第31話 欠けたものを埋めて・一

 ……これで、いいかな。

 放課後はひたすら倉本君と合わせることに費やした二日間はあっという間に過ぎ、コンクール当日。控室で身支度をし終えた私は、鏡に映る自分を見つめた。


 肩紐をつけたシンプルなデザインの、桔梗みたいに冴えた青紫のドレス。髪は丁寧に梳かしてまっすぐ下ろしたまま。耳や首にアクセサリーはなく、すっきりしてる。

 うん、我ながらいい感じに仕上がってる。派手すぎず、かといって地味すぎもせず。お化粧も上手くできた。これなら他の参加者の女子にも、見た目では負けてないはず。……多分。


 でもこのドレス、文化祭のときも着たやつなんだよね。だって私、これしかドレスは持ってないし。レンタルも安くないし。何着もクローゼットに持って、そのときに合わせて選べたらいいんだけどさ。誰か私に綺麗なドレスをください。


 振り返った控室の中、明るい言葉を紡ぐ人は誰もいない。皆無言か、共演者と膝を詰めて最後の打ち合わせをしてるかだ。当然、漂う緊張感は半端ないし。重くて鋭くて、息が苦しくなりそう。

 明希あきがいれば、二人で話をして気が紛れたんだろうけど……明希は今大変なんだから、仕方ない。明希のぶんまで……ううん、明希がもう申し訳なく思わなくて済むように頑張らないと。


 よし。気合いを入れなおし、私は控室から出た。

 ああ、やっぱり廊下はまだましだ。緊張感があるって言っても、控室ほどじゃない。どこかへ流れていく、涼しく軽い空気は心地いい。


 ……ん? ……うわあ。

 廊下の壁際で待ってくれてた倉本君を見て、私は心の中で思わず呻いた。

 だって、かっこいいんだもの。

 暗緑色のシャツの上に黒のジャケットで、黒一色のネクタイを締めて、髪も耳にかけて整髪料で整えてる。なんというか、いつも以上に大人っぽい。服や髪型をちょっと変えただけなのに、私よりもずっと年上の人みたい。あんまりかっこいいものだから、廊下を歩く女子たちが皆、倉本くらもと君に見惚れちゃってるよ。


 最後の確認なのか、何か呟きながらピアノを弾くように指を動かしてる倉本君に私が近づくと、私に気づいた彼は指を動かすのをやめ、壁から背中を離して微笑んだ。……うん、微笑むのはやめよう倉本君。かっこいい男の子は見慣れてる私でも、これはちょっとときめくわー。


水野みずのさん、似合うよ」

「……ありがと、倉本君。倉本君も、今日は随分気合入ってるね」

「ありがとう。これ、姉が揃えてくれたんだよ。着飾った女の子と一緒に舞台に出るんだから、今日くらいはあんたもちゃんとしなさいってね」

「はは……」


 いえいえ倉本君のお姉様、弟さんは制服で充分だったと思うんです。ええ、ホントに。

 だって倉本君がここまでかっこよくきまってると、見た目的にもう伴奏じゃない気がするんだもの。むしろ周りの人からすると、私が伴奏に見えてそう。自分でもそう思う。

 伴奏に食われる主旋律。うわ、笑えない……。


 私じゃなく倉本君に注目が集まってる舞台を想像してちょっと目が遠くなりかけてると、ところで水野さん、と倉本君が声をかけてきた。


「? 何?」

「今日はネックレス、つけてないんだ?」

「…………」


 倉本君の視線が、私の首元に向けられる。

 そんなの、答えられるわけがない。私は顔をそむけた。


 だってあれは、桃矢とうやが私にくれたネックレスだ。権威ある国際コンクールの本選に向けてピアノの練習に励んでいた桃矢が、わざわざ選んでくれたネックレス。渡すのも二人きりになってから、しかも、私の家に着く少しだけ前のところで。――――あの日の嬉しさと恥ずかしさは、忘れられない。


 桃矢と真彩まやが付き合うようになってから、私はあのネックレスをクローゼットの片隅に鎮座する小物入れに入れた。二度と見るつもりはない、でも捨てられないものたちの墓場みたいな、あの入れ物に。それをたった一ヶ月かそこらで開けろって? 無理だよそんなの。私はそんなМじゃない。


「……人は見た目によらないのはわかっていても、いつも驚かされるものだね」

「? いきなりなんなの倉本君」


 気まずい沈黙を何故か感心の響きで倉本君が打ち消すものだから、私は思わず眉を寄せて彼を見た。


「文化祭で斎内が上機嫌だったって聞いたけど、やっぱりあのネックレス、斎内さいうちからもらったものだったんだ」

「……うん」


 素直に私に頷く。今更倉本君に隠す意味なんてないし。私の恋心はばれちゃってるから、恥ずかしくもない。


 …………うん? あれー? なんか倉本君、楽しそうな顔をしてらっしゃいません?

