしい赤面の白鳥と、薄い微笑でそんな彼女を楽しむ山紫。
そんないつもの姦しい会話を意識的に聞き流しながら、いつものように鞄から文庫本を取り出す。
えっと、今週は何買ったんだっけ
なんて。
取り出したブックカバー付きの本表紙を見ようとチラリ。
それをめくったと同時。
大きな足音がこちらに近づいてくるや否や。
勢いよく目の前の扉が開いた。
「——いや、起こせよ!」
ガンッという大きな音がまた静かな旧校舎全体に響く。
それだけでその勢いはよりよく伝わるだろう。
飛び出てきたのは、今朝方あったばかりの霊長類。
派手に散った寝癖に、整っていない不細工な顔。
何より……珍しく服を着ての登場であった。まあ今日は寒いしね。
俺の偏見に塗れた主観による情景描写だけだと、そんなあまりに変人極まりない彼へ向かって、俺は同じ哺乳類らしく丁寧に、爽やかに。
また文化人として適切に、適度に。
笑顔で挨拶をした。
「――おはよう赤碕、今日もいい朝だな」
「おいこら純也」
やはり野蛮人に言葉は通じないようで、残念ながら、おはようが帰ってくることはなかった。
それどころか、変な顔した赤碕がドカドカとこちらに向かってくる。
俺は反射的に椅子を後ろに持って行き、距離を数歩分とった。
「おい」
「なんだよ、こっちくんなよ」
「おいお前、なんで出るとき起こさねぇんだ。普通、一声ぐらいかけるもんだろうが」
「え、いや……だってお前気持ちよさそうに寝てたし」
「そりゃ確かによく寝れたけども。いつもよりしっかりと疲れは取れたけども」
「だろ?」
「いや、気遣いの方向ぶっ壊れすぎだろ」
「でもお前疲れてたじゃん」
「ああ疲れてたよ。主にお前のせいでな。お前が朝六時にインターフォンで叩き起こしたせいでな」
「だからせめてもの謝礼にぐっすり寝かせてやっただろ」
「いよいよ頭狂ってんのか、貴様」
「お、また出た貴様」
「寝るなら学校で寝てもよかっただろうが……!」
「でも、家の方が疲れ取れるぜ?」
「家だと卒業単位が取れねえだろうが!」
「そんなのいいじゃん別に」
「そんなのいいじゃん別に? え、そんなのいいじゃん別にって言ったのお前? そんなのいいじゃん別に?」
信じられないようなものを見る目で俺をじっと眺めた赤崎。
「起きたら授業全部過ぎてた時の衝撃ってお前すごいんだぞ? 一瞬『あ、まだ寝れるな』なんて勘違い起こすぐらいにすごいんだぞ?」
まだまだ言い足りないことだらけのようで、漏れでる不満と呪詛的言葉を吐きつつ、俺に言葉をぶつけてくる彼。
実にレパートリーが少ない罵詈雑言に半ば飽きだした俺ではあったが、しかし、彼の主張することに反論の余地などないことは間違いない。
なので俺は、それらを甘んじてそれを受け入れることにする。反省することにする。首を少し垂れることにする。
あー……それにしてもこの季節はダメだな。全くあくびが止まらないぜ。
「あ、思い出した。そうだ、それだけじゃねえんだよ。……おい純也。僕の目覚まし時計どこにやった」
「ん?」
あくびのせいで一瞬、赤碕が何を言っているのか聞こえなかった俺は、再度、怒る彼から話の内容を聞き直し、記憶を辿る。
すぐ、思い当たる節にぶつかった。
「ああ——これのこと?」
「……いや、なんでお前の鞄に入ってんの?」
「え、だって。お前、気持ちよさそうに寝てたし」
「え?」
「え?」
沈黙。
とても間抜けな顔した男子が二体。
すぐに会話再開。
「僕が寝てたから、だからお前これ、ここに持ってきたの? 学校に? わざわざ?」
「うん」
「もう何なのお前。まじなんお前。ほんとなんなのお前。バカなの? 死ぬの? 死ねよもうまじで」
「まあ、うん。わかってる、これはわかってる。さすがに悪かったって。申し訳ないと思ってる。……でもちょっとこっちの言い分も聞いてくれって」
「……言い分だと?」
「ああ」
「なんだよ。この際なんだ、言ってみろ」
「いやな。こいつさ、なんか今朝八時十五分になった途端、急に鳴り出しやがったんだよ」
「そりゃ鳴るだろうよ。僕がそう設定したんだから」
「なんでそんなことしたんだよ」
「……起きるためですけど?」
「お前のせいでHR前の時間に赤っ恥を書いたじゃねえか」
