第3話 とりあえず、走れ!・一

「なんでこんなことになってんの……」


 練習で午前中を過ごした私は、様子を見に向かった校庭を斜面の上から一望し、呆然と呟いた。

 大園おおぞのの体育大会は、五月に行われる。とは言っても強制参加なのは普通科だけで、音楽科の生徒は自由参加だ。下手に競技をやって怪我をしたりしたら、参加予定のコンクールや発表会に響くもんね。だから今日の音楽科校舎は授業がなくても、レッスンや自主練習、オケ部に励む生徒たちが奏でる楽器の音で、いつもと同じかそれ以上に賑やかだ。

 ……そのはずなんだけど。


「頑張れ十川くーん!」

「中西いっけー!」

「秋田君後ろ後ろー!」


 放送部によるBGМと普通科生徒たちの喧騒に混じって、音楽科選抜の生徒を激励する声がはっきりと校庭に響く。それも一ヶ所だけじゃなく、あちこちから。それどころか、音楽科であることを示すワッペンをつけた生徒ともよくすれ違う。


「練習しないでこっちに来てる私が言うのもあれだけど……なんで、こんなに音楽科の生徒が校庭にいるんだろ……普通科からも音楽科選抜の応援が聞こえてきてるような……」

「あはは……まあ、皆かっこいいから」

「音楽科は持久力以外の運動能力で活躍できないしね」


 いやいや倉本くらもと君、それはある意味正解だけど、さり気なく失礼じゃないかな。皆結構頑張ってるよ? というか、さっきも球拾いで大活躍だった音楽科の貴方が言ってもねえ。ものすごく動き回って球を拾ってたよね?

 呟きに答えてくれた友達の片方であるこの体育大会の参加者に、私はそう心の中でツッコミを入れた。


 桃矢とうやと同じクラスの倉本圭介けいすけ君は、桃矢と並んでピアノ専攻二年の二大イケメンなんて校内新聞に書かれたりする、女子に大人気の男の子だ。すらりとした体格、真っ黒でまっすぐな髪に飾られたいかにも賢そうな顔立ち。穏やかな雰囲気に、洗練された立ち居振る舞い。どこの漫画のキャラですかって言いたくなる。がさつで見た目からして豪快な桃矢とはまるで違う。


 その他の音楽科の出場者も学年を問わず、系統の違う美男美女が勢揃いときてる。確かに、運動神経以外の要素中心で選ばれた線が濃厚だ。倉本君も、音楽科の体育委員会の人にかなり熱烈に誘われたらしいし。参加メンバーを選んで実際に引っ張ってきた人は、芸能界のスカウトさんの才能があると思う。

 だから、一緒に観戦中のもう一人の友達が参加者じゃないのは、校内コンクールに出たいからなんだろう。


「ねえ。真彩まやは音楽科の体育委員の人に頼まれなかったの? 校内コンクールに出るから断ったの?」

「うん。足手まといになりそうだったし」


 あ、やっぱりそうなんだ。肩をすくめる真彩――天崎あまさき真彩の不参加の理由に私は納得した。でも、真彩は足手まといになんかならないでしょ。実は結構足速いもの。それに、真彩が出るなら他の音楽科から出る男子が張りきるに決まってるし。相乗効果で、一位を狙えるはずだよ。


 そのくらいの容姿なのだ、真彩は。

 腰に届く焦げ茶の髪、真っ白な肌、どこをどうしたらそんなふうになるのかってくらい小さな顔と完璧なパーツの配置。人形みたいに可愛いって表現は、真彩のためにあると思う。中学のときは十代向けファッション雑誌で読者モデルをしてたらしいけど、こんなに可愛いのだから当然だよね。そんな経歴だから、読者モデルを辞めた今でも真彩はかなりのお洒落さんだ。

 こんなに可愛いのだから、もし真彩が出場してたら、音楽科と普通科の男子が運動場の一角を占拠してたかもしれない。……うわー、真彩が出場しなくてよかったかも。見た目が怖いよそれ。


 そんなことを私が考えてるうちに、六人中三位の成績で回ってきたヴァイオリン専攻の一年男子の手から、桃矢へバトンが渡された。へえ、渡し方がなめらか。一年の子が全然足を緩めてない。

 軽く走ってた桃矢は、渡されたバトンを持ち替えるや、一気に加速した。前を走る普通科男子を目指して突っ走る。さすが大型犬。目標目指して突っ走るのは得意分野だよね。

 音楽科なのだから三位につけるだけでも結構なものだっていうのに、桃矢はどんどん二位との差を詰めていく。気づけばもうないどころか、追い抜かす。もう前にいるのは、一位だけだ。

 あーこれ、桃矢ってば本気だ。絶対ピアノのことも考えてない。考えてないから頭が軽くなった分、足が速くなったのかな。陸上部のお誘いがかかるレベルじゃん。

 一位の普通科の男子は運動が得意じゃないのか、本気の桃矢はまたどんどん差を縮めていった。そしてまた追い抜かした。

 だからこのとおり、女子の声援の黄色いこと、大きいこと! はいはーい、普通科の女子の皆さん、落ち着きましょうね。さっきも結構な黄色い声だったけど、さらに強烈になってません? 男子が若干引いてますよ? うるさい。私も耳栓が欲しい……。


 まあ、わかるけどね。こうやって真面目にやってるところは、かっこいいかと言えばかっこいいし。……本人には絶対に言ってやらないけど。

 さらにランナーは二度変わって、結果は二位。音楽科選抜としては充分すぎる成績だ。去年を上回る成績に、真彩は興奮気味だった。


「ねえ美伽みかちゃん、倉本君。音楽科なのに二位だよ? 特に斎内さいうち君、すごく頑張ってたよね!」

「うん、そうだね。桃矢、足は速いから」

「それに、やたら気合いの入った人が三年の参加者にいるからね。三位以内が目標みたいで、かなりはっぱをかけられたんだよ。リレーの参加者は練習させられたって聞いたよ」


 うわあ、それはまた熱心な……競技の練習って、気合い入りすぎでしょ。そんなに食堂の半額券欲しいのかな。

 そんなふうに、私が顔も知らない先輩の気合いの理由を考えてるあいだに、次の種目が始まった。体育委員会の発案で今年から採り入れられた種目、借り物競争だ。


 で、競技は一応、問題なく進行していくわけなんだけど。

 …………………………えーと、えーと。


「なんか、すごいことになってるね……」

「すごいどころじゃないってこれっ……!」


 真彩は口元に手を当てて笑いをこらえ、私は腹を抱えながら言った。や、もう大笑いしたあとなんだけどね。

 だって、指定された借り物が滅茶苦茶なんだもの。ジャージや水中眼鏡、竹刀はもちろんのこと、保健の先生の白衣に眼鏡の三年、ひょっとこ仮面、厚化粧の先生。挙句、先生のカツラにまで手を出してる。さすがに駄目でしょ、先生のカツラは。誰だ、こんな指定考えた人。お腹痛くなるくらい笑わせてもらったけどね!

 物も人も関係なく借り出しに走るのが借り物競争のはずなのに、何故か白いワンピースを着て走る男子生徒もいるし。面白ければなんでもありですか。体育委員会には非道な人がいるらしい。

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