 ……えーと、もしかしなくてもこれって…………。

 そんな私の直感は、とても正しかった。


「いや、こんなにずるずる重い方向に引きずるなんて、水野さんは本当に一途な女の子なんだなって」

「なっ……!」


 ちょっ、こんなところで言うかなそういうの! それはさすがに恥ずかしいんですけど!


「褒めてるんだよ。それだけ、彼に本気だったってことだろう? ああ、過去形じゃなくて進行形かな?」

「いやだから、ここでそういうこと言わないでよ……」

「だから、そんな一途な女の子のために持ってきたんだ」


 …………はい?

 私の抗議を軽く無視し、にっこり満面の笑みを浮かべた倉本君は、ジャケットのポケットから白いものを取り出した。

 ……ううん、白じゃなくて透明だ。透明な粒をたくさん、複雑な形に繋げたアクセサリー。照明をきらきら返して、すごく綺麗。

 私は目を瞬かせた。


「ネックレス?」

「うん。君のことだから、あのネックレスはつけないだろうと思ってね。でもやっぱりドレスにはアクセサリーも一緒にあったほうが、華やかでいいだろう?」

「それはそうだけど……それも、お姉さんに用意してもらったの?」

「もちろん。君がアクセサリーの類を持ってないみたいだから貸してあげられないか聞いたら、快く貸してくれたよ。……ああ、一番地味で安いやつらしいから安心してよ」


 と、倉本君は最後に一言補足する。当然だよ。高いものなんて借りられない。

 …………はっ。でもこれ、演奏会用の安いやつじゃないよねきっと。あの華やかでファッションセンス抜群な人の持ち物なんだから、持ってる中で一番安いやつだとしてもブランド物の何万円もするやつだったりとか……ひいっ!


 ネックレスの値段を想像して、私は血の気が引きそうになる。私はバイトもしていない、お小遣いの範囲でしか欲しいものを買えない、普通の家の子だもの。何万円もするネックレスなんて、怖くて身につけられないよ。

 …………って倉本君。私を振り返らせて、何する気!?


「倉本君、ちょっと、倉本君がここでつけるの?」

「当然だろう? 僕が女子の控室へ行くわけにはいかないし」

「ここは私に渡すのが普通だと思う……!」


 お願いだからそうしてちょうだい……! そう私がお願いしたのに、倉本君は私にネックレスのチェーンを渡してくれない。やめてよ、何この羞恥プレイ!


「はい、できたよ」

「……アリガトウクラモトクン」


 公開処刑レベルの凶行を阻止できず、私は本番前だっていうのに、気力を半分くらい吸い取られた気持ちでお礼を言うしかなかった。廊下を歩く女子の視線が痛い…………どうしてこうなった……………………。


 ああもう、なんで本番間近のコンサートホールの廊下で、男友達にネックレスをつけられなきゃならないんだろう。しかも、女子が通りすぎていく中で。私はどこのお嬢様だよ……!

 明希が伴奏だったなら、こんなことにはならなかったはずなのに。いや仕方ないよ? 仕方ないけどさ……。


 いたたまれず、私は舞台袖へと逃げだした。

 必要最低限の明かりしかない舞台袖へ入った途端、出番を待つ出場者たちの視線が一斉に私へと向けられた。中へと進みお互いの顔がよりはっきりわかるようになると、ぴりぴりした空気が一層強くなる。さっきとはまた違う意味で、視線がちくちくと刺さる。


 ……当然だよね。だって私は去年、このコンクールで優勝したもの。そっちの黄色いドレスの子は知ってる。あの空色のドレスの子も。こっちの制服を着た男子も。皆去年のコンクールで見た、他の自治体の代表たちだ。


 私が待つあいだも、舞台の上では演奏が行われてる。綺麗な高音、明瞭な低音。恋の情熱、季節の情景、信仰心。鍛え上げられた歌声がピアノの伴奏を従えて、それぞれの形で曲の世界を表現していく。

 皆、上手い。全国の地区大会から勝ち上がってきた、選りすぐりの人たちなのだから当たり前だけど。上手くなければ、ここにはいない。

 そう…………ここにいるのは皆、努力をした人たちなんだ。

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