第24話 監獄




 助手席に座ってしばらく経つが発車する気配がない。

 時間か人を待っているのか。あるいは私の行動になにか期待している?


「さっきの電話。どんな内容だった?」

「誰と、ってのは聞かないんだな」

「話した感じでなんとなく分かる……芦田ひかりだろう?」


 電話で話すときのくだけた感じ。親しみと気安さ、会話の内容で察しはつく。

 劇団の同期か後輩か、その周りの誰か……

 そして、松木アキラが信頼を寄せている人物ともなれば該当は一人しかいない。


「そうだ。JINプロのスタジオと事務所内に誰か残ってるか聞いてた。児童劇団の方は明日が公演本番だから、もう準備するものはない。うちの……劇団JINの方の出入りが少しあったが、ほとんどの人員は帰ってるらしい」

「そうか」

「ガミさん……紙谷さんはまだ残っているとよ」

「そうか……」


 好都合だな。紙谷リョウジとは今夜中に話をつけようと思っていた。

 日野陽菜の体で主役を演じるとか、もうそんな段階じゃない。

 向こうの持っている情報は全て引きずり出す。

 乱暴なことになってもいい。どうせ私の許容できるラインは越えている。

 すでに私は、私なりの責任を取るしかないんだ。


 こちらで打てる策は、ほとんど無い。

 《しるし》を使ってあの揺らぎを開きたいが、無理だ。

 もう私は……あれに触れたらどうなるのかを体験したんだから。

 仮にそうなった場合。陽菜の身体を残して私は消える。

 それだけは何としても避けたい。


 松木アキラに開けてもらう。七瀬あやねの台本では失敗したが、

 あと二つ。陽菜のノートか正確に描けるなら自力でもいい。

 こいつに任せるしかない。どんな手を使ってでも。


 でも、なぜだろう。

 私はいま人と話している気さえしない。

 言葉が表面上は通じているように思うだけだ。


「先に言っておく……えっと、あれ……」


 ため息をついて、松木アキラが後部座席から何かを物音を立てて探しだした。

 心を読んでいるなら、こちらの失礼を軽く怒ったか? 

 それからまだ可愛げというか、人間味があるのだが。


「ああ、これこれ。さっき会ってからずっと思ってたんだよな」


 使い古したボストンバッグから、無造作にナイフを取り出した。

 ナイフ――果物ナイフとかキッチンで使う類のものにはとても見えない。

 警察に見つかれば確実に逮捕される。そんな形状と刃渡り。


「お前はいま殺す」

「……」


 《嘘はついていない》

 こいつ。私を、マジに。殺意を込めて刺すつもりだ。


 こっちは右手と首すじ、向こうは右腕を怪我している。

 お互いシートベルトはしていない。

 動きと出来ることの範囲を客観的に確かめた。


 ドアに手を掛ければ半身の腹部を一刺しに。


 幸運に右手でずらしたバッグで防げても、

 開いたドアから出るまでに背中に深い切り傷か刺し傷。

 そこから組み伏せられて胸に致命傷が入る。


 抵抗は? 

 この体格差じゃ無理がある。バッグを投げつけても怯まず最短手順で来る。

 なら反撃は《近付く手間の省ける意味のない行動だ》


「……」

「……」


 こちらの全ての思考を見切った上で、確実に遂行できる動きで。

 松木アキラはナイフを身体に滑り込ませてくるだろう。

 陽菜にはすこし大きすぎて、刺しどころによっては突き抜けるそれを。


 向こうの殺意、行動。こちらの考えを読み取っているのも分かった。

 今は読める。むしろこっちのほうが人間らしい感情だと思う。

 なら私を殺すに値する理由は? 


「そうか……」

「諦めがついたか?」


 ゆっくりとこちらに向かうナイフの背を、手で包むように逸らして制する。


「《呪い》を受けている者の、心を覗くことは難しい……そういうことか?」

「ああ。回りくどくしちまったが、そうだ」

「よく分かった。お前のほうがより精通していることも、分かった」

「細かく言えば、心の中を演じたように都合よく見せかけられるってだけで、芝居の打てる奴の方がより本物らしく振舞えるだろうな。これも《呪い》で出来ることの一つ」


 松木アキラはナイフを軽く投げ、

 ジッパーが開いたままのボストンバッグに放り込む。

 礼を欠いた挑発への意趣返しとしたら、ずいぶん手の込んだことだ。


 だが、さっきのこと……茶番ではなく本当の殺意だという疑念も残しておく。

 あれがまぎれもない本性で、今たまたま切り替わっただけなのかも。

 

