第29話 歌が聞こえる・二
しばらくして、ようやくふんぎりがついたのか私に目を合わせる。そして、口を開いた。
「……
…………………………え?
一瞬、私は何を
告白?
…………誰が?
「
あれ? この震えたの、誰の声?
…………私?
「……一応は断ったんだ。あいつのことはいい奴だと思うけど、恋愛対象として見たことねえし。ただの友達と付き合って、期待持たせるのは悪りぃだろ。だから、断った。…………でも」
桃矢はそう、顔をゆがませた。
『これから好きになってくれたらいいから。私にチャンスをちょうだい』
真彩はそう言って、でも答えをすぐには望まないで帰ったのだという。それで、桃矢は私のところに逃げてきたんだって。
私の心臓が、ここにいるって強く私の胸を叩いた。
心臓の音がうるさい。ここにいるって主張しすぎで、胸が痛いよ。やめてよ、そんなに主張しないで。胸が痛いじゃない。
いつの間にか、日が随分傾いてた。空の一部が橙色に染まって、窓から差し込んでくる夕日がピアノの天板に反射して眩しい。
どうか、どうかこの眩しい夕日で私の顔が桃矢から見えなくなってますように。私は心底願った。
「それで、なんで私のところに来たのよ……?」
「………………わかんね」
「わかんねって……」
何よそれ。そんなの、そんなのって――――………………。
桃矢は何を言うでもなく、ただじっと私を見上げてた。何かを言いたいみたいに。伝えたいみたいに。
これは。この目は。
告白してきた
――――――――っ。
私は震えそうな身体を、両の拳を無理やり握り、深く息を吸うことで抑えつけた。
「……桃矢はどうしたいのよ。真彩と付き合いたいの?」
「言ったろ。友達としか思えてねえのに、付き合うのは悪い。だから最初は断ったんだ。……でも」
「……でも?」
ちょっと、何言ってるの私。なんでそこで聞くのよ。これ以上聞いちゃ駄目なのに。
けれどもう遅い。私は耳を塞ぐこともできず、桃矢の答えを聞くしかない。
「……それでもいいからって言われて、正直、ありかもって思った」
――――――――――――!
ありかも。たったその一言で、思考が焼けた。頭のてっぺんから足の爪先へと、雷が私を貫く。
完璧にふったわけじゃないんだ。付き合ってもいいかもって、心のどっかで考えたんだ。
「お前は天崎の友達だから、わかるだろ? 天崎は本当に、俺は友達としか思ってねえのに付き合って大丈夫だと思うか?」
「思うかって…………あのね、それでも桃矢と付き合いたいから、真彩はそう言ったに決まってるでしょ。無理だと思ってるならそんなこと、初めから言わないよ」
思考は焼き切れてるというのに、私の唇はいつもと変わらない声音で勝手にそんなことを言う。表情もきっと普通のままだ。このまともじゃない頭でこんなにも平然としていられるなんて、不思議。
「あんたの好きにすれば? 私たち、ただの幼馴染みなんだし。自分のことなんだから、自分で決めなよ」
「…………」
「ただし。真彩を泣かせたりしたら私、許さないから」
それだけは語気を強めて、はっきりと私は宣言する。だって当然でしょう? 真彩は私の友達なんだから。
私の答えに、桃矢は瞳を大きく揺らした。
………………え?
桃矢の目からたくさんのものが振り落とされ、瞳に浮かんでいた感情の色が失せていく。どうしてって叫んでるみたいな色さえも。
なんで、そんな顔するのよ桃矢。どうしてそんな、傷ついたみたいな――――――――
桃矢は頭をがしがしと掻いた。私の位置から、桃矢の表情が見えなくなる。
「……そう、だよな。悪い、変なこと聞いて」
「ホントにそうだよ。あー変なことに巻き込まれてるのかって心配して損した」
「損ってなんだよお前」
「そう言いたくなるよ。だって自慢の友達が幼馴染みに告白したってだけだもん。倉本君はともかく、他の男子に言ったら自慢かよって睨まれると思うよ。中学のときだって、それでひがまれてたじゃん」
私の唇の暴走は止まらず、考える前にぽんぽんとそんな軽口を飛ばしていく。あれ? 私、普通に話せてる。こんな話題だっていうのに。
私は桃矢に背中を向けた。
「じゃあ私、ホントに帰るから。桃矢も、あんまり遅くなんないうちに帰りなよ」
「わかってるって」
どうしてか苛立った桃矢の声を背に、私は廊下へ出た。
扉を閉めると、誰もいない廊下は静かだった。でも楽器の音が上や窓の外から聞こえてきて、ちっとも静寂にはならない。トランペット、クラリネット、フルート、ティンパニ。その他色々な楽器の音が、夕暮れの廊下に溶けていく。
けど、私はほとんどそんな当たり前の音を聞いていられなかった。そんなものよりも、耳元でかき消す声が止まないから。
『……天崎に告白された』
『………………わかんね』
『正直、ありかもって思った』
『そう、だよな。悪い、変なこと聞いて』
ついさっきまで聞いてた桃矢の声が頭の中で繰り返されるたびに、私の頭の芯は冷えていった。それに比例するように、どうしてって声が桃矢の声を上書きするように大きくなっていく。
どうして真彩は私に何も言ってくれなかったの?
どうして桃矢は私のところへ来たの?
どうして桃矢はあんなに悩んで、どうしてあんな――――…………。
「――――――――っ」
胸の中で膨れ上がった熱いものが、とうとう爆ぜた。私はその爆風に吹き飛ばされるように駆けだす。
管理棟へ向かう渡り廊下へ出ても、楽器の音はやまない。それどころか、開け放たれた窓から一層大きく空へと飛び出し、私のところへと降り注いでくる。
これ…………。
ピアノの旋律が聞こえてくる。でも桃矢じゃない。別の人の演奏だ。
その演奏に、桃矢の伯父さんのコンサートでゲスト出演した
――――言葉には気をつけよ。悪い言葉はすぐ口をついて出るもの
――――神よ誤解だと嘆いても、かの者は悲しみ去っていく
フランツ・リストの『愛の夢 三つの小夜曲』のうちで、これだけが『愛の夢』だって誤解されるくらいに有名な第三番。人妻との駆け落ち同棲生活を終えたリストが、きっとたくさん知ってただろう詩人の作品の中から選んだ詩の一節。
誰よ、こんなときにこの曲を弾いてるのは。私はこんなの聞きたくないの。弾くなら別の曲を弾いてよ。もっと暗くて重々しいやつか、淡々としたやつ。そんな甘い、けれど本当は苦い旋律なんて今は聞きたくない……!
だから私は走った。職員室の前を横切って、躊躇いもなく下駄箱の扉を開ける。履き替えて、学校を出る。
なのに、どうして。
どうして歌が聞こえてくるの――――――――
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