第157話母親との再会
アキラは自宅兼店に戻ってから数日の間はおとなしくしていた。大人しく、と言っても特に騒ぎになっていないだけで、普通に店の営業は続けていたし、アキラが爵位を上げるために何かないかと方法を探したりもしていたが、やっていたことといったらその程度のことだった。
教会側と話をつけてからは、外道魔法改め魂魄魔法を使えるからといって何か難癖をつけられることもないし、いまだに監視は続いているものの平穏な日々が続いていた。
もっとも、アキラとしてはアトリアとの結婚のためにできるだけ急がないといけないにもかかわらず、急ぐことができず周囲の状況が変わらずに安定している、という状態に若干苛立ちを感じていたが。
アキラがすぐにアトリアと婚姻を結ぶ方法がないわけでもない。だが、その方法はアキラにとって悩ましいものだった。
その方法を行うかどうかをこれまで何度もアキラは考えてきたが、やはりその選択をすることだけは——
「主様。お客様がお越しになられました」
と、そうアキラが考えたところで部屋のドアを叩く音が聞こえ、その後アキラに客がやってきたことを知らせる声が続いた。
その声を聞いてアキラは顔を上げるが、その表情は訝しげなものだった。
「客? ……誰か来るって知らせはなかったよな?」
今のアキラは多少強引な方法を使ったとはいえ、男爵位を持っている貴族だ。
にもかかわらず、なんの事前の連絡もなしに誰かがやってくるなど、普通ではあり得ない。
それが高位の貴族や親しい者であればわからないでもないが、アキラにそんな誰か訪ねてくるような付き合いなどない。
あるいは王女であるアトリアならば身分的にも親交的にもあり得るかもしれないと考えたが、規則や礼儀を重んじているアトリアであれば、当日であろうとも事前の連絡の一つくらいはあるはずだろうと考え直した。
だがそうなると結局誰がやって来たのかわからず、アキラは首をかしげるしかなかった。
「はい。その予定はありませんでした。ですが、そのお客様というのが主様のお母君を名乗るお方でして……」
本当でしょうか、とでも言いたげな声音で問いかけてきたレーレではあったが、アキラがその問いに応えることはなかった。
それはアキラがその言葉を無視したから、なんて理由ではなく、ただ単に予想外の言葉すぎて反応することができなかったからだ。
「……。……っ!? か、母さんが? ここに? え、家を出たのか?」
そう言いながらアキラはガタリと音を立てながら立ち上がり、机から身を乗り出しながら扉の向こうにいるレーレへと問いかけた。
アキラの反応は母親が来たというだけにしては随分と過剰なものだ。
年頃の少年が独り立ちをしたところに突然母親がやって来たのだから驚くのも無理はないかもしれないが、それでも過剰なものだと言えるだろう。
あるいはサキュバスなんて存在を雇っていたり、少しいかがわしくも思えるような店を営んでいることも息子としては母親に知られたくはなかったかもしれないから、アキラの反応としてはおかしいものではないかもしれない。
だが、アキラが驚いたのはそんなこと——母親がここにやってきたことが理由ではなく、そもそも母親が家を出たことに対しての驚きだった。
男に半ば無理やり子を孕ませられ、心を病んだアイリスは、自身の持っていた屋敷に戻ってからろくに外に出ることはなかった。
ずっと部屋に閉じこもり、ベットの上で日がな一日ただただただぼーっとしていた。
そんな状態は『晶』が『アキラ』としての意識を思い出し、どうにかしようと行動した結果、部屋の外に出て普通に食事をしたり会話をしたりするようになったし、商会としての仕事もするようになった。
だが、部屋からは出るようになっても家から出ることはほとんどなかった。
あるとしても自宅の庭を歩いたり、昔アキラが教会相手に騒ぎを起こした際に文句を言いに行った時くらいなものだった。
