第14話 君に届ける応援歌

 桃矢とうやがヨーロッパ行きの飛行機に乗って数日後。私も真夏の本番を迎えた。


「まあ、よく似合ってるわよ美伽みかちゃん」


 神父さんの奥さん――真奈美まなみさんは、ドレスを着た私を見て手を叩いた。

 真奈美さんが借りてきたのは、幅広の肩紐があるデザインのドレスだった。ミントグリーンって言ったらいいのか、淡く優しい緑の布地のスカート部分には同じ色の数種類の布地を重ね、白い刺繍を施してある。スパンコールがないからきらきらしてはいないけど、可愛い色のおかげか明るい印象だ。ぶっちゃけ、一張羅の青いドレスより好みのデザインかも。


 髪は丁寧に梳かしてまっすぐ下ろし、銀のヘアピンで前髪を留めた。化粧は、中学時代の経験で覚えたっていう真彩まやに教えてもらったやり方でやった。いやあホント、メイクさんというか、世のお洒落に敏感な女の子ってすごいね。そりゃコンクールとかのときには、普段はやらない私も一応お化粧するけどさ……こんな面倒なこと、毎日なんて私には無理だ。


 ここは、花火大会で真彩たちに話した教会の隣にある洋館。神父さんの家の二階だ。私はここで、真奈美さんが借りてきてくれたというドレスに着替えることになっていた。制服か清楚系ワンピでいいやと思ってたんだけど、真奈美さんがドレスを着てほしいっていうから。今回に限ってなんか張りきってるんだよねえ。他の教会のコンサートへ行ったらしいから、触発されたのかな。


 それで私は、普段の外出どころか本番でもやったことがないようなフル装備をした自分を姿見で見ることになったわけだけど。

 …………なんというか、誰この人、だ。


 そりゃドレスはこれまでもコンクールで何度も着たことあるけど、ここまで綺麗に化粧したことなんてないし。ホントに別人に化けたよこれ。

 この部屋に入ったときの私は白シャツとプリーツスカートという制服みたいな恰好をしていて、洋館の一室にはまったく不似合いだったっていうのに。こうして化けてみると、洋館にもドレスにも馴染んでいるように見えてしまうから不思議だ。目の錯覚だと自分に言い聞かせてみても、やるじゃん私、と思ってしまう。


「ご両親は聞きにいらっしゃるの?」

「さあ、どうでしょう。一応今日コンサートだって言っときましたけど、特に何も言ってなかったですし、来ないかも」

「まあ、残念ね。美伽ちゃんの晴れ姿なのに。それに、桃矢君も。このあいだ、ぬいぐるみを寄付しに来てくれたときに聞いたけれど、国際コンクールの本選に出るために、ドイツへ行ってるんでしょう? できれば彼に美伽ちゃんの伴奏をしてもらいたかったのだけど……それも残念だわ」

「あはは……でも、友達は来てくれるみたいですから」


 頬に手を当てて残念がる真奈美さんに、私は曖昧に笑ってそう答えた。

 いやだって、この歳で親に来てもらってもねえ。それに桃矢の伴奏で本番なんて、内輪のお遊びでならともかく、ちゃんと主旋律として食われずにやれる自信がないよ。もちろん私は本気でやるし、桃矢だって主旋律の私を立ててくれるだろうけどさ。


 それよりこれ、桃矢が見たらどんな反応するかな。いつも『馬子にも衣装』とか言うし褒められたことないけど、これならどうだろう。少しくらいは見惚れてくれるかな。…………まあ、あいつはコンクールに行ってるから見せられないけどね。私も写真送るなんて勇気ないし。

 私がそんな妄想をしてると、真奈美さんはにっこりと笑顔で銀色のスマホを取り出した。


「美伽ちゃんの写真、撮っていいかしら?」

「あ、はい」

「じゃあ、こっちのほうへ来てちょうだい。ああもうちょっと窓に近づいて――――そう、そこ」


 優子の指示に従って、私は窓辺に佇んだ。教会と自然豊かな公園が見える窓の鍵に、そっと手を当てる。

 今にも窓を開けそうな私の写真を撮ると、真奈美さんはにっこりと笑った。


「これでまた、アルバムに貼る写真が増えたわ。印刷したら、美伽ちゃんにもあげるわね」

「はい、ありがとうございます」


 言葉のとおりに楽しそうな、嬉しそうな真奈美さんにつられて、私も微笑んでお礼を言う。真奈美さんって、写真撮ったり編集したりするのが上手いもの。これでまた、スクラップブックに貼るものが増えた。

 真奈美さんが出ていくと、思ったより時間をかけずに着替えができたのもあって、予定より長く時間が空いた。だから私は発声と歌の練習を念入りに繰り返す。いくらコンクールじゃないと言っても、本番は本番。気合いを入れていかないと。

 ――――だったのだけど。


 最後の練習をしてると、声楽にもこの部屋にもドレスにも似合わない、犬の鳴き声が唐突に部屋の中から聞こえた。でも、音源は生きた犬じゃない。私の鞄――――スマホだ。

 まずっ、マナーモードにしてなかった。


 一体何の用なんだろう。不思議に思いながら、私は鞄の中からスマホを取り出して電話に出ることにした。


『――――美伽?』

「そうだよ。どうしたの? まさか一次に落ちたとか?」

『んなわけねえだろ。あとはオーケストラと一緒に弾くだけだっての』

「って、最終まで残ったの?」


 嘘、ホントに? 私は思わず声を裏返らせた。

 桃矢が出場したコンクールの本選は、一次選考として一日目に課題曲、二日目に自由曲を演奏してある程度人数を絞り、最終日に他のコンクール同様、オーケストラと共演して順位が決定することになってる。――――つまり桃矢は、ファイナリストになったのだ。


