第7話 助けるから・二
「
「……」
不安になって聞いてみるけど、桃矢は黙ったまま教えてくれない。その代わり、まとう空気を一変させた。ぐしゃりと紙を握り潰す。
……あれ? 桃矢、怒ってる? ものすごく怖いんだけど。
どうしてなのか聞きたいけど聞けない。聞きたくないのもあるけど、今の桃矢に聞くのは絶対にまずい。だってこれ、中学で私の教室の黒板にひどい言葉が書かれてたときの桃矢だよ……!
さらに桃矢は小箱も私の手から強奪し、開く。これも、蓋が邪魔になって私から見えない。
桃矢には聞けない。だから、私は横からそっと見ることにした。
そして、目が点になった。
紫紺の光沢のある布地を敷き詰められた小箱には、指輪が鎮座してた。透明な宝石かガラスの粒をあしらった、銀の指輪だ。ガラス扉から差し込む光を受けて、きらきら輝いてる。
綺麗な指輪なんだと思う。でも今はそう素直に受け止めることができない。
「な、なんで…………」
「……」
私が思わず声を漏らすけど、桃矢は反応してくれない。無言で箱を閉じ、私の視界から消える。多分、ゴミ箱に捨てに行ったんだと思う。
……うん、やっぱり。蓋を開けて閉める音がしたよ。二つの音の間に、叩きつけるような音が聞こえたのは幻聴だ…………多分。
「帰るぞ」
戻ってきた桃矢は、凶悪としか言いようのない雰囲気をまとって言う。普段なら命令口調にいらっとするところだけど、今の桃矢相手にそんな気持ちになれるわけがない。や、ホントに今の桃矢はやばい。怖すぎる……!
で、今日も今日とて桃矢と二人で帰るわけなんだけど。
…………気まずい。というか空気が重い。呼吸がしんどいんだけど、桃矢。
けど、言葉を発して空気を変えることは無理だ。手を放して、なんてもっと。そんなことが言える空気じゃないよこれ。桃矢の怒りはあの紙と小箱の送り主に向けられてるとわかってるけど、だからってこの空気の中、笑って無駄話ができるほど私は能天気じゃない。犯人さん、なんてことしてくれたんだよ…………!
そんなふうに、犯人に対して心の中で恨み言を言ったのがよくなかったのか。私の頭の中に、さっき見た光景――――次第に足音が近づいてくる薄暗い廊下や、私の靴のそばに箱と紙が置かれてた下駄箱の中がよみがえった。その直後に思い浮かんだ推測も。
――――――――っ。
推測が再び頭の中に言葉として浮かんできた瞬間。私の手足がすっと冷えた。心臓だけがやたらと熱を持って脈を打つ。その音と振動に意識が飲み込まれる。
寒い――――――――。
「
あ…………。
声をかけられた途端、自分の感覚にだけ向きそうになってた私の意識はそちらにも向けられた。我に返って見上げると、街灯が灯る桃矢が心配そうな目で私の顔を見下ろしてる。
私はそれで、自分がいつの間にか、学校の最寄り駅の前で立ち止まってしまってたことに気づいた。手を繋いだままだから、桃矢はすぐに気づいたんだろう。
ああもう私、何やってるんだか。私は自分に呆れた。
「ごめん、ぼーっとしちゃってた」
「……仕方ねえよ、あんなもん下駄箱につっこまれてたんだから」
と、桃矢は眉を下げる私を慰める。桃矢からはもう、あの近寄りがたい怒りの気配は失せてた。人懐こい大型犬みたいな、いつもの桃矢だ。私はそのことに、心底安心した。
「ねえ桃矢。……あの手紙、何書いてあったの」
「…………お前が気持ち悪くなるようなことだよ」
視線をさまよわせ、桃矢は曖昧に答える。それ以上は言う気がないのか、私と目を合わせようとしない。
あ、これ、ホントにやばいことが書いてあったんだな。きっと私の推測かそれに近いこと。だから私が怯えないよう、言わないんだと思う。桃矢はそういう気遣いができる人だから。
「あんなの気にすんな。さっさと忘れちまえよ」
言うや、桃矢は繋いでいたほうの手で私の頭を荒っぽく撫でた。わしゃわしゃ、わしゃわしゃ。
……ちょっと桃矢、その手つき、美音を撫でるのと同じじゃないの? 愛犬を撫でるときと同じって、どういうことよ。
「桃矢、やめてよ。髪、ぼさぼさになる」
「いいだろ別に。どうせ家に帰るだけなんだし」
「もう……」
小さく笑って桃矢は流すものだから、私はぷいと顔をそむけた。家に帰るだけなのは事実だし、私の髪を撫で回す桃矢の手つきも、ゆっくりとした、髪を丁寧に梳くように優しいものになる。これ以上、抗議のしようがない。……こうして桃矢に触ってもらうのは、悪くないし。
私の髪をもてあそんで満足したらしい桃矢は、また強制的に私の手を引っ張っていった。会社帰りの社会人やらがそれなりに座席を埋めてる電車に乗って、がたごとと揺られる。会話はなく、視線すら合わなかったけど、私たちの間にある穏やかな空気は居心地がいい。それを乱す必要はないと思った。
駅に着いて、また歩いて。私の家の前まで来たところで、桃矢は私の名を呼んだ。
「? 何?」
私、何か忘れてたっけ。呼び止められるような用事が思い浮かばず、私は目を瞬かせた。今日一日の出来事を振り返ってみるけど、やっぱりわからない。
でもそれは、無駄な作業だった。
「もしまたなんかあったら、すぐ俺に言えよ。……助けるから」
まっすぐに私を見つめて、力強く桃矢は言いきった。絶対にそうするのだと、そのための力が自分にあるのだと信じてるかのように。
まるで、ピアノを弾くときよりも真剣な――――――――
だから私は、自分の心臓が破裂するんじゃないかってくらい己を主張するのも、耳まで熱くなったのも、認めるしかなかった。
……なんで、なんで桃矢はこうも私の扱いが得意なのよ。というか、いつそんな王子様とか騎士みたいなキャラになったのよあんた。銅像になっちゃうくらいの忠犬がせいぜいでしょ。
「……うん。ありがと」
嬉しいのをごまかす平気なふりもできず、どうにか笑って私はそれだけ言った。ぼろを出す前にと、足早に家の扉へ向かう。
「また明日、桃矢」
「ああ、じゃあな」
決まりきった挨拶を交わし、私は家の中へ入る。そしてお母さんにただいまと言うのもそこそこに、その場にしゃがみこんだ。
身体が熱い。
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