第159話兄の治療と約束

「これが血縁上の兄か。随分と見窄らしくなっちゃって……」


 ダグラスのいる部屋に案内されたアキラだが、その部屋の中にいた男を見たアキラは思わずそんな言葉を溢した。

 だが、アキラがそう口にしたのも理解できる。何せ、今のダグラスはそれほどまでに以前と違って見えるのだから。


 以前は貴族の子息と言っても闘技大会に出ることができる程度には鍛えられていた。

 しかし、今はその体についていた筋肉は贅肉へと成り代わり、精悍だったと言ってもよかった顔つきも丸くなっている。

 だが、そんなふくよかな体型で栄養は足りているであろうはずなのに、顔は不健康そうな色をしている。

 ふくよかな体型、と言ってもまだ「デブ」というほどではないが、以前が立派な体つき、顔つきをしていただけに、その落差がひどく感じられる。


 しかも、だ。しかもその上、そばには半裸の女を侍らせている。

 それ自体は問題ではないのだが、それが二人も三人も、となれば不快感を感じ顔を顰めても仕方がないだろう。


「貴様のせいであろうがっ」

「こんな状態にされるようなことをするように育てた親が悪い。何度も言わせんなよ」


 だが、そんなことになってしまった息子に対してのアキラの言葉に、侯爵は苛立ちを隠すことなく怒鳴りつけるが、アキラはなにも悪びれることなく答えた。


 そんなアキラに対して侯爵はさらに何かを言い募ろうとしたが、公爵が口を開くよりも早く部屋の中にいた他の人物——アキラの兄であるダグラスから声が聞こえてきた。


「あっ。きっ、貴様っ! なぜ貴様のようなものがここに! 貴様のせいで俺は! 俺は不当に扱われなければならなくなったのだぞ!?」


 そう言いながらアキラのことを指さすが、逆の手には相変わらず女を抱いているために格好がつかない。

 アキラからしてみれば、そんな状態でどこが『不当に扱われている』のだと聞きたいところだ。

 だが、本人としては至って真面目。

 今のダグラスは病気だと父親である侯爵から言われているが、そのせいで部屋から出してもらえないために、不当に扱われているとしか言えないのだ。

 だがそれ以外のものについては特になんとも思っておらず、自身の体型も女を抱いていることも、全て自分なら当然のことだと思っている。


「まあ落ち着けよ出来損ない。別に俺がやったわけじゃないけど、まあ治してやるから」


 だが、そんなダグラスの言葉をアキラは無視してダグラスへと近づいていく。

 その言葉の中で、ダグラスに魔法をかけたのは自分ではないと弁明しているが、その適当さのせいで侯爵は余計に苛立っていた。そんなこと、アキラにとってはどうでもいいことであったが。


「出来損ないだと? ふざけるな! 貴様のような愚物に出来損ないなどと言われる筋合いなどないわ!」

「愚物って……いったい俺とあんた、どっちに相応しいんだか、って感じがするよな」

「なんだとっ!?」


 ダグラスはアキラの言葉に憤って立ち上がろうとするが、相変わらず女を手放そうとしないために、まともに動くこともできずにベッドに転んでしまう。


 そんな状態のダグラスと、まだ幼さの混じているが堂々とした振る舞いをしている若い少年。どちらが立派なのかと言われたら誰もが後者——アキラだと答えるだろう。

 逆に愚物はと言ったら、それはダグラスだと答えるはずだ。何せ、実の父親でさえそう思ってしまっているのだから。


 この部屋にいる女たちは侯爵が手配して外から連れてきたものたちだ。女たちも、貴族との繋がりができるのならば、と進んでここにやってきている。

 そんな女たちは状況から部屋にやってきたアキラのことをダグラスの弟、ないし血縁だと理解したが、どうせ貴族のお手つきになるのであれば『こんなの』ではなく『あっち』が良かったと内心で思っている。

