第13話 特別な日・三

 一体どのくらい花火が咲いては散ったのか。あんまり長い間見てたからか、アナウンスが花火の終わりを告げても、私はまだ現実に戻った感じがしなかった。足元がふわふわして、周りが遠い。夢から覚めたばかりみたい。


「綺麗だったねえ」

「うん」


 私は真彩まやとそう頷きあう。この人波の中ということもあってか、真彩の白い頬はほんのりと上気していて、花火の前の静けさで一度落ち着いたふうだったのに、また屋台でいたときみたいなはしゃいだ感じに戻ってる。倉本くらもと君はいつもと変わらないけど。

 まあ桃矢とうやもそうだろうなあ。毎年見てるし、さっきも別のことが気になってるって感じだったし。国際コンクールのことが気になってるのかな。


「やっぱり綺麗だったね桃――――」


 言いかけて、私は言葉を途切れさせた。

 桃矢が私を見つめてたから。

 でもそれは、いつもの私を見る目じゃなかった。吸い込む力があった。音や感覚や――――私の心までも。

 私だけを映した目。

 心臓が一つ、うるさく鳴った。

 頭の中で、誰かの声が聞こえたような気がした。


「桃矢?」


 何故だか怖くなって、私は桃矢の腕に触れて呼びかけた。すると桃矢ははっとした顔になる。まるでたった今夢から覚めたみたいに。

 それは私もだけど、無理やり笑って桃矢の腕を叩いた。


「もう、桃矢、何ぼうっとしてんのよ。後ろから押されるよ?」

「あ、ああそうだな。悪い……」


 ぎこちなく頷いて、桃矢は歩きだす。私もその後を追って、振り返って私たちを見てる真彩と倉本君に合流した。

 帰る方向が違う真彩と倉本君とは別れ、あふれてた色も柄も様々な浴衣姿の若い女性たちもほとんどいなくなった電車で家の最寄り駅に下りると、路面やあちこちが濡れて水たまりができていた。


「あれ? こっち雨降ってたの? 濡れてる……」

「ああ、俺が出るときは降ってたぞ。これだとすぐ止んだんだろうな」

「うわ、よかった。傘持ってきてなかったし」


 今夜は巾着だったから、折り畳み傘は入れられなかったんだよねえ。やっぱり、雑貨店で見つけた編み籠のバッグを買っておけばよかったかな。あれなら浴衣に合うし、折り畳み傘も入るし。今度買おう。

 花火を見た余韻は大分消えた。でもまだどこか残ってて、歩く足に現実味がない。ちょっとだけ緊張してるからかな。桃矢と二人で道を歩くのなんていつものことだし、浴衣着て歩くのも毎年のことなのに。今年も、今日もどきどきする。


 さらに歩いてるうちに、大きな公園が見えてきた。昼間は囲碁や将棋、ボール遊びをする人たちの姿をちらほら見かける地域の憩いの場も、夜の九時近くにもなればさすがに誰もいない。緑の葉が生い茂る桜の木に遮られながらも、街灯がぼんやりと公園の縁と車も通らない道路を照らしてる。

 ここまで来れば、私の家まですぐだ。今日、桃矢と一緒にいられるのも、あと少し。

 ――――――――なのに。


美伽みか


 唐突に、足を止めた桃矢が私を呼んだ。つられて私も足を止める。


「手、出せ」

「? 何」

「これ」


 そう言って、桃矢はポーチから出したものを私の手のひらに落とした。

 それは、三本の針金か何かを通した石をいくつも連ねたネックレスだった。石は全部透明で、いくつかは吊り下げてゆらゆら揺れるようにしてある。まるで雫を連ねたみたい。


「とりあえず、目についたもん買っといた。浴衣には似合わねえけど、それつけときゃ、お前も少しは女らしくなるだろ」


 そっぽを向いて私と目を合わさず、桃矢は言う。でもこの距離だから、頬が赤いのは丸見え。早口なのと合わせれば、お祭りの余韻で赤いんじゃないって、誰だってわかる。

 …………もしかして、これって…………。

 ……………………っ。

 やばい、ホントにやばい。桃矢がこっち見てないのはわかってるけど、嬉しいんだけど、顔緩んでいるに違いない自分が恥ずかしい。いたたまれない。今すぐこの場から脱出したいっ……。


 もう、なんなのよ。二人きりになったと思ったら、これなんて。しかもこんな、きらきらしたネックレスだなんて。

 きらきらしてるといっても宝石じゃなくてビーズなんだろうけど、こんなデザインじゃ普段遣いなんてできない。真彩みたいに、上品な服を普段から着てるわけじゃないし。いくらファッションセンスが絶望的な桃矢でも、これが私が普段着るような服には似合わないことくらいわかるはず。

 にやける顔なんて、絶対に見られたくない。私は持てる演技力を総動員して、いつもの自分を装った。


「……私はいつでも女だってば。桃矢こそ、いつもは美音の兄弟みたいなのに、今日は人間になってるね」

「おいこら、誰が犬だっての。俺のどこが犬だよ」

「犬耳が似合いそうなところ? それに、お友達がいるじゃんそこに」

「お前な……」


 私の軽口に付き合って、セントバーナードのぬいぐるみを持ったままの桃矢も私を軽くねめつける。それはもういつもの桃矢の顔、いつものやりとりだ。そのことに、私はどこか安心する。

 ……うん、この距離がいい。二人きりになるのが当たり前で、軽口を叩きあえる、でも付き合ってない、微妙な距離。この距離で、私たちは今までやってきたの。


 いつまでも一緒にはいられないってわかってる。私たちはもう高校生で、桃矢はプロのピアニストを目指してるもの。幼馴染みとしてこの距離を簡単に保っていられるのも、きっとあと少しだけ。その先を望むのなら、桃矢に好きだって伝えないと駄目だ。

 でも…………今はまだ、この距離を失くしたくないよ……………………。


 からからと下駄の音を立てて、私は夜道を歩く。その後にすぐ、スニーカーの足音が追いかけてきた。

 ああそうだ、これは忘れちゃいけない。これは、家に着く前に言っておかないと。


「……ありがと、桃矢」


 立ち止まって桃矢を見上げて、桃矢の大きな手に私の手を重ねて、それだけ言って私はすぐ離した。だって、自分からこういうのするのは恥ずかしいし。


 今日は花火大会。桃矢がコンクールに参加する、少しだけ前。

 そして、私の誕生日。

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