第23話 夜空
『お掛けになった電話は、電波の届かない場所にあるか、
電源が入っていないため……』
結局のところ陽菜は家に帰る途中だったらしい。
舞台練習用の荷物一式に汗だくのこの服。容易に想像が付く。
繋がらなかったが、着信の履歴を見て松木アキラが一緒だったことも分かる。
劇場で最終リハーサルが長引いたのか、終わった後何かしらあったのか。
夜になるから車で送る……おそらくはそんな筋書きで合っているはずだ。
車を停めているなら大通りからそう遠くない所。
中学生の子を長々と歩かせる性格じゃない。
駐車場を使うより、公園の周りとかの方が奴のイメージに合う。
この辺は陽菜の記憶が頼りになるが……。
公園にさし掛かる。このままぐるりと一周して車を探そうかと思った先に、
いつものあの声が聞こえてきた。
「それは別に……え? お前な……。いや、それだけ聞きたかったんだよ」
公衆電話。
箱形ではないタイプで、近所迷惑な大声が遮られずに響いていた。
たしかに携帯を持ってないなら誰かに電話する可能性も考えられた。
肝心なのはそれが誰に向けたもので、どんな内容か。
「おう。こっちはこっちで勝手にやる……分かってるよ。……じゃあな」
そして最も重要なことは、こいつが敵側にいるかどうかだ。
陽菜の色眼鏡無しじゃだいぶ怪しい。
七瀬あやねのことで騙され、あるいは利用されていたっておかしくない。
絶対的な味方だと、楽観は出来ない……。
違うな。
この期に及んでこいつを敵だと断定できない時点で、見通しは甘いのだ。
「……」
「……」
電話を切って振り向いた松木アキラと目が合った。
向こうが何か言いかけたが、飲みこんだようだ。途中で何か気付いたらしい。
どうする? 陽菜のふりをして接するか?
《心を覗かれる》までは騙して情報を引き出せる。その後の心証は最悪だが。
私はこいつをまだ敵とみなしてはいないわけだし、どうするか。
今のところは様子見か。まだ色々な手段は保留にして――
「お前。ひなはどうした?」
「……」
ぴしりと、空気にひびが入ったような。こちらの言葉をひとつ間違えれば、
あらゆるものが砕けて差し迫った場になる。そんな雰囲気。
視線や意志、松木アキラから向けられるすべての鋭さが、突き刺さっている。
《心を覗こう》としたが、止めた。なるべく消耗は避けたい。
程度はどうあれこいつは怒っていて、その理由も見当がつくのだから。
「ひなはもういない。松木アキラ。お前を見つけるようにと、最後に願っていた」
「納得……すると思うか? そんなこと」
「知るかよそんなことは」
じれったいな。はっきりさせたいなら心でも何でも覗けばいいだろう。
想いが通じ合ったなどと言うつもりもない。
あちらから勝手に願われて、こちらから勝手に応じた、そう思っているだけだ。
しかしそれを私は微塵も疑わず確信している。
この場合の納得と言うのは、少し違う。
松木アキラにとって、日野陽菜がどんな存在だったか。
恐らくは沸き上がった怒りをどこに向けていいのかも分かっていないのだ。
「そんなことよりも、その腕。……お前もそうか。失敗したんだな」
松木アキラの衣服を指差した。
右腕だけ長袖のボタンを外していて、ちらりと白い包帯が見える。
交換ノート。七瀬あやねの台本。
ふいにその二つが頭に浮かんだ。同時に《しるし》のことも。
しるしを描いた者が十年も井戸の底で生きているなどと松木アキラは考えまい。
傷から見てごく最近のことで、何か実験めいたものを試したんだな。
それとも信じてすがるしかなかったのか? 私を呼び戻した陽菜のように。
「一緒にするな。ひなはあの時怯えていたんだぞ。どんな気持ちにさせてたか分かってるのか? いくら偶然が重なったって、とても《しるし》から誰かを呼びだすなんて行動には行きつくわけがない。そうするように仕向けた奴がいたに決まってる」
「それが私とでも?」
「とぼけるなよ……《じれったいのは》嫌いなんだろ?」
「……まあそうだ。あの時は不完全ながらああするしかなかった」
陽菜の人格と混じり合ってた時にも思ったことだが、
私とは覗ける精度が違いすぎる。……二人とも。
ある方向の素質も、適性に関わっているのかもしれない。
つまり、人の本質や真贋を見抜ける素質が。
とはいえ《呪い》の進行具合、速さとは関係ないらしいから、
単に肉体と精神は同一の方が、そういったものをより引き出せる程度の差なのかもな。 ――という思考も読まれているわけだが。
まあ、つぐみや未羽との友情を疑うのは、私が適役だったということだ。
「でも良かったじゃないか。最後まで松木アキラはひなの憧れで、心配されて、願われて。お前に利用されていただけなんてほんの少しも思っていなかった。都合のいい役どころだな」
「何だと?」
「お前が七瀬あやねに関することで、この子をエサに使っていたのは分かってる。劇団の誰かが接触するか見るために。ひなの消耗を止めることは出来なくて、情報が足りなかったとしても……出来たはずの配慮をわざとしなかった。本来なら今ここに私がいるべきじゃない、そうだろう? それとも違うと言えるか?」
「……」
「いいか。お前は、ひなを利用したんだ」
もう一度強調して繰り返す。
沈黙がすでに答えになっているが、それでは納得しない。
その心を、声を聞かないと私の気が済みそうにない。
松木アキラ。十年前から続く悪夢には同情する。
お前は身と精神を削り行動して、利用できるものは全て利用した。
だがお前をただ慕いただ心配し、私に全てを託してまでここに来させた陽菜を。
――どう思うんだ?