それ以外はほぼ屋敷に引きこもった状態であり、アキラとしてもそれも仕方ないと思っていたのだが、どういうわけか今回アイリスは家を離れ、街を離れ、アキラのいる王都までやってきた。
そのことに驚かない訳がなかった。
「え、いえ、えっと……母親と名乗られる方がお越しになられたのは事実です」
しかし、アキラの家の事情を知らないレーレとしてはアキラの言葉が意味するところを完全に理解することなどできず、訳がわからないながらただそう返すことしかできなかった。
「すぐに行くっ!」
アキラはそういうなりすぐに足を踏み出し部屋の外へと向かうが、途中で足をもつれさせて転びかけてしまう。
普段はそんなミスなどしないのだが、それだけ今の状況に驚いているということだろう。
「母さんっ。……本当にこっちに来たのか」
そうしてアキラはレーレの案内を受けて母親の待っている応接室へと向かっていったのだが、そこには本当に自身の母親であるアイリスが存在していた。
「ふふっ。ええ」
数年とたっていないのだから当たり前といえば当たり前ではあるが、以前と変わらない見た目をした母親の姿を見て、アキラは驚きのあまり呆然と声を漏らし、アイリスはそんなアキラを見て優しげに笑った。
「ええってそんな軽く……あー、まあとにかく座って……るからお茶とかなんかださせるからちょっと待ってて」
だが、そんな風に笑っている母親とは違い、アキラは内心で混乱したままだ。
それこそ、すでに座っていたアイリスに席を勧めてしまう程度には慌てていた。
そうして慌てながらもアイリスを歓迎するための準備を進めていくアキラ。
アイリスは慌ただしくも自分のために動いてくれている息子のことを変わらず優しげな目で見ていた。
そうしてアキラが満足いく程度に準備が整った後、アキラとアイリスは向かい合って座ることとなった。
「まさかこっちに来るとは思わなかったよ」
「そうね。私自身でもこんなことをするなんて思わなかったわ。いっぱい頑張ってるみたいね」
「ああまあ、うん。それなりにはね。爺さん達の伝手もあって、運にも恵まれて、なんとかやってこれてるよ」
だが、そうして向かい合ったにもかかわらず、アキラの喋りはどこか薄っぺらいものだった。
もちろん喜んではいる。だが、それと同時に何か後ろめたさもあるような、言わなくてはいけないことを隠している子供のような、そんな感じだ。
だがそれもわずかな間だけで、話をするのだと覚悟を決めたアキラはアイリスから若干視線を逸らしながら口を開いた。
「——あー、そのうちこっちから会いに行くつもりだったんだけど、ごめん。ちょっとなんか色々あってさ、なかなか時間が作れなかったんだ。この間も別の国に出てたし……」
以前にドワーフたちの国に行くときに、もう少ししたら母親に会いに行ってみよう、なんて考えたことがあったアキラだったが、一度今の状況を含めて話をする必要があるだろうと思いつつも結局その後実家に戻ることはなかった。
アキラが王都に来てから今に至るまで、普通ではないような色々な状況の変化があり、教会関連で炊き出しをしたときなんかは協力してもらいもした。
にもかかわらず手紙でのやりとりだけで会いにいくことすらできていなかったことに、アキラは罪悪感を覚えていたのだった。
「アキラ。あなたは、今が楽しいかしら?」
「え? ああうん。まあそれなりには?」
しかしアイリスはそんなアキラの罪悪感の込められた言葉への答えを返すことなくアキラへと問いかけ、アキラは突然そんなことを聞かれたせいで中途半端な返答を返してしまった。
「でも、なんだってそんなことを?」
脈絡のない母親の言葉にアキラは首を傾げながら問い返したが、アイリスはまたもその言葉に応えることはなく言葉を紡ぐ。
「ねえ、あなたの好きなようにしていいのよ?」
「……好きなようにって、いきなりそんなこと言われても困るんだ——」
「侯爵家にいきたい。そう思ってないかしら?」
「っ!」
アキラの言葉を遮って紡がれたアイリスの言葉に、アキラは一瞬呼吸すら止まるほどに動きを止めてしまった。
