第146話昨日の出来事

「昨日はやらかしたそうですね」


 今日も今日とて、アキラはアトリアの執務室へとやってきていた。

 アトリアはしばらくの間遠出していたことと、これから遠出することもありそれなりの量の仕事が溜まっている。なので本来ならば婚約者とはいえアキラのような部外者を招いている余裕などないはずなのだが、女神として仕事をし続けてきた経験があるからか、アトリアは話しながらであってもその書類を捌く速度は全く持って落ちていなかった。

 そのため仕事の効率云々を理由にアキラを遠ざけることはなく、むしろそばにいてくれている方が精神衛生的に良いのだと言ってアキラを呼び寄せていた。


 ——なのだが、今日はどう言うわけか普段とは違い、アキラが部屋に入って席につくなり、アトリアはアキラに話しかけた。その口調は、普段の雑談をしているものとは違いどこか真面目なものになっている。


 なぜアトリアの様子がそんなことになっているのかと考えたアキラは……


「……なんだっけ?」


 だが何も分からなかった。

 先日は、と言っていることから、言葉通り昨日のことなのだろう。だが、アキラは昨日何か特筆すべきことがあるとは思えなかった。いつもと変わらずにこの部屋に来て、いつもと変わらない日常を過ごしていた。もちろんアトリアと自分、それから聖女アーシェを加えた三人で話をしていたのもちゃんと覚えている。

 だが、それ以外は特に何があったとは認識していなかった。

 多少の『違い』はあったかもしれないが、アキラにとってはその全てが大した手間ではなく普段となんら変わらないことだった。


「……庭での貴族の子弟たちの醜態です」


 そんな本気で何も覚えていなさそうな——いや、何も認識していなさそうなアキラの様子を理解して、アトリアはそれまで動いていた手を止めるとアキラへと顔を向けながらそう言って追加の情報を加えた。


 アトリアの言っているのは、昨日皇女の婚約者を辞退しろというふざけているとすら思えるようなことを言い出したアキラの血縁上の兄とその取り巻きたちが、アキラの手によって『ダメ』にされたことを言っているのだ。


「……?」


 だが、それでもアキラはなんのことかわからずに首を傾げる。


 これはアキラが忘れっぽいわけではなく、目の前のゴミをゴミ箱に捨てたというのと同程度のこととしか認識していなかったからだ。


 あの時は相手の言葉に怒ってつい魔法を使ってしまったが、魔法を使い終わってしまえばもう路傍の石と変わらず、馬車に乗って家へと帰ってしまえばそれこそなんの問題もなかったものとして頭から綺麗に消えていたのだ。


「……はああぁぁ……。本当に覚えていないようですね。先日、ここから帰るときに貴族の子弟たちに魔法を使ったのではありませんか? その中には貴方の血縁上の兄がいたと思いますが」


 そんなアキラを見て、本気で忘れていたのかと頭を抱えたアトリアは、アキラが思い出せるようにとさらに言葉を重ねて説明をした。


「……。…………ああ! そういえばいたなそんなのも」


 それから数秒して、訝しげに考え込んだアキラはようやく昨日の出来事を思い出すことができたようで、納得したように頷いているが、アトリアは再びため息を漏らした。


「あの処理は誰がしたと思っているのですか。これから外道魔法について認めてもらおうとしたところだというのに、騒ぎは起こさないでいただけませんか? せめて教会本部に行ってあれこれが終わってからにしてください。その分の仕事が増えて大変なのですから」


 あの時のアキラは怒って魔法を発動したが、そこは神に至ったものとしての実力か、感知の結界に引っかからないように丁寧に魔法を使っていた。

 そのため、突然の異変に違和感を持ちながらも、アキラが外道魔法を使ったと糾弾することはできなかった。何せ、証拠など何もないのだから。


 しかしだ。それはあくまでも明確な証拠はないと言うだけで、人の感情——疑念や疑心というものは存在していた。

 これから外道魔法の正当性や有用性を証明し、不当な扱いをされないように、と教会の本部に向かうというのに、ここで外道魔法を使った騒ぎを起こしてどうするのか、ついでにその処理のために仕事が増えた事に対する愚痴がアトリアの今の話の内容だ。


