第6話 助けるから・一
何やってんの私。スマホに表示された時刻を見て、私は自分を罵らずにいられなかった。
体育大会が終わって数日後の、放課後。練習室で練習してた私は、一息ついたついでに眠りこけるという馬鹿をやらかしてしまった。音楽プレイヤーに
ともかく、このとおり窓の外で日が沈み、練習室の予約時間をとっくに過ぎてから私はようやく目が覚めた。一応まだ空は明るいけど、影が濃く大きくなってる。敷地内の木々や塀が影絵みたいで、夜の帳が下りようとする頃、なんてどっかの文学作品の表現がぴったりだ。
今から駅へ行って、電車に乗って……うわ、家に着くの、いつもよりかなり遅い。昼休憩に結構寝たのに、どんなけ爆睡してたのよ私。眠いからってここでうとうとしたのが運のつきだった……。
使ってた音楽プレイヤーやらスピーカーやらしまいながら後悔しても、もう遅い。ため息をついて、私はお母さんに電話で帰りが遅くなることを話した。ごめんなさいお母さん、だから白身魚のフライとコロッケは残してください!
晩御飯確保のためには早く帰らないと。大好物の味でいっぱいになる口に急かされ、私は練習室から出た。
練習室から踏み出した廊下は明かりが点いてなくて、窓から差し込む夕暮れの残照だけで薄暗かった。外は充分明るいから、照明がなくても視界は悪くない。
でも……なんか不気味なんだよね。人の気配も人や楽器の声もないせいか、鍵を回して閉める音が心なしか、昼間より大きく聞こえるし。夜の生物室に入ったわけじゃないんだから、そんなに怖がる必要はないはずなんだけどね。中学のときに入ったことあるけど、あれはホントに怖かった……。
今度からは絶対アラーム使おう。そう心に誓って、私は職員室へ急いだ。
…………ん?
足音だ。それも後ろ、そんなに離れてないところから。
さっき階段のところで見た人かな。暗がりの中にいたから顔まではっきり見たわけじゃなかったけど、多分、男子生徒だと思う。声をかけてこなかったから知ってる人じゃないだろうし、鞄の中身でも確かめてるのかなって思って前を通りすぎたけど。
何もしてこないとわかっていても、知らない男子が後ろにいるってだけでなんか緊張する。足長いんだし、いっそさっさと追い抜かしてほしい…………そのほうが安心できるのに。
足音は、速くなったりも近づいてきたりもしなかった。私のとは少しずれた足音で、一定の距離を保って歩いてるだけ。
そう、何もされてないんだから大丈夫だよ。ほら、なんともない。
なんとも……………………。
なわけないよこれ……!
職員室に入ってほっと息をついて、どうせ途中で寝てたんだろお前授業中に眠そうだったもんなって先生にからかわれながら鍵を返して。あとは家へ帰るだけと自分を励まして廊下に戻ったっていうのに、職員室の前を通りすぎてからまた私は緊張するはめになった。
だって、足音がまだするもの。さっきと同じ、つかず離れずの距離を保ちながら絶えない。私についてくる。
………………あれ、速くなってない?
後ろから聞こえてくる足音、速くなってるよ、ね……足音が近くなってきてるし。
不意に、ブーケが頭に浮かんだ。あの、何度も机の上に置かれた小さな花束。
…………もしかして、これ、ブーケを送ってきた人………………?
……………。
心臓がうるさくなった。指先がすっと冷える。
「………………っ」
私は、走る一歩手前の速度で歩いた。私の頭の冷静な部分は、勘違いかもしれないと走りたい私をたしなめる。普通はそうでしょ。学校の廊下で誰かに追いかけられるとか、ないって。
けど、後ろの人が怖い。勘違いかもしれないけど、この距離が怖い。
足音は遠のくことなく、私を追う。それどころか近づきすらしてきた。足音が少しずつ大きくなってくる。
早く、早く――――――――
誰か――――――――
…………玄関!