その内容はまさしくアキラが今日まで何度も考えてきたことで、アイリスは絶対に口にしないだろうはずの言葉だったから。
「……そんなことは、ないよ」
母親の言葉にどう答えたものか迷ったアキラだったが、わずかに逡巡した後にそう否定することにした。
「そう? 嘘ついてないかしら?」
しかし、アイリスはじっとアキラのことを見つめながら問いかけ、アキラはその視線から逃げるかのように顔を背けてしまった。
「嘘なんて……つく必要ないだろ」
「ううん。だって、あなた達は優しいもの。優しいから、私のことを気にしてるでしょ?」
顔を背けたままチラリと母親の顔を盗み見るアキラだったが、そうして見た先には変わらずに真剣な様子でじっと自分のことを見つめ続けているアイリスの姿があった。
それを見て嘘をついても意味がないことを悟ったアキラは、震える息を吐き出して深呼吸をするとアイリスを見つめ返して問いかけた。
「……どうしてわかったんだ?」
「それは、あなた達の状況を知っていれば簡単に予想できることよ。お姫様と結婚するのに子爵位以上の爵位が必要なんでしょう? 今あなたは男爵位をもらってるけど、それ以上はすぐには難しいもの。手っ取り早く爵位を上げるには、すでに高い位を持っている家に入ってしまうのが一番早いわ。そして、あなたの場合は最適な家がある」
そう。アイリスは定期的にアキラからの情報をもらっていたし、自分の部下にも情報を集めさせていた。その結果、アキラが抱えている問題に自分が関わっている、自分が邪魔をしていると察し、家を出てここまで来たのだ。
だが、その『最適な家』というのは自身のことを傷つけた場所である。そんな場所を自ら口にして勧めてもいいのか、とアキラは目を見開いてアイリスを見つめた。
「それに、私はあなた達の母親よ? 母親としてみっともないところも見せたし、相応しくないこともしてた自覚はあるけれど、それでもあなた達の母親なの。わからない訳ないじゃない」
そんなアキラの様子がおかしかったのか、アイリスはくすりと笑ってからアキラの疑問に答え始めた。
「でも、それを思いついても実行しないのは、私を気にかけてくれているからでしょう? あなたがあの家との関わりを持てば、私が傷つくと思っているから」
アイリスの言った通り、アキラがその方法を思いついても実行しないのは、母親を傷つける可能性があるからだ。そのことはアイリス自身理解していた。
「でもね、そんなこと気にしなくていいのよ。私は、私のことを気にしてくれるのは嬉しいけど、そのせいであなた達が好きなように動けないのが一番辛いの」
アイリスにとって、自分の人生なんて一度終わったようなものだった。無理やり手籠にされた後捨てられ、その後は無気力にただ息をしているだけの生活だった。
だがそんな生活も、息子によって終わりがもたらされた。
アキラとしては自分が良い環境で育つためにあんな状態の母親がいることが嫌だったから、なんて理由だったが、アイリスとしてはそんな理由など関係なく救われていたのだ。それこそ、自分の残りの人生を投げ打ってでもアキラの助けになってあげたいと思うほどには。
「好きなように生きなさい。やりたいようにやりなさい。自分の幸福のために必要なら、私のことなんて考えなくていいのよ」
だが、そう思ったにもかかわらず自分が息子の邪魔になるんだとしたら、そんなことは許せない。
息子には——アキラには幸せになってほしい。それがたとえ、自分を踏み台にするようなことをしたのだとしても。
「それでもまだ引け目を感じるって言うんだったら、そうね……あなたのお姫様にそのうち会わせてくれないかしら? あなたを幸せにしてくれる人だもの。そんな人に会わせてもらえるなら、私はそれだけで満足よ」
そう笑いかけられたことで、アキラは今後の自分の動き方というものを決意した。
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