第162話アキラの陞爵

 真上にある太陽からの日が窓から差し込む部屋の中で、アキラは侯爵に跪いていた。


 これは何もアキラが侯爵に忠誠を誓った、などと言うわけではなく、ただ必要だからこそやっているだけだった。

 なんでアキラがそんなことを必要としたかと言えば……


「——汝、王国の為に尽くし、更なる繁栄をもたらす意思はあるか?」

「はい。この身は王国の為に」


 ただただ無感情な声で言い放つ侯爵の言葉に、同じように感情なんて全くこもっていないただの定型の言葉を返すだけのアキラ。

 簡単に言ってしまえば、これは陞爵のための儀式だ。

 これによってアキラは男爵から子爵へと階級をあげることができた。


 もっとも、このようなことをしなくとも王族を交えて大々的に行われる儀式でもないのだからひざまづく必要などない。陞爵を告げて書類を渡し、アキラがそれにサインをすればおしまいにできる程度のこと。


 だがそれでも尚アキラたちがこのような茶番を行ったのかと言ったら、知らなければいつかアキラが陞爵についての知識が必要になったときに恥をかくからだ。

 もちろん侯爵としてはアキラが恥をかくことになったとしてもどうでもいい。むしろ喜ぶことだろう。

 だがそれも、自分に害がなければの話だ。


 侯爵はアキラのことは気に入らないし、それはアキラも侯爵のことを嫌っているが、だが世間的、書類上では二人は親子なのだ。


 貴族として必要なことをアキラが知らなければ、それは親である侯爵と侯爵家の恥ともなる。お前は息子に教育をしなかったようだな、と。

 それを避けるために、面倒であったし行いたいものではなかったが、侯爵はアキラに正しい陞爵の手順を教える意味を込めて先程のような茶番を行なったのだった。


「これで終わりだ。あとはこれにサインをしろ」


 最後に子爵の身分を示すメダルをもらって茶番は終わり、跪いていたアキラに向かって声をかけると同時に、指先で机を叩いてそこにある数枚の紙を示した。


「余韻も何もあったもんじゃないな。もっと仰々しいものを想像してたよ」


 侯爵の言葉を受けて立ち上がったアキラは書類を読んでサインをしていくが、そんな軽口を口にした。


「お前が叙爵された時のは特別だ。国にとって重要な者、あるいは重要な事柄において成果を出した者は陛下より大々的に爵位を授けられるが、他は爵位の証を渡され、書類にサインをするだけだ」


 アキラの言葉にぴくりと眉を動かしてから答えた侯爵だが、その言葉はアキラのように冗談めかしたものではなく相変わらず険があるものだった。


「そも、我々の間には余韻も何も必要ないだろう」

「ま、ごもっとも。俺もあんたも、顔を合わせてるのは1秒でも少ない方がありがたいだろうからな」


 それ以降二人が言葉を交わすことはなく、アキラが書類を読んでサインをしていくだけの時間が流れた。


「契約は忘れるな」


 そしてサインをし終えた後、アキラは部屋を出て行こうとするが、去り際にアキラの背中に侯爵から声がかけられた。


「子爵にしてもらった代わりにあんたたちには手を出すなって? わかってるよ、そんなの」


 侯爵の言葉にアキラは振り返ることもなく、それどころか足を止めることすらなく言葉を返す。


「まあ、そっちから手を出してこなければ、だけどな」


 だが、最後に扉のドアノブに手をかけたところで冷たく笑いながら振り返り、そう言い放った。


 その言葉を受けた侯爵はそれまでよりも盛大に表情を歪め、それを見たアキラは冷たさを消して愉快そうに笑った、


「これであんたらは王族の関係者になれるんだ。少しくらい息子の功績を喜べよ」


 そして、そう言い残すと今度は泊まることなく部屋を出て行った。


「……自身のことを私の息子などと、思ったことなどないだろうに」


 アキラが部屋を出て行った後、険しい顔のまま扉を見ていた侯爵はそう吐き捨てたが、その言葉を聞いているものは誰もいなかった。


 ——◆◇◆◇——


「これで、もう用はないな」


 侯爵の屋敷から現在の自宅である店に戻る馬車の中。アキラは椅子に体を預けながら息を吐き出した。


「あとは処理するだけで、終わる」


 処理、と言う言葉が何を指しているのか、それはアキラ以外には誰もわからない。

 唯一アトリアならばわかるかもしれないが、それも大まかな方向性がわかると言うだけ。具体的に何をしようとしているかは理解していないだろう。


 そしてその〝処理〟が示すことは、『侯爵家の没落』だ。

 アキラは侯爵家のものに手を出さないと契約を結んだが、だからといって母親を苦しめた原因である侯爵を許す気などかけらもなかった。


 王女であるアトリアとの婚姻のために身分が必要だから侯爵家に入ったが、そのうち潰そうと考えていたし、その考えを変えるつもりはなかった。


「でも終わらせるのは……まあ正式に婚姻を結んでからの方が問題が少ないかな?」


 一応、既に侯爵家を潰したところで自身に被害はないようになっているが、それでも親の家になんらかの問題が発生してつぶれた場合、王女との婚姻について周りがとやかく言ってくる可能性は十分に考えられた。