ようやく玄関が見えてきた。しかも、私のがあるほうとは背中合わせの下駄箱で、靴を履き替えてる男子がいる。
「
桃矢はふと私に気づき、靴を履き替える手を止めて私のほうを向いた。私は救われた気持ちで桃矢に駆け寄る。
玄関の隅々まで照らす明かりの下振り返ると、あの足音の主の姿はなかった。足音も聞こえてこない。まるで私の妄想だったんだと言いたいみたいに、そこにいた証拠が見当たらない。
でも、足音は確かに聞こえてた。あんなにも長く、走りすらして。私を廊下で追いかけてきた人は、いる。
近づいてくる足音が耳によみがえって、身体が震えた。私の身体はそれを止めようと、勝手に自分を抱きしめる。
「おい、どうしたんだよ」
不審そうな顔で桃矢は近づいてくる。でも、何を言えばいいのだろう。知らない男子生徒とすれ違ったあと、足音が後ろからずっとついてきて怖かった? そんなの恥ずかしい。私、ただの怖がりじゃん。
視線をさまよわせた末、私は適当にごまかすことにした。なんでもない、と一言だけ言って、桃矢の靴箱があるのとは別の列へ向かう。
だって、ねえ。私にも一応、プライドってものがあるもの。誰かの足音に怯えて逃げてましたなんて、言えるわけがない。ましてや桃矢――――好きな人になんて。無理無理。
うん、あんなの大したことじゃない。私の勘違いかもしれないし――――――――
「…………」
自分に言い聞かせながら、数字だけが黒文字でプレートに書かれた下駄箱の扉を開けた私は、身体も思考も硬直した。
だって、だって…………!
紙と小箱があるし!
今朝開けたときは何も入ってなかったし、私もここへ何も入れたりしない。でもロッカーと違って、下駄箱に鍵はない。その気になれば、誰だって私の下駄箱に物を入れておくことは可能だ。
「……」
幻覚とか幻聴とかなんてことは…………ないよね。私、熱ないし。飲んじゃいけない薬も買ったことないし。間違いなく、現実だよね。
どうしよう、これ。率直に、私はそう思った。自分の下駄箱を見つめたまま、立ち尽くす。
どっちも手にとりたくない。嫌なことが書かれてたり入ってるとしか思えない。
でも両方ともどかさないと、靴がとれない。というか、中身を見ないにしてもゴミ箱に捨てないと邪魔だ。
…………とるしかないよね。
そう、とるしかない。蜘蛛か蟷螂を捕まえるみたいな気持ちで、私は鞄を小脇に抱え、紙と小箱を下駄箱から取り出した。
紙は二つに折りたたまれて、何が書いてあるのかはわからない。クリーム色の小箱は、手のひらにすっぽり収まる大きさの正方形だ。
……………………。
スマホのアプリで地域と国内外の主要なニュース記事を一応は読む自分を、私はこのときばかりは恨んだ。
だって昨日、飲食店のバイトの女性につきまとってたストーカーが捕まったっていう国内ニュースを読んだばかりだ。あれもストーカーが女性に贈り物をしてた。そうでなくてもこの小箱の大きさ、形。入るものは限定されてるし。どう見てもこの小箱、あれを入れる用でしょ。
ニュースと眼前の光景は私の頭の中で勝手に結びつけられ、紙と小箱がものすごく汚くて恐ろしいものに思えてきた。けど、玄関のゴミ箱へ行くには、今桃矢が靴を履き替えてるあたりを横切らないといけない。桃矢に絶対気づかれる。それは避けたい。
どうしよう。その言葉だけが私の頭の中をぐるぐると巡る。
「美伽、何やってんだよ」
「!」
私が行動の一つもできずに立ちすくんでいると、桃矢が反対側の靴箱から顔を出してきた。私はびくりと肩を揺らして振り返る。
「どうした? ……!」
私のそばにやってきた桃矢は、私が持ってるものを見てはっと目を見開いた。
「それ、下駄箱に入ってたのか?」
「う、うん……今朝はなかったんだけど……」
「貸せ」
言いながら、桃矢は私の手から紙を奪い取って勝手に開いた。直後、唖然とした顔になる。理解が追いつかない、なんだこれ、と言ってるような。
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