第30話 君はもういない
紅葉が鮮やかさを失うどころか雪みたいに散っていく、十二月。いよいよ気温は下がって、本格的に冬が来た。
「いってきまーす」
お母さんに声をかけて、電車に乗って、改札を通って。駅を出ると、きっちり寒さ対策を整えた制服姿が道にあふれた。通りから一本入った住宅地の道を、駅から吐き出されていくみたいにぞろぞろと学校へ向かう。
――――あ、あれ。
見知った人の横顔を見つけ、私は少し足を早めた。近づくと、彼も気づいてくれる。
「
「
「今日はさすがにね」
鼠色のマフラーと手袋をつけた倉本君は、そう肩をすくめて苦笑した。
できれば、昨日の時点でつけてほしかったよ。五度を切った寒空の下、ただ一人防寒具なしで平気な顔をして登校する倉本君は、冬服なのに見てるだけで寒かったもの。立ち居振る舞いは大人っぽいのに、こういうところは冬場に半袖登校する小学生みたいだ。
「このまま順調に気温が下がると、クリスマスあたりには雪が降るかもしれないね」
「いやー、そこまでは下がらないと思うよ。私たちの親世代の頃でも二月に降るかどうかくらいだったのに、十二月に降ったらびっくりだって」
まあクリスマスにはもうコンクールは終わってるし冬休みだから、じゃんじゃん降ってくださいって気がしなくもないけど。雪が降るとテンション上がるよね。雪だるまは無理でも、雪兎くらいは作ってみたいなあ。
倉本君は首を傾けた。
「クリスマスに雪って、女の子がはしゃぎそうな展開だと思うんだけど」
「倉本君、それ、暗に私が女らしくないって言ってる?」
「まさか。君が愉快な女の子だっていうのはよくわかってるつもりだよ」
それ、全然褒めてないから。今日も朝かららしさ全開だね、倉本君。
そんな無駄話をしてるうちに学校へ着いて、下駄箱で靴を替える。何の気合もない、自然な動き。鼓動は変わらず、落ち着いたままだ。
……うん、今日も怖くない。勇気なんてこれっぽちも必要なく、簡単に扉を開けて靴を履き替えられた。
これは、やっと私もふっきれたってことかな。ひどい夢も最近は見なくなったし。怖いことなんて一つもない。
というか、そうであってほしい。下駄箱を開けようとするたびに怖い思いをするのはうんざりだもの。――――私にはもう、守ってくれる番犬なんていないのだから。
そのままなんとなく、倉本君と一緒に廊下を歩いてたときだった。
「あ、
私に声がかかる。私は一拍おいて、ゆっくりと振り返った。
振り返ると、真っ白なマフラーと手袋をした
真彩の隣には、
…………。
「おはよう真彩。今日は昨日より寒いね」
私がそう声をかけると、真彩はね、と頷いて同意してくれた。
「今日はさすがに、実技は暖房入れてくれるよね。でないと指が回らなくなりそう」
「というか、入れてくれないなら先生たちは鬼だよ。今日はあんまり気温が上がらなくて、二月上旬か中旬並みになるかもってニュースで言ってたし。しかもこの一週間は、ずっとそんな感じだって」
「そんなに? じゃあコンクールは雪が降るかも。ね、桃矢君」
どこか楽しそうに、真彩は桃矢を見上げる。桃矢は、そうだなと頷いた。
桃矢と真彩が付き合い始めたことは、あっという間に音楽科中の噂になった。桃矢は音楽科どころか普通科の生徒も知ってる学校の顔だし、真彩も可愛いし元読者モデルだからそれなりに知られてる。噂にならないはずがない。多分、音楽科全体に広まるまで一日もかからなかったんじゃないかな。
付き合い始めてから二人は、学校の最寄り駅を出たところで待ち合わせて一緒に学校へ行くようになった。桃矢はもちろん、行きがけに私の家で立ち止まったりしない。私も桃矢と顔を合わせないようちょっとだけ家を出る時間をずらしたし、帰りは元々あまり一緒になることがない。だからこの一ヶ月近く、お昼に食堂でたまに鉢合わせするとき以外、桃矢と顔を合わせることはほとんどなかった。
――――――――それなのに。なんでこんなところで、二人と出くわしちゃうのよ。
これ以上見てたくない。だから私は真彩に声をかけて、自分の教室へ向かおうとした。あの二人とは、階も違うし。いちゃつくなら、せめて私がいないところでしてよ。
汚い言葉を喉から下へと押し込めて、私が二人をからかう言葉でここから逃げだそうとしたそのとき。突然胸の上――――上着のポケットでスマホが揺れた。確認してみると、『
? 明希? どうしたんだろ、こんな時間に。まだ学校に来てないの?