 なので、確実を期するのであれば、実際に婚姻を結んでからの方が安全であると考えられる。


「とりあえずやることとしては……」


 そうしてアキラは今後やるべきことを考えながら、馬車を降りて辿り着いた館の中へとはいって言った。


「おかえりなさいませ」

「ただいま。レーレは居るか?」

「はい。執務室いらっしゃいます」

「そうか、わかった」


 いつもの如く使用人兼従業員であるサキュバスたちに出迎えられたアキラは、その筆頭であるレーレに話をすべく居場所を尋ね、彼女の元へと向かうことにした。


「レーレ、俺だ。今いいか?」

「へ? あっ、はい! どうぞ!」

「悪いな、仕事の大半を任せて」

「いえっ! これも配下の務めですので!」


 それまで黙々と仕事をしていたレーレだが、自分たちの主であるアキラがやってきたことで一瞬気の抜けた声を漏らし、その直後には慌てながら立ち上がりアキラのことを出迎えた。


 アキラとしてはそんなに慌てて出迎えたりしなくても構わないのだが、それは今までいくら言ってもレーレたちは聞かなかったので好きにさせることにしていた。


「まあ頼んでおいてなんだけど、ほどほどにな」

「ありがとうございます。——それで、御用の方はいかがされましたか?」


 レーレにとって、アキラがなんの用もなくただ自分を労うだけで来たとは考えづらかった。


 もちろんアキラが絶対にそういうことをしないとは言えないが、それでもアキラが今日出かけるのは知っていたし、今帰ってきたばかりだろうと言うのもわかった。


 だが、帰ってきてすぐに自分のところにただ会いに来るはずもないということもわかっている。にもかかわらず自身のところに来たと言うことは、なんらかの用事があるということになる。


「頼みたいことがある」


 レーレが既に自分がどうしてここに来たのか理解していることを察したアキラは、余計な前置きなどせずに本題に入ることにした。


「なんなりと」

「侯爵……俺の父親について、調べた資料があったよな?」

「はい。必要とあらばお取りしてまいりますが」


 アキラに取りに行かせるわけにはいかない、と考えたレーレの提案をアキラは首を横に振って答える。


「いや、今更見直さなくても頭の中に入ってるからいい。そうじゃなくて、その情報を貴族の間に広めることはできるか?」

「それは夢で、でしょうか? それとも現実で?」

「どっちもだ。気づかれなければ裏も表も、手段は問わない」

「広める、ということはいつもの逆ですね。かしこまりました」


 ここの店は『夢を売る』店だ。

 客を個室で眠らせ、その者が望む夢を見せる。

 その対価として働いているサキュバスを筆頭とした夢や精神に関する能力を持った魔物——いわゆる夢魔たちが客からエネルギーを吸い取って日々の糧としている。


 だがそれ以外にももう一つ、夢を見せた相手が気づかないうちに情報を抜き取ってそれを記録しているという裏の面があった。


 今回アキラが提案したのはその逆。情報を抜き取るのではなく、情報を差し込むこと。

 夢を見せた相手に、朧げな記憶として情報を送り込むことで「あれ、これどこかで聞いたことがあるなぁ」と思い込ませることができる。

 その上、ただ話を聞かせるのとは違って頭の中に直接記憶させるので、そう簡単に忘れることもない。


 そして、貴族のうち何名かにそのようなことをして同じ情報を刷り込ませておけば、それはいつの間にか貴族たちの間に広まることとなる。それが〝面白い話〟であればあるほど、早く、広く。


「なら、それを俺が指示したタイミングでできるようにしておいてほしい」

「かしこまりました。どこまででしょうか?」

「全部だ」

「え?」


 アキラからの答えに、レーレは一瞬言葉に詰まる。


「ぜ、全部とは……」

「文字通り言葉通りだ。あいつに関する醜聞、悪評、犯罪行為全部を貴族館に広めろ」

「で、ですが、そうされますとご主人様にまで累が及ぶことになります!」


 一応侯爵家と子爵家で家は別れたものの、繋がりがあること自体は変わらない。それ故に、侯爵の悪評が広まったらアキラにまで影響が出てくることになる。

 レーレはそれを気にしてアキラに進言する。


「ならないさ」


 だが、アキラは自信満々にレーレの言葉を否定した。


「もちろん、全く何も言われないってことはないだろうな。でも、罪には問えない。何せ、俺はすでにあいつらとは違う家のものなんだから」

「しかしながら、そのような方便が通るものでしょうか? 貴族達は隙があれば幸いとばかりに食いついてくると思われます」

「普通なら、そうだろうな。でももうすでに王様には約束を取り付けてあるんだ」


 そう。既にアキラは王にそんな約束を取り付けていた。『家が別なら、繋がりがあろうとも罪には問わない』と。


 だがそれでもレーレは食い下がる。それはアキラの行動に不満があるからではなく、その行動の結果アキラが悲しむことを心配しているから。


「それが守られる保証もありません!」

「いや、守るさ」

「それは、なぜ、とお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「んー、そう聞かれても明確な理由なんかは、ないんだよな。でも……」


 アキラは先日会った王のことを思い出す。

 話した感じとしては、真っ当な王様という感じだった。

 しかし、最後に見せた顔だけは、それまでと少し違った。


「母さんと同じ感じがした」

「お母君と……?」

「まあそうは言っても母さんと何かしらの繋がりがある訳じゃない。なんていうかな……雰囲気っていうか、表情が『親』って感じがしたんだ」


 あの時、最後に岩井の言葉を口にした王の表情は、『王』としてのものではなく、娘を案じ、想う『親』のものにアキラには見えた。


「相手は国王なんだし、国のために色々と考えること、動くこともあるだろうさ。自分や他人、誰か個人の思いを潰して話を進めることもあるだろう。でも、国の利益を損なわないのであれば、娘のために動く。そんな感じがしたんだ」


 そんな『親』が約束したのであれば、大丈夫だろう。そう思ったからこそ、アキラは全力で侯爵を潰しにかかることができるのだ。


「……ですが、それでも証文として残っているわけではありません。もし約束を破り貴方様にまで被害が及ぶことがあればっ……」

「その時は、そうだな……どっかに逃げるかな」


 そんなアキラの言葉がレーレには想定外すぎたのか目を丸くしているが、アキラはふっと笑っている。


「うん。そうだな。その時こそ、今みたいな店をやるんじゃなくて、本当にお前達みたいな精神を司る魔物たちの国でも作るか?」


 今はアキラのことを神様として信仰している魔物たちを全員この店に入れるわけにはいかないので定期的に入れ替わって仕えてもらっているが、この場所に拘らないのであればそんな人数制限など設ける必要もなく、一箇所に集まって暮らすことができるのだ。

 そして、それは夢魔たちにとっては喜ばしいことだろう。何せ、自分たちの信仰している神とともに暮らせるようになるのだから。


「でも、こんなことを言うと俺が失敗した方がお前達のためになるか」


 アキラはそんなことを冗談めかして口にするが……


「そ、そのようなことはありません!」


 その言葉に、レーレはアキラに対して怒声を上げた。


「確かに、貴方様がこの地を離れて私たちの国を作ると言うのはとてつもなく甘美なものに思えます。事実、それを望む者もいるでしょう。ですが、私たちは救われました。すでに救われたのです。自分たちは世界に見捨てられたのだと嘆く日々が終わり、笑い合いながら、明日の糧を気にすることなく暮らすことができるようになりました。これ以上を望むことはあっても、それは貴方様の幸福を潰してまで手に入れるものではありませんっ!」


 レーレがそう宣言するなり、先ほどまでアキラとレーレしかいなかった部屋の中に他のサキュバスが転移してきた。

 それはレーレが今の話を思念によって周囲にいる仲間たちに広げたからだが、その話を聞いてやって来たのは一人だけではなく、二人三人程度でもない。その数は、部屋を埋め尽くすのではないかと言うほどである。


 サキュバスだけではなく、店で働いている者もそうでないものも、付近にいる夢魔たちが続々と部屋に集まってきた。


「ですから、貴方様は御自身の幸福のため、私たちを利用してください」


 この場にいる誰もがアキラに感謝している。

 ただそのことを示すためだけに、自分たちは感謝しているんだと伝えたいがためだけに、今この場にいる者たちは悩むことすらなくすぐさまこの場に駆けつけ、跪いた。


「ありがとう」


 そんな、自分のことを信じている配下達の姿を見たアキラは僅かに気圧された様子を見せたが、すぐにその様子を真っ直ぐ見つめて感謝の言葉を口にした。


「王女と結婚するんだから小さくても領地をもらえるだろうし、国とはいかなくても、お前達の領地くらいは作ってやれるようにするよ。その時は、また働いてくれる——いや、やり直しだ」


 途中まで笑いかけながら喋っていたアキラだが、それはなんだか今の状況、今の自分に相応しくない気がして言葉を止めた。


「俺が領地を持つようになったら、お前達の力が必要だ。だからその時は、俺に仕えてくれ」


 そして、それまでの笑みとは違って真剣な表情になると、目の前にいる夢魔達を見つめながらはっきりと告げた。


「「「はっ!」」」

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