第158話侯爵家当主との会話
「止まれ」
アイリスとの話を終えた翌日、アキラは一人歩いてとある貴族の邸宅に訪れていた。
だが、当然と言うべきか、見知らぬ人物であるアキラがすんなりと通ることができるはずもなく、事前に訪れることを知らせてもいないために門番によって止められることとなってしまった。
まだそれなりに離れている位置であっても止められてしまったアキラだったが、アキラはそれでも門番の言葉を無視して止まらずに門の前へと向かっていった。
「何者だ! この家になんの用があって来た!」
自分たちの制止の言葉を聞いても止まることなく歩みを進めるアキラを見て、門番達はそれぞれの武器に手をかけてさらに言葉を重ねた。
普通ならもう武器を抜いている距離にも関わらず、それでも抜かないのはアキラの見た目がまだ子供のように見えるからだろう。
そんな門番達を見てアキラはようやく足を止めたが、すでにアキラと門番達の距離は数メートルまで縮まっていて、お互いの顔をはっきりと認識できる距離になっていた。
「侯爵に伝えろ。『息子』がやって来た、ってな」
やってきたのは、アキラの父親である男のいる侯爵家。アイリスとの話しを経てアキラは覚悟が決まり、以前に侯爵から持ちかけられていた話を受けるためにここにやってくることとしたのだった。
……もっとも、素直に言うことを聞くだけでいるつもりなど、アキラには微塵もなかったが。
「……息子? 何を馬鹿なことを。この家の御子息は一人だけだ。お前なんかじゃ——」
突然この家の息子だと言われても、門番からしてみれば何を言っているんだ、となるのも当たり前の話だ。今までこの家で働き続けていたのに一度も見たことがないのだから、信じられるわけがない。
「いいから。早く伝えてこい。それで間違いだったら牢にでも入ってやるし、切りかかって来ても構わないから。だから、さっさと動け」
だが、目の前の門番達が自分の言葉を信じられるか否かなど関係ないとばかりに、アキラは無感情な表情でただ淡々と言葉を紡ぐ。
その言葉が攻撃的になってしまっているのはアキラ自身意識してのものではないが、それはアキラが心の中では本当は来たくなかったと思っているからだった。
それでも、わざわざ母であるアイリスが訪ねてきて話をした結果出た答えだ。
アキラとしてはここまでやって来た以上は逃げるつもりがないし、絶対に自分にとって最良の結果を掴み取る覚悟があった。
「このっ」
「おい、これでもし本当にそうだったらどうすんだ?」
アキラの言葉に門番の片割れが苛立たしげに呟き、手をかけていた剣を抜き放ったが、もう片方の門番の男はそんな動きに口を挟んだ。
「本当にって、だが侯爵の息子ってダグラス様だけのはずだろ?」
そのはずだ。この家には息子は一人しかいない。それはこの家で働いているものだけではなく、貴族社会にある程度以上関わっているものならば知っていてもおかしくないことだった。
だからこそ、目の前にいる少年がこの家の子供ではないのだと門番の男は判断したのだ。
だが、止めた男の方は首を横に振りながら口を開く。
「公式にはな。つっても侯爵のこと知ってんだろ? いろんな女に手えだしてんだから、外で産ませたとしてもおかしくないんじゃないか?」
この家の主人である侯爵が結婚していながらも他所の女に手を出していることは、誰も口にしないが公然の事実だった。
故に、そんな言葉を聞いた門番の男は、あり得るかもしれない、と判断し、迷った末に剣を納めることにした。
「……まあ、ない話じゃないか。じゃあ知らせたほうがいい、んだよな?」
「一応はな。その後の対応はどうなるかわからないが、伝えないわけにはいかないだろ」
平民に産ませた子供など、認知されないのが普通であり、父親の家を訪ねたところで追い払われるだけだろう。
このことを伝えたところで無駄でしかない。
門番の男はそう思っていたが、関係がありそうな者がきてしまった以上は報告しないわけにはいかない。
「……少し待ってろ」
そう言い残して門番の片割れが門を超えて邸宅の方へと消えていった。
「お、お待たせいたしました。どうぞ」
門の前で待たされていたアキラだったが、しばらくすると先ほど剣を抜いた男が若干慌てた様子で戻ってきてアキラにそう告げた。
そして、まるで正式な客人かのように礼儀正しくアキラを門の内側へと迎え入れ、邸宅まで案内して行った。
「ようこそお越しくださいました。これよりは私がご案内させていただきます」
建物の前にたどり着くと、そこには門番のような鎧姿とは違い、従僕としての正装で姿勢を正しくして立っていた執事に迎えられ、アキラは侯爵邸の中へと入っていった。
「入れ」
そうして案内されたのは、侯爵の執務室。
その部屋の中には当然ながら侯爵本人が待っていたが、アキラはそんな侯爵に挨拶することなく、そばにあったソファへと腰を下ろした。