学校を休むなら、同じクラスの真彩に電話すればいいのに。不思議に思いながら、私は電話に出た。
「明希?」
『美伽ちゃん? うん、私』
? 声、震えてる。……泣いてる?
「明希どうしたの? 泣いてるの?」
『うん。美伽ちゃん、あのね…………』
そこで明希はしゃくりあげる。それからまた何か話そうとするけど、言いたくないのか涙がこみ上げてくるのか、言葉を続けられないみたいだ。
「明希、落ち着いて。まずは深呼吸しよう? ね?」
『……うん……』
私が声を強めて言うと、明希は素直に深呼吸する。その呼吸音のあいだにも泣き声が混じっていて、深呼吸というよりはしゃくりあげてるように聞こえる。
……これは、本当に混乱して何も考えられてないんだろうな。私に連絡しなきゃって、それだけしか考えてなかったんだろう。
桃矢たちは私の様子で、明希の身に何か良くないことが起きたことを理解したみたい。私の周りで、緊張した顔で私のほうを見てる。
深呼吸で少しは落ち着いたのか、また明希は口を開いた。
『ごめんね、美伽ちゃん。取り乱したりして』
「ううん、いいよ。それより明希、どうしたの?」
『………………叔母さんがね、死んじゃったの』
「!」
叔母さん? 明希の叔母さんって、文化祭の前くらいから入院していて、明希がたまにお見舞いに行ってた…………?
『昨日まではなんともなかったのに、昨夜、突然具合が悪くなったみたいで…………今朝早くに私が病院へ行ったときは、もう……………………』
そこで、明希は言葉を途切れさせる。でもしゃくり上げはせず、沈黙を続けるだけ。
「明希、担任の先生には知らせたの?」
『ううん、まだ。お母さんたちも、多分、やってないと思う』
「じゃあ、私が言っておこうか? しばらく学校に来れないだろうし、家族の人たちも、色々と忙しいんじゃない?」
『うん……じゃあ、頼んでいい?』
そう返してくる明希の声は、まだ涙が強くにじんでいる。当然、私はもちろんと頷いた。
そのあと少しだけ言葉を交わして電話を切ると、黙ってた真彩がすぐ口を開いた。
「美伽ちゃん。明希がどうしたの? もしかして、入院してるっていう叔母さんのこと?」
「うん。……昨夜、急に具合が悪くなって、今朝亡くなったんだって」
「え? 昨日は元気になってきたって、明希喜んでたのに?」
さっき聞いたばかりの私と同じで、真彩も目を見開いて驚いた。
当然だよ。だって昨日、お昼を一緒に食べながらそう聞いたところだもの。もうすぐ退院できるかもって、明希は嬉しそうにしていて。明希が小さい頃から可愛がってくれた叔母さんのこと大好きなのは皆知ってたから、よかったねってお祝いしたんだよ。――――――――それなのに。
明希とは別のクラスだけど一応は顔見知りの桃矢も、同情顔だった。
「じゃあ、大橋は今日と明日と……しばらくは来ねえだろうな」
「だと思う」
さっきの電話も、さんざん泣いたあとなのがすぐわかる声だった。それでもまだ、事実に向きあわされるだけで悲しみがぶり返して泣いてしまっていて。明希、今は叔母さんのことしか考えられないだろうな……。
しかし、と顎に指を当てたのは倉本君だった。
「そうすると水野さん、コンクールは大丈夫なのかい? 明後日だろう?」
「あ……そういえば、美伽ちゃんは明希が伴奏なんだよね。代わりの人、見つけないと駄目だよね」