「……え、もしかしなくても今僕が怒られてるの? なんで?」
「全く……こっちも大変だったんだぞ」
「いや、絶対僕のせいではないよね? 僕の方が絶対大変なことになってるよね?」
そして。
赤碕はそんな大騒ぎをあと二回ほど繰り返した。
最後は俺が会話に飽きていて、彼の声を全く耳に入れていないことにようやく気づいたのか。
それとも、いい加減に疲れたのか。
大きなため息を一つ吐いて
「……もうすんなよ」
と、一言付け加えて自分の席についた。
なんやかんや甘いやつだ。よし、明日もやろう。
「――おはようございます赤碕さん」
「あ、おはよう報瀬ちゃん。……うん。相変わらず今日も可愛いね」
「はは……、ありがとうございます。赤碕さんも今日は一段と声が出てましたね」
「……え? そ、そう? そうかな?」
「はい! 赤碕さんはいつも元気いっぱいで羨ましいです!」
「……おいおい、聞いたか純也。白鳥ちゃん、『いつも元気いっぱいで赤崎さんは本当にかっこいいですね』って僕のことを褒めてくれたぞ」
「それはよかったな」
相変わらず、こいつの頭は幸せなようだ。
横槍をつくよう、俺と同じく文庫本を広げている山紫が口を挟む。
「まあ、確かに。赤碕くんのいいところなんてそれこそ元気ぐらいしかないしね。改めてそこを強調し、自分の無能への盲目を加速させるなんてさすが白ちゃんと言ったところかしらね」
「……よくわからないけど。これ、もしかしなくても山紫さんまで俺を褒めてくれてます? え、なんで? どうして今日僕そんなに褒められてるの? これがいわゆるモテ期ってやつ? モテるっていうやつ? ……おい、ここのハーレムにお前は不要だ。今すぐここから出て行け純也」
「時々、俺は本当にお前が羨ましいことがある」
「別に私はあなたを褒めているわけじゃ……あー。もういいや」
「あは、あはは……」
いつものように会話が進んで行く。
完全に機嫌を取り戻した赤碕はそのまま、目の前に出された紅茶をまるで麦茶のようにごくごくと飲み干した。
「へへっ、なんか今日はいい気分だよ。もう今ならなんでもできそうだね」
「じゃあコーラ買ってきてくれ」
「私、紅茶。無糖ね」
「ほんとあんたら性格最悪っすね!」
「あ、あの――」
「ねえ、そうだよ報瀬ちゃん。ほら、この二人にガツンと……」
「私もコーヒーを一つ。ブラックでお願いします」
「——みんな嫌いだ!」
そう叫んだが最後、赤碕は外に飛び出した。
数分後、戻ってきた赤碕はどうやら間違えて『微糖』を買ってきてしまったようで、その罰として、山紫から言葉の暴力を受けていた。
そんな二人を見ながら白鳥は笑っていて、見ている分には、非常に楽しげで。
山紫もにやけながらそのドS精神を満足させている姿は、とても満足そうだ。
赤碕自身も……今なんか首から『私は買い物もろくにできない豚です』と書かれたプレートをかけられた最中な訳だけれど。
まあ、それでも多分、きっと、おそらく、本気で嫌がってはいないのだろう。
……うん、大丈夫。あいつは確か真性のドMのはずだ。
そんな。
そんな彼ら彼女らの姿を見ている俺だって、もちろん一定の満足を覚えていて、自分の顔が無意識の中で笑っているのがわかる。
はてさて。
俺がこんな風に笑えるようになったのはいったいいつからだろう。
高校に入るまで。
二年前まではこんな日常、夢にも思っていなかった。
こんな暖かい日常を送れるなんて想像もしてなかった。
毛ほどだって考えていなかった。
赤崎がバカやって。
山紫がそれを怒って。
白鳥が嗜めて。
俺が煽って。
そんな日々。
そんな生活。
そんな青春。
今のこれが、俺にとっての日常で、これが俺の世界で、これが俺の全てだ。
まだ……夢は見る。
時々は、思い出すこともある。
しかしそれでも。
以前に比べれば格段にその数は減った。
少なくとも、ここ一週間、夢に出てきてはいない。
俺の日常に入り込んでくることもない。
だから——きっと忘れていいのだ。
このまま忘れるべきなのだ。
あの黒々とした、邪悪で孤独で不器用で、しかしひどく綺麗なあの少女は――もういないのだ。
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