受け止められるのか? 忘れようとするのか?
それは本当に全てを利用し犠牲にしてなお、釣り合うものなのか?
どうした。見せてみろ。聞かせてみろよ。
《心を覗けば》否応なしだ。
「……え?」
なにもない。
言葉も。記憶の情景も。感情の色も。
何も見えない。聞こえない。
日野陽菜も七瀬彩音も、そこにはいない。
怒り。後悔。焦り。憎しみ。自信。誇り。何の思いもない。
いくつもの感情が、その時々で入り混じるはずなのに。
私は、会話の中で多少の波風をこいつの心に立ててやったつもりだ。
何かを考え、何かを思い出し、何かを感じる。……どんな人間でも!
ロボットじゃないんだぞ。こんな、まるで、心が無いみたいな。
シャッターが閉じて真っ暗というか……
――いや、違う。閉じてない。
こいつの心は、最初からはっきりと見えている。
暗闇だ。星のない夜空のような。
あくまでも人の域で。誰にでもある。心の大きさと深さ。
なにも無いといったのは間違いだ。
差があるのはたった一つだけ。
一つの想いが、心を隙間なく真っ黒に埋め尽くしている。
その想いとは――
「ひっ……う」
理解できない。
理解できる前に胸と頭の間が拒絶していた。
そうしなければ、許容量を越えて精神が決壊してしまうだろう。
なぜこいつは平気でいられるんだ?
「松木アキラ……お前、正気なのか?」
「さあね。劇団の連中にゃそれをよく言われたりするが……真剣に聞かれたことは無かったな」
陽菜も何度か松木アキラの心を覗いた。私もそれを共有したことがある。
変態だ変人だと称されても、意外と常識人で意外と面倒見がよくて、誰もが認める舞台練習の虫。そのはずだ。そこに大きなズレは絶対にない。
いつから、こうなっている?
《しるし》での呼び出しで受け入れがたい事実を理解したか、
もしかしたら十年前からすでに、この状態のままなのか。
……何者かが人形のように操り、メッセージを言わせてるような。
そうでないと心の中があんなな説明がつかない!
あるいは、こいつこそが黒い《かいぶつ》そのもの。
そう考えた方が自然にすら思えてしまう。
「ううっ……」
吐き気を押さえる。汗が止まらない。
私にとっての幸運は。松木アキラに心を掌握されていることだ。
陽菜に対して、敵対の意思を初めから持っていない。
それだけで許されている。……表面上は。
「……それで、これからどうする。七瀬あやねの仇でもとる気か?」
「お前もひなのこと、このままで済ます気はないんだろ?」
来たいなら来い、と車の方に顔を向ける。
そのまま何の警戒もなく背中を見せて歩き出した。
陽菜。
このまま追いかけ続けていいのか?
示してくれた道を、進んでいいのか?
私にとっての不幸は、
お互いに利害が一致していて、共通の敵がいて、
陽菜が真っ先に頼るべきはずのこいつを、一切信じることが出来ないこと。
それでもいい。私はすでに失っている。こいつも同類かどうか?
興味は無いし問題じゃない。時間をかけるものでもない。
夜空から星が全て見えなくなったとしても、どこを目指すかは決まっている。
信じるのは陽菜の記憶と、陽菜の思いだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます