第2話「おい寝るな。また暇になるだろ」
そのまま学校が始まるまでの二時間。
俺は赤碕の部屋で過ごした。
「おい寝るな。また暇になるだろ」
「もうお前ほんと死ね」
そんな、なんとも微笑ましい応酬を挟みつつ、彼のツンケンドンな態度にめげることもなく。
ただ、俺は延々話し続け、揺らし続け、時には殴り続け——しかし、いい加減充電切れになったのだろう。
話しかけても揺らしても、動かない。
最後には大きく蹴り飛ばしてさえみても、返事を返さなくなっていた。
過度なストレスのため、いよいよ死んでしまったのかとも思ったけれど、しかし、一定の寝息がリズムよく刻まれているところを見ると、どうやら寝ているだけのようだ。
この部屋も彼と同様、一晩眠っていないみたいで、無造作に投げ捨てられたゲームコントローラーと起動したままのテレビが目の前にある。
どうやら赤崎をこんな体たらくに追いやった原因は……まあ間違いなく俺ではあるのだろうけれど、しかしこいつも同様に理由の一つみたいだった。
画面にあるのは、有名な対戦格闘FPS。
俺の知ってるやつとは……どうやらまた違うようで、その画面に見覚えはなかった。
そんな時。
画面を眺めていた時。
俺は唐突に感じた。
空腹を感じた。
腹が減ったのだ。
理由は、ない。
腹が減るのに理由もクソもない。
強いていうなら朝飯を食べていないので腹が減ったのだろう。
……何かないかな。
そう思い、キッチンに向かう。冷蔵庫を開いた。
人様の冷蔵庫を勝手に開ける。
——そんな行為、きっと良識と知識と常識のあるらしい自称ネット評論家の方々から、やいのやいのと責められてしまうような行為なのだろうが、しかし俺がそんな方たちに言いたいこととしてあるのは、同時、人というものは環境に適応していく動物であるということだ。
つまりは良識や知識や常識なんかもそれによって変わっていくということである。
つい……昨月だったか。
ある一つの疑問を俺は抱えていた。
なんか食べ物減ってね?
みんなからは驚かれることも多いのだが、意外ときちんとつけている家計簿においてその『食費』の項目が先月の二倍の数値を叩き出していることに気づいたことが、疑問の発端だった。
普通に考えれば、家計簿以前にわかりそうなものだが、如何せん一人暮らしの身。
人の出入りは激しいので、だからその食費は一定ではない。(だいたい振れ幅0.7倍から1.5倍程度)
多いかな、と思っていたことは思っていたのだが、まさかここまでとは考えてもみなかったわけだ。
はてさて。ふむふむ。
俺は少し考えた。
これは……一体どういうことだろう。
よくよく考えてみれば、結構怖いことだと思うし、ここで『本当にあった怖い話』的なBGMが流れ出してもおかしくない展開だし、さらにそこに名監督がいたとするなら、すぐさまにでも一本本格ホラー映画を作れてしまいそうなそうな状況なわけだが、しかし、それでも、残念ながら。
ここは現実世界なわけでありまして。
つまらない何もない、ただの現実な訳でして。
とてもリアルスティックな判断の下、予想の下、俺はこの件に対するアタリをつけていた。
検討というか。
ほとんど確信のようなものだったが。
それから。
時が過ぎたある日。
俺は動いた。
動いたというより準備した。
前日。
冷蔵庫前に暗視カメラを設置してみたのだ。
そのまま就寝。爆睡。
翌日、起床。歯磨き。
そして、それを見た。
案の定というか予想どおり。
俺が寝たすぐの時間、誰かが家に入ってきた様子がその映像にはあった。
さらに言えばこれまた、予想通り、確信通り、その人物は赤碕で、忍び足で我が家への侵入を果たした彼は、おもむろに冷蔵庫の中を漁りだした。
ガサゴソと。
割と大きめな音を立てつつ、ものを探り出した。
まさか撮られているなんて露ほど思っていない様子で、冷蔵庫の明かり頼りに物を漁る赤崎。
その様子は滑稽で、間抜けそのものだった。
でもまあ。
正直な話、これまでは問題なかった。
特に問題はなかった。
予想通りなネズミの仕業だと分かっただけである。
むしろ、彼でなかった時の方がそれこそホラー的展開なわけで、少し安心したほどだった。
しかし、である。
ここから俺の予想外だったことに、そのネズミが一向にそこから立ち去らなかったことだ。
立ち去らず、物を持って、台所に立ったことだった。
それから何度か冷蔵庫と台所を往復。
冷蔵庫の中身を慎重に確かめた彼が最終的に取り出したのは、白菜、豚肉、キムチというラインナップ。
それらを手にして一体何をするのかと注視してみていたら、どうやら料理をしているらしい。
そして……ほとんど時間はかからなかっただろう。
洗い、切り、濯ぎ、油引いて、丁寧に炒めて。
あっという間に美味そうな豚キムチがそこには出来上がっていた。
もちろん俺は起こされてなどいないわけで。
彼がここに来たことすら知らないわけで。
この事象を知ったのはおよそ七時間後なわけだが、料理中に漏れ出た「今日は……卵ないのかー」「胡椒がどこやったっけ」「包丁の切れ悪くなったなぁ」なんて、一連の言葉一覧を聞いてる限り、こいつが常習犯なことは明確だった。
それに全く気づかない俺も俺なのだが、しかし、ご丁寧に食べ終わった後、食器なども洗ってあって、パックも綺麗に捨ててあって、目に見える痕跡といえば、中身の少なくなっている冷蔵庫程度なことを考えると——なかなかどうして、責める気も失せてくる。
と。
そんな感じで。
という感じで。
一応、俺がその事実を彼に指摘することなく、目をつぶっているままでいること考えれば、こうやって冷蔵庫を開け、何か適当につまませてもらう程度のこと、目くじらを立てられることでもないだろう。
じゃあ物色を再開しようか。
まあしかし……こいつの家である。
人の家探しをし、人の寝静まった隙に冷蔵庫から物を取り出して勝手に調理し、料理し、食べて、洗って、帰るほどの盗人の家にまさかまともなものがあるわけもない。
もちろん俺も端から期待などしていない。
つまり、まあ。
これはただの暇つぶしで。
その一環で。
または延長線上の行為に過ぎなかったのである。
……が、しかし。
なんとも意外なことに結構な収穫物がそこにはあった。
どうやら……これは作り置きのおかずらしい。
明らかに手づくりの春巻きや唐揚げ。
それらがきっとこれは食べる側を想定した上でのパッケージで、冷蔵庫内上段、丁寧に重ねられていた。
そのパックを一つ、手に取ってみる。
『500w 五分!』
可愛らしげに絵文字まで添えて書いてあったのは……きっと調理方法か。
書いてある情報が最低限な電子レンジ時間だけとは、これを作った人というのは、相当に気の利いた性格な人なのだろう。
そんな感想を持ちながら、評価を持ちながら。
そのパックを手に持って、早速その一つをいただこうとしたところ。
しかし、俺は首を傾げた。
……はて。
ダイニング越しから俺は彼の姿を確認する。
だらしない顔でヨダレを垂らしながら爆睡している赤碕。
布団を大事そうに抱えながら横向きになっている。
彼が寝ているそのベットには、間違いなく女性を招いた痕跡は見えない。
地面に長い髪の毛があるわけでも、それ用に別の布団があるわけでもなかった。
他も同様である。
この部屋には似つかわしくない女性用の下着や服、他の化粧品が落ちているなんてこともない。
もちろん、赤崎の野郎が、こんな家庭的なものを作れる女性と付き合っているなんて話など当たり前に聞いたことがなかったし、まさかこんな生物とまともな恋愛関係が構成できる霊長類が地球上に存在することなんて、まだツチノコの実在を信じる方がはるかに有意義なわけで——つまり普通に疑問が残るわけだ。
首を傾げる。
首をもたげる。
……なんだろう。
料理全自動ロボでも開発したのかもしれない。
メモ帳機能まで完備したロボットとは、これまたすごい物を発明したものである。
こいつのことだ。
ありえなくはないのが普通に怖い。
まあともかく。
しかしともかく。
実際、こんなどうでもいいことの真相は、彼が起きた後にでも聞けばいい話で。
後になればどうとでもわかる話だ。
そんなことより。
そんなどうでもいいことよりも、だ。
今やるべきことは他にもっとあるはずだろう。
俺は、思い直して考え直して、先ほど手に取ったタッパーを開けた。
そこには美味しそうな唐揚げが五個。綺麗に並んでいた。
特別迷うことなくそれを電子レンジに放り込む。
もちろん、ボタンは500wの五分で。
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