勧めてすらいないのに勝手に座ったアキラに対して侯爵は顔を顰めたが、すぐに頭を振って意識を切り替える。
「よく来たな、と言いたいところではあるが……何を考えている?」
侯爵がそう問いかけたのも当然のことだろう。何せ、以前にアキラに話を持ちかけた時はバッサリと取り付くしまもなく断られていたのだ。
にもかかわらず、今になって急に訪ねてくるだなんて、侯爵からしてみればアキラが何か考えているのだとしか思えなかった。
「何を、とは酷いな。まるで何か企んでいるみたいじゃないか」
そんな侯爵の問いかけにアキラはとぼけたように返すが、侯爵はそんなアキラの態度を鼻で笑って返した。
「ふん。前回は王女の前であるにもかかわらずあれだけの態度を見せていたのに、今更『息子』だと? 企みがないと考えるほうがおかしいであろうが」
「……ま、こっちとしてもなんの理由もなくここに来たわけじゃない。一番近道だったからってだけだ」
侯爵はさっさと話せと暗に示し、アキラとしてもまともにゆっくりと話しをするような気分位なれる相手でもないので、侯爵の望む通り話しを進めることとした。
「王女との結婚か。確かに我が家門の者となるのであれば、家格の問題はなくなり王女との婚姻になんの問題もなくなるであろうな」
アキラの言葉は短かったが、それだけでも侯爵には意味が通じたようで一応の納得をしたように呟いた。
「そうだ。こっちとしてもこんなところにいるのは不満だが、使えるものは使うべきだろう? それに、そっちとしても俺が『息子』としてこの家に来るのはありがたいんじゃないか? あんたの息子はダメになったからな」
だが、納得を見せて今後やアキラの扱いについて考え込んでいた侯爵だったが、そんなアキラの言葉を聞いてぴくりと表情を変え、思考を止めることとなった。
「……よくもぬけぬけと。貴様がやったことであろうがっ」
そして、アキラのことを睨みつけながら忌々しげにそう口にした。
「〝ああ〟されるような育て方をした親が悪い。それに、まだ生きてるだろ?」
しかし、そんな視線も知ったことかとアキラはさらりと流す。
『ダメになった息子』と言うのはアキラの血縁上の兄であり、侯爵の正当な息子であるダグラスのことだ。
ダグラスは以前に皇女の婚約者候補として名が上がっていたが、アキラによってその話はご破産となり、アキラのことを恨んでいた。
そして、偶然出会ったのをいい事に、ダグラスはアキラに仕返しをしようと企み、そして明に返り討ちにされた。
その際に母親のことを悪く言われたことにより、アキラはダグラスやその取り巻きたちの頭の中を魔法で弄り、仕返しをしていた。
その結果、確かに生きているが、以前と同じように、とは言えない状態になってしまっていた。
「確かに生きてはいる。だが、あれはもう使い物にはならん。……一体何をした?」
「何を、と言われてもな。特に何も異常はないってことになってるんだろ?」
眦を釣り上げて問い詰める侯爵だが、証拠を残さずに魔法をかけたためにアキラが犯人だとは言い切れない。
そのため、アキラは大変なことだ、とすっとぼけて見せる。
が——
ドンッ、と侯爵が机に拳を振り下ろしてそれまでよりもさらに厳しい眼付きでアキラを睨みつける。
「答えろ」
証拠はない。だが、ダグラスの精神がおかしくなっていることは確かだ。そして、そんなことができるのは外道魔法だけであり、その痕跡を残さずに術をかけることができるほどの使い手となったら、侯爵にはアキラの他には思いつかなかった。
だからこそ、侯爵はアキラを犯人だと断定して問いかけた。
「……ちなみに今の状態は?」
「……本来であれば立場を弁えなければならない相手であろうと、手を出すようになっている。何をした」
「心の中で一番強い欲の抑えを壊した。あいつの行動からすると……多分傲慢あたりかな? 自尊心が異常なまでに強くなっていると思っておけばいい」
「自尊心……くそっ」
そんなアキラの説明で息子の状況に納得ができたのか、侯爵はアキラから目を逸らすと乱暴に悪態をついた
「戻せ。貴様ならできよう?」
そして、再びアキラへと視線を戻すととう告げた。
「お断りだ。なんでわざわざ自分にとって邪魔な相手を治さなくちゃならないんだ」
だが、アキラはそれを断った。
当然だ。治せば邪魔な存在になる者だとわかっていながら治すなど、よほどのお人好しでしかない。しかしアキラはそうではない。治さないほうが得になるのだから、治すつもりなどなかった。
「自身の兄であろう?」
「血縁の上では兄ではあるかもしれないが、家族ではないな」
兄、と言われても、アキラにとってはただ血が半分だけ同じ斧が流れてしまっている、というだけのこと。
アキラにとっての家族とは母親のことであり、ギリギリ祖父や従兄弟が入っている程度だった。
だから、家族だから、などと迫られたところで、アキラには何の意味もなさない。