「うん……」
心配そうな真彩に、私は曖昧に頷いてみせた。
正直、なんとかするにはきつい。桃矢は年末に伯父さんと競演するからその練習があるし、真彩も、このコンクールに出るから無理。倉本君も、お父さんの知り合いにまた演奏を頼まれたらしいから、駄目だよね。
だからって三人に伴奏者の紹介を頼んだとしても、本番は明後日だ。一曲だけじゃないし。伴奏を責任をもって引き受けてくれる人なんて、そう簡単に見つからないに決まってる。――――どうしよう…………。
でも、今の明希に演奏してもらうことも、代役を探してもらうこともできるわけがない。だからさっきも、今は無理だとひたすら謝る明希に私は仕方ない、自分で探すから気にしないでと繰り返したんだもの。そう言うしかなかった。
棄権なんてしたくない。けど、伴奏なしには歌えない。一体どうすれば――――――
「じゃあ、僕が伴奏の代わり、しようか?」
「え?」
倉本君が? 手を小さく上げた彼に、私は目を瞬かせた。
「でも、倉本君もお父さんの知り合いの人に、演奏を頼まれてるんじゃなかったっけ」
「明後日じゃないから大丈夫だよ。バーのほうで弾くのは、前にやったことある曲だし。水野さんが歌う曲の伴奏も、そんなに難しくないんだろう?」
「うん、まあ……」
倉本君の申し出は正直、ものすごくありがたい。ピアノ専攻の二年は桃矢が図抜けすぎて他の人がかすみがちだけど、倉本君も権威ある国際コンクールで入賞した結構な実力者だ。このあいだの文化祭だって素敵な演奏だった。お父さんの知り合いの店で、大人のアマチュア演奏家と何度も合わせてるらしいし。きっといい伴奏をしてくれる。
――――――――――――何より今は、桃矢や真彩に何も頼みたくない。
「美伽ちゃん、やってもらいなよ。倉本君がこう言ってるんだし」
私が曖昧に頷くと、いいじゃない、って真彩が私の腕を軽く叩いた。それに促されるように、私はぎこちなく、改めて倉本君を見る。
「じゃあ……倉本君、伴奏、やってくれる?」
「もちろん。何の曲かはあとで教えて。楽譜は自分で用意するから、昼休憩に軽く打ち合わせして、放課後に合わせよう」
「わかった。――――真彩、明希のクラスの担任は
「うん、そっちか職員室だと思う。……美伽ちゃんが先生に言ったほうがいいよね。電話がきたのは美伽ちゃんだし」
真彩に首を向けると、真彩は頷いて言う。もちろん、私が行くつもりだ。もしかしたら、明希の家族の人が担任の先生に電話したかもしれないけど、約束したし。
「じゃあ私、先生のところへ行ってくる」
「うん、私は
そう誰に何を連絡するかを確認しあい、私はすぐ踵を返して、通りすぎたばかりの職員室へ向かう。片手に握ったままのスマホをちらっと見てみると、もういい時間だ。うわ、はやく行かないと。
だから私は、教室へ向かう生徒の合間を縫うようにして、さっき歩いたばかりの廊下を走る。桃矢と真彩から離れていく。
……きっと気のせいだ。うん、きっとそう。
桃矢はもう私を守ってくれる大型犬じゃない。ただの幼馴染み。
伴奏をどうしようか私が迷ってるとき、桃矢が何か言いたそうな目で私を見てたなんて、絶対にない。
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