 そのことを口に出すことはないが、多少なりとも表情に現れてしまっていた。


「ダグラス、落ち着け。コレに怒りを抱くのは理解できるが、今はおとなしくしているのだ」


 そんなみっともない姿おさらしたダグラスだが、それ以上は見るに耐えなかったのか侯爵が間に割り込んでダグラスに制止の声をかける。

 だが……


「父上! なぜですか! なぜこのような者をここへ連れて来たのです!」


 自身の欲を抑え切ることができず、我慢というものを理解できない今のダグラスは、たとえ父親であり現侯爵家の当主が相手でも止まることがない。


 そのことに侯爵は顔を顰めるが、それでも言葉を続けた。


「話を聞くのだ。これはお前を治す方法を持っている。そのために必要だったのだ」

「治す? これが、俺を? ふざけるな! 貴様のような者に治されなければならぬものなど何一つとしてない! さっさとこの家から出ていけ!」


 侯爵はダグラスには魔法にかけられたのではなく病気なのだと伝えているが、それはあの場で魔法を使われたという証拠がなかったからだ。だからそう伝えるしかなかった。

 だが、じゃあどんな病気かと言われると誰も答えることができず、そんな不明な病を『こんなやつ』が治せるのかと疑問に思うのもダグラスの立場からしてみれば無理はないだろう。


「……と、言っていますけど、どうします?」


 アキラは全てを分かっていながらも、肩を竦めながらそう言って侯爵に問いかける。もちろんその答えはどうなるかなんてわかっているが、ちょっとした嫌がらせの様なものだ。


「わかっているだろう? 今更約束を違えることは許さん。どうにかしてやれ」


 そんなアキラの期待通りに、というべきか、侯爵は苛立った様子で、アキラにそう命じた。


「まあ、俺としては約束を守りたい気持ちはあるんですけど、こうも暴れられたらね」

「何をごちゃごちゃと話しているのだ! さっさと出ていけと言っただろ!」


 ようやく女を手放すことができたのか、ダグラスはそう言いながらベッドを降りてアキラの方へと向かって来ようとする。


「俺としても出て行きたい気はあるんだが、そうもいかないからな。とりあえず……」

「おごっ!?」


 そしてダグラスはアキラに掴みかかろうとしたのだが、そこでアキラがダグラスの腹に思い切り拳を叩き込んだ。


「なっ、にをしている!」


 てっきり魔法で眠らせたりするものだと思っていただけに、アキラのそんな突然の行動に対して侯爵は驚きの声をあげてアキラの肩を掴んだ。


「麻酔だ。おとなしくさせるために必要だったんでな」


 しかし、そんな侯爵の手をアキラは乱暴に振り払い、自分の方へと倒れかかってきたダグラスの体をベッドへと突き飛ばして寝かせた。

 確かに、眠らせるという結果だけを見るのなら『麻酔』で間違いないだろうが、相手を殴って気絶させることを麻酔と言い切るのはどうなのだろうか?

 ダグラスよりもアキラの方が良かったな、とおもっていた女たちだが、今の一連の流れを見て「こいつもこいつでやばい」と思い始め、目をつけられないようにゆっくりとベッドから移動し始めていた。

 もちろんそんなことにアキラは気づいていたが、特に何かいう事もないしそのまま放置することにした。


「とりあえず、あとは魔法を使っておしまいになるが……」


 そう言いながらアキラはダグラスの精神に干渉するための魔法を構築していくが、その速度はアキラの全力に比べるとかなり遅い。

 それは手を抜いているからではなく、むしろ逆。手を抜いていないからこそ遅くなっているのだ。


 この街には街中で魔法を使用した際にそのことを感知する仕掛けが施されている。普通の許可を得た道具などであれば問題はないのだが、アキラの魂魄魔法のように許可を得ていない魔法はその使用が確認され次第罪となる。