 一応桃矢は日本の高校生じゃ屈指の実力者だけど、このコンクールの他の参加者だって決して負けていないはず。今日まで連絡なかったし、正直、一次で落ちても当然だと思ってたんだけど……なんかスイッチ入ったのかな。たまにそういうのがあるんだよね、桃矢は。


「じゃあ、桃矢はそっちの時間で今日か明日に本番?」

『ああ。……お前は今日本番か?」

「うん。神父さんの家でさっき声出ししてたとこ。で、あんたに邪魔されたの』

「そうかそうか、ならちょうどいいな」


 上機嫌に桃矢は言う。ちょっと、私の嫌味を無視するなっての。

 ……ん? これって…………。


『ってことで美伽、お前、何か歌え』


 やっぱり! 何かあると思ったらそれか!

 予感がぴったり当たったことに、私はいらっとすると同時に呆れた。


「何が『ってことで』よ。なんであんたのために歌わなきゃいけないのよ」

『けちけちすんなよ。今日歌うやつでいいから。帰国したら、土産ついでにお前の好きな曲弾いてやっから』

「……」


 私の苛立った声の響きはスマホ越しでもわからないはずないのに、桃矢はしつこく食い下がる。真面目な顔で私におねだりしてるのが、ありありと目に浮かぶ。

 桃矢はたまに、こうして私に歌をねだることがある。昔っからそう。その代わりに、私に好きな曲を弾いてくれるのもいつものことだ。夏休み前も、そうやって私を家に呼んだし。

 ……………………ああ、もう。


「……聞こえないとか、文句言わないでよ」


 言って、私はスマホを猫足がお洒落なテーブルの上に置いた。足を開き、背筋を伸ばし、まっすぐ前を見る。

 何やってんのよ、まったく。桃矢にも……結局甘やかしちゃう自分にも腹が立つ。


 ――主よ、汝の祝福で我らを解き放ちたまえ

 ――喜びと平穏で心を満たしたまえ

 ――汝の愛と救いの恵みを享受せん

 ――我らを癒したまえ 荒野の旅路で


 子守唄みたいにゆっくりとした速度で、私は賛美歌を英語で歌った。外に聞こえないようにというよりは桃矢への嫌がらせ……甘やかしてしまったことへのせめてもの抵抗に、音量は落としてやる。

 歌い終えて私がスマホを手にとると、まるでこっちの動きを見てたみたいに、ぶは、と桃矢は吹き出した。


「……そうきたか」


 ええ、そう言いたくなるでしょうね。その反応を期待して、曲を選んだし。期待どおりの反応を桃矢がしてくれて、私はちょっと気分が良くなった。

 今日、パイプオルガンの伴奏と少年合唱団のコーラス付きで歌う予定の賛美歌『主よ、汝の祝福で我らを解き放ちたまえ』。仰々しい曲名と賛美歌らしい歌詞だけど、旋律は童謡の『むすんでひらいて』そのままだ。それをこんなところで歌うのだから、は? ってなるよね、当然。


「これでいい?」

「ああ。……お前、選曲良すぎ。なんか力抜けた」

「そんなに緊張してたの? 桃矢らしくない。ある意味貴重だねそれ。写真あったら見てみたいよ」

「んなもんねえよ。あっても誰が見せるかよ」


 即答だ。でも、緊張してたことは否定しないんだ。まあ、お互い本番前なのにわざわざ電話してまで歌わせようとしたんだもの。ごまかすなんて馬鹿らしいよね。

 けど……なんか、可愛いなあ。


 電話ってホントに便利だよね。わんこみたいに桃矢の頭を撫でてあげたくなって、頬がでれでれに緩んでしまっていても、ばれないもの。声にさえ気をつけていれば、私の気持ちは欠片も気づかれない。


「……んじゃ、そろそろ切るよ。ドイツ土産と曲、忘れないでよ」

「わかってるって。…………ありがとな、美伽。お前も頑張れよ」


 桃矢はそう私に礼を言って、電話を切った。通話相手の名前と犬のイラストが表示されたスマホの画面の、大きな文字で強調された通話時間が明滅する。

 まったく、もう…………。


 今までどのコンクールでも緊張してませんって顔してあっさり優勝して、今回の出発の前日もそうだったのに。ドイツ土産は何がいいかなんて、余裕そうに聞いてきたりしてたくせに。

 なのにこんな、最終選考なんて大舞台の直前で私に甘えてくるなんて。


「……ばっかじゃない」


 スマホをテーブルの上に置き、幼馴染みの名前をなぞって私は呟いた。

 不意に、控えめに叩かれた扉が開いた。真奈美さんが顔を覗かせる。


「美伽ちゃん。そろそろ行きましょうか」

「はい」


 私が頷くと、真奈美さんは微笑んで廊下へ戻る。私はスマホにもう一度だけ目を落とすと、真奈美さんの後を追って廊下へ出た。

 私も負けていられない。桃矢がこれから向かう場所と比べればずっとずっと小さな、人生においての重みなんて比較にならない舞台でも、出番は出番。歌う場所があり聞いてくれる人がいることに変わりはない。私自身にとっても聞いてくれる人にとっても、手抜きは裏切りだ。

 さあ、私も出番だ。

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