「それは……すまん。必要とあらば脳内時間の加速と脳の活性化をして作業効率を上げさせてやるから」


 それを聞いたアキラは面倒をかけた事に対して申し訳なさそうに眉を顰めながらそう言ったが、アトリアは首を横に振りながら答えた。


「いりませんよ、そんな体に悪そうな感じのする魔法など。それに、思考の加速程度なら自前でできますし、それに身体強化を併用すれば似たような事はできます。と言うかやっています」

「お前も十分体に悪そうなことしてるよな」

「あくまでも自身の制御できる範囲内ですから。それよりも、次は気をつけてくださいね」


 アトリアの仕事の速度が異様に早いのは、自身に対して強化を施しているからだった。

 目を強化することで一瞬で書類の内容を読み、脳を強化することで書類の内容を精査、判断し、腕を強化することで書類を捲る速度と署名をする速度を強化。さらにはわずかながら自己回復をかけることで座り続けるダメージを回復してコリや疲労などを感じないようにしながら仕事をするという、仕事を行うためだけにしてはいささか無駄遣いすぎる技術を使いながらの仕事だった。だからこそアトリアの仕事は誰よりも早く、多くなっているのだ。

 それがわかったところで他に誰が真似ることもできないのだが。


「ああ。悪かったな」


 大した負担ではないだろうが、それでも面倒をかけたのは事実であり、それはアキラの望んでいることではないのでアキラは素直に謝り、次は気をつけようと反省したのだった。


「そもそも、なぜそのようなことをされたのですか?」


 そんなアキラの様子を見て再び仕事へと戻ったアトリアだが、手を動かしながらそう問いかけた。


「……あれがちょっと母さんを貶めるようなことを言ったんだ。だから、まあそれで……ついカッとなってやった」

「そうですか。……まあいいです」


 今のはあくまでもつなぎでしかない。本当にアトリアの聞きたかったことはこの後の質問だった。


「それで、あれらにはどのような魔法を使ったのですか?」


 そう。それこそがアトリアの本当に聞きたかったこと。

 アキラが魔法をかけた貴族の子息たちだが、それはただ単純にあの場所で眠りこけていただけではなかった。

 あのあと、アキラが去った後には意識を戻し、それぞれ思い思いに行動をし始めたのだ。そう。『思い思いに』だ。


 わかりやすく言ってしまえば、好き勝手したのだ。ただの貴族の子息が、宮廷の敷地内で。


 アキラが外道魔法をかけたのは理解したが、ならどんな魔法をかけたのか、ということを後リア走りたかったのだ。知ったところでどうするわけでもないが、言ってしまえばただの疑問を解消するため。


「あー……なんだっけ? 確か7つの大罪ってあるだろ? 色欲とか嫉妬とか。それらの感情の中で一番強い感情で、かつ一定以上の大きさのものを極大化する魔法だったな。多分そのはず」

「詰まるところ、欲望の肥大化ですか。なるほど、それであのような」


 思い出すようにしながら話すアキラの言葉を聞き、アトリアは納得したように頷きながら息を吐き出した。


「何かあったか?」

「あなたのその魔法のせいで、あれらはだいぶやらかしてますよ」

「やらかしか……どんなだ?」


 アキラとしてはアレらには魔法をかけた時点で興味はなくしていたが、こうして知り合いから改めてその後を聞かされるとなると気になるものはある。

 そのため、少しワクワクとした気持ちを持ちながらアトリアに問いかけた。


「手当たり次第女性の胸を触れたり押し倒したりした者や、城の美術品を持ち出した者がいますね。あとは、あなたの兄は上位者の頭を叩きましたね」

「あー、あいつらそんなこと考えてたのか。まあ納得ではあるけどな」


 昨日見た貴族の子息たちの姿を思い出しながら、アキラはハハハと笑っている。


「