 それを避けるために、アキラは丁寧に魔法を施していったのだったが、それでも今回は普段よりもさらにその作業に気を使っていた。

 なぜならば、ここが敵陣とも言える侯爵の家だからだ。


 侯爵はアキラと約束をしたが、できることならばアキラのことを処理してしまいたいと思っているし、そのことはアキラも知っている。

 そのため、無許可で魔法を使い、そのことで罪に問われても侯爵は庇うことはしないだろう。むしろ余計な手を出して罪を重くするかもしれない。


 そう考えたために、アキラは自身が魔法を使った証拠なんて全く残さないように気を使っているのだ。


「……うわっ、めんどくさ。抑えが無くなったとはいえここまで欲が肥大化するなんて、どんな教育をして来たんだか。まあ、父親の様子を見てればまともに育たないだろうなんてのは理解できるか」


 だが、そうして魔法を発動してのぞいたダグラスの内は、魔法をかけた本人であるアキラでさえも表情を顰めてしまうほどに複雑に、歪に欲望が肥大化していた。

 よもや、これほどのことになっているとは思ってもいなかったが、それはつまりそれだけダグラスの欲が大きかったことの証明に他ならない。


「無駄口を叩いていないで早くやれ」

「もうやってるよ。それから……もう終わった」

「何? もう終わっただと?」


 侯爵はアキラのボヤキに対して文句を言ったが、その言葉から数秒とおくことなくアキラはダグラスに向けていた手を下ろした侯爵に向き直った。


「……なんの変化もないように見える……いやそもそもこれほど早く終わる者なのか? 今まで呼んだ者達は誰一人として治せなかったというのに、これほど早くだと?」

「それはそいつらが未熟すぎたってだけの話だろ」


 魔法の使用がバレないように気をつけるのは面倒で時間がかかることではあったが、一度使ってさえしまえば後の作業はアキラにとっては特に意識する必要があるものでもない片手間で終わらせてしまえる程度のものだった。

 普通はそんなことはできないのだが、それはアキラが精神や魂を司る神であることを考えれば不思議でもなんでもない。

 だが、残機無限の地獄の様な場所で鍛えて神になったアキラと、限られた命で細々と鍛えた一般人を比べるのは酷というものだろう。


「……だとしても、なんの反応も感じ取れなかったぞ? 本当に魔法を使ったのか? まさか適当にやったのではないだろうな? これで治っていなかったら、どうなるかわかっていような?」

「魔法の反応が感じ取れなかったのは、あんたが未熟だったからってだけだ。理解できるようになりたかったら、あと千年修行してろ」


 侯爵も貴族である以上魔法が使えるはずだが、それでもアキラが魔法を使ったことを感じ取ることはできなかった。

 つまりそれはそれだけアキラがうまく力を隠してたということで、それに気づけないほど両者の間には力の差があるということに他ならない。


 だが侯爵は、その事実を理解していても認めたくないためになにも答えることはせず、自然と拳を握っていた。


「まあ、これであとは寝かせてればそのうち起きる。まあ、肥大化し過ぎた欲を強引に抑え込んだから馴染むのに時間がかかるかもしれないけど、それでも数日もあれば起きるだろ」


 アキラがやったのはダグラスに使用した 魔法の除去と魔法の影響で肥大化した欲の抑制。

 それだけのことではあるが、ダグラスの欲が想像以上に大きくなっていたために、それを抑え込むには少々時間がかかってしまう。


「そうか」

「そうだ。だから約束は守れよ」

「……ああ。わかっている」


 アキラの言葉に対して、一瞬だけダグラスが治ったのならもう約束など守らずとも良いのではないかという考えが浮かんだが、変にアキラとの関係を拗れさせるよりも友好を結んだほうが得だと判断し、侯爵はアキラの言葉に頷いた。


 それを見たアキラは、満足したとばかりに頷きを返し、ここではない自身の家に向けて歩き出していった。

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