「必要以上に脅しが効いちまったみたいだが、まあそっちも好き勝手言ってたし好きに解釈してくれ」


 こいつの言っていること、思っていることの真偽。

 証明はできないと判明した以上、都合の良いように受け取っておくしかない。


 だが、断定はしない。

 車に乗り込む前に《覗き込んだ》あの黒で塗りつぶしたような内面。

 あれが見せかけではない真実だという可能性を……捨てきれないのだから。


「話を戻そうか……ええと、そうそう。ミツの電話から分かった事だったよな」

「あの子は信頼できるのか? 情報が向こうに漏れているんじゃないか?」

「長い付き合いだ。俺とミツとあやねは、JINプロ児童劇団の同期生で……

 嘘は付くかもしれないが、俺を裏切るようなことは絶対無い」


 一言で言うなら、陽菜とつぐみと未羽みたいな関係で説明が付くが、

 この妙な類似は何か関連性があるのだろうか。

 《呪い》を受け、記憶を失い、人をのむように消えていく。


 芦田光。こちらに害を及ぼす危うい要素ではある。

 あの子も《呪い》によって記憶や人格のいくつかを失っていた。

 松木アキラや陽菜ほどでは無いにしても、彼女も向こう側を見ているはずだ。

 そして今も生かされている。

 利用価値があるか、潜在的に敵側の方であるかは、分からない。


「今となっては確かめようがないが……十年前、ミツとあやねは《呪い》のことを誰かから知り、使っていた。多分なにか事故のようなものが突然起きて……あやねは消えて、ミツはそのときの事を忘れている。俺は、当時何も知らず周りの仲間に当たり散らしていたよ」

「紙谷リョウジは深く関わっているのか? やつも《呪い》持ちか?」

「……その可能性は高いと思う」


 松木アキラでも判断がつかないとは。

 当然か。探りを入れても心を覗いても、中身は演出すればいいだけなんだから。


 今夜、向こうで話を聞き出せる状況を作った上で、

 裏付けを取るつもりだったが。それも出来ない。

 両手をあげて降参する気はないが、だいぶ予定と前提が崩れた。


「ガミさんの大先輩に、澤村って人がいてな」

「……少し知ってる。紙谷リョウジと繋がりの深い役者だろう? ずいぶん昔に舞台装置の事故で亡くなったと」

「ああ、元々歌舞伎役者の出で、奇行が目立つから破門されたっていうが、役者の才能は凄かったらしい……そいつが怪しげなおまじないを上演前にいつもしていたそうだ。歌舞伎や古典芸能であったモンか知らないが、俺たちの因縁はその辺が始まりみたいだ」


 松木アキラは最近まで何も知らなかったと謙遜していたが、

 数少ない情報、特に七瀬あやねの残した《しるし》の形から辿り、

 詳しく調べ上げていたようだ。


「古くは江戸時代から、緊張を消すおまじないとして資料に残ってた。――もちろんタダのおまじないだぜ? で、偶然か……特定の条件が重なって、俺や陽菜のような状態になることを澤村先輩はどこかで気付いた」

「べつに歴史の講釈や事のおこりは興味ないな」

「そうだ。それ自体今はどうでもいい。でも澤村センパイはバケモンに殺された。事故じゃない。分かるんだよ。俺も襲われたからな……自業自得だが。それに、ガミさんが一枚噛んでる」


 澤村という役者の事故。

 たしかに何らかの陰謀があってもおかしくはない。

 《呪い》に関わった者ならより強く推測できるところもある。

 ――そもそもあのバケモノは何なのか。

 疑問は尽きないが、それは行動しこれから確かめればいい。


「んん、今から行けばちょうどいいな」

「時間と用意はいいのか? なら安全運転で頼む」

「目が少し見えねえが、スタジオまでは持つぜ」


 その軽口に、つい笑ってしまった。

 感覚の欠落は進んでいるが冗談に出来る程度らしい。

 あまりに場違いで、とても今のこいつが言うセリフじゃない。


 誰でも最低限の境界線というものがある。

 普段は百人いて百人が超えることのない日常の線。


 自他問わず状況がそれをオーバーした時、

 今までの意志や目標、価値観すべてがどうでもよくなってしまう。

 問題は大切なものが何かということじゃない。

 そこからどんな枷が外れ、どんな思考と行動が解放されたかだ。


 私は、この状況でも、陽菜と関係のある人たちを誰一人傷つける気は無かった。

 多少脅迫じみたことや恐怖を煽ったりはするかもしれないが、

 怪我を負わせるなんて……ましてや殺そうとは思ってない。


 ――こいつにとってはどうなんだ?

 劇団。公演。責任。交友関係。

 おおよそ松木アキラについて回っている日常の枷は、

 いまも自覚して持ち得ているのか?


 後部座席のバッグには本物のナイフが入っている。

 舞台小道具のレプリカじゃない。さっき触れたから分かる。

 他にもぎっしりと何かが詰まっている。


 これは《しるし》からの呼び出しに失敗した後で、用意したものだ。

 状況に応じて使う道具……どこまで想定している?


 失ったもの。境界線を踏み越えて、覆すことも取り返すことの出来ないもの。

 それはお互いに分かる。


 あとはどう舞台の幕を下ろすか。

 私は決まっている。こいつはどうだ? 私の思った通りなのか、それとも――


「ふふっ……」

「くくくっ」


 日野陽菜と松木アキラの日常はもう壊れている。

 車も向かうだけの片道切符。

 あとは不幸な道すじから選べる二者択一。贅沢は言ってられない。


 全てが消えるか。そうじゃないかだ。




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