「……治せ。治さぬのなら、お前を受け入れることはしない」
「それでいいのか? 俺も面倒なことになるが、そっちも面倒なことになるんじゃないか? 後継者はどうするんだ?」
この家に受け入れられないのであれば、アキラはアトリアとの婚姻のために必要な爵位を期日までに用意できるようになるか怪しくなる。
期日までになれたとしても、横槍が入って婚約を台無しにされる可能性もある。
そういったことを考えると、できる限り早くに婚姻を認められてしまうのがありがたい、と言うのがアキラの考えだった。
だからその『最速』のために、できることならすんなりと侯爵家の一員なのだと認めてもらいたい。
だが、アキラをこの家に入れたいというのは侯爵としても同じ考えだった。
ダグラスを治さないからとアキラを追い出してしまえば、次の当主はどうするのだ、という問題が出てしまう。
今のままのダグラスではまともに当主を勤めさせることなどできず、どこからか別の後継者を連れてくるしかない。それは直系ではなく某系の親戚筋からとなるだろうが、その場合は連れて来た後継者の実家が大きな顔をするようになるだろう。そうなれば、『家』の繁栄を願っている侯爵の思惑とは違う結果になってしまう。
だがそれらもアキラがいれば解決する問題だ。何せアキラは平民との子供とはいえ自身の子であるのだから。自身の『家』は守られるし、ダグラスを治さずとも、アキラがいれば当主の問題も解決することになる。
「……ダグラスの代わりに自分が成り代わると?」
「あれに当主をやらせるよりも俺がやったほうがこの家は繁栄すると思うんだが、どうだ?」
確かに、能力的にも王女の婚約者という立場も、侯爵の家にとってはありがたいものだ。次期侯爵とするのなら、ダグラスよりもアキラの方が魅力的に映るだろう。
「だが、お前は庶子だ」
「庶子の貴族家当主なんて歴史上ザラにいるだろ。そこに一人加わるだけだ。それに、汚点のついている愚か者と、王女を射とめた上に教会の規則すらもねじ曲げさせた魔法使い。どっちが優秀で、どっちが当主に相応しいと思う?」
しかし、魅力的ではあるが、自身に敵意を持っているものをそう簡単に当主とするわけにもいかず、外から庶子を連れてきてそれを次期当主としたのなら、ダグラスを産んだ妻とその実家がうるさいことになってしまう。
故に、公爵としてはアキラが次期当主として成り代わるというのは認め難いものだった。
「まあ、俺が当主になるのを認められないってんなら、それでも構わないさ。別に俺はこんな家の当主になりたいわけじゃないからな。ただ身分が欲しいだけだから」
とはいえ、アキラにとっては投手の座など興味はなく、ただ必要な爵位さえ手に入れられればそれでいいと考えていた。
だからこそ提案する。
「こっちもある程度は譲歩しよう。俺はこの家の当主にならなくてもいい。お前の息子も治してやろう。その代わり、俺に子爵位を寄越せ。そしてこの家の分家として独立させろ。それくらいは侯爵家当主としての権限でできるだろ?」
高位の貴族の家には、メインとなる爵位の他にもいくつかの爵位を持つこともある。この侯爵家もそうで、侯爵位の他にも男爵、子爵という位を持っていた。
そのうちの一つである子爵家の立場をよこせ。アキラはそういっているのだ。
それはアキラが王女との婚姻に必要な爵位が子爵だからだが、侯爵からしてみればアキラを侯爵家の当主とするよりも十分に飲める話だろう。
「さらに、この願いを叶えてくれたのなら、俺はもうあんたたちに手を出さないと誓おう。まあ、そっちが手を出してこない限り、だけどな」
「その約束を守る保証はあるのか?」
「魔法を使っていうことを聞かせることもできるのに、そうしないって事実を誠意ととってもらいたいな」
そう言われてしまえば侯爵は何もいえない。
侯爵は、アキラならば自身の施している精神防御を通り抜け、城の調査を掻い潜って外道魔法をかけて操ることなど容易いだろうことを理解している。
それは単なる妄想などではなく、実際に城の調査でダグラスにかけられた魔法の存在が解明できないどころか気づくことすらできなかった事実があるためだ。
そのため、そんな技量を持つアキラが自分を操らずに話で言うことを聞かせようとしているというのは、十分に信頼の証、誠意の証と取ることができた。……侯爵の心情以外は、ではあるが。
「でもまあ、そこまで疑うんだったら契約用の魔法でもなんでも使えばいいさ。『俺はアンタ達を害さず』、『アンタ達は俺の邪魔をしない』そんな契約だ」
アキラがそう言うことで自分を納得させることのできた侯爵は、ようやくアキラの提案を受け入れることにした。
「……いいだろう。だが、まずはダグラスを治してからだ」
「わかった。だが、そのあとはちゃんと約束を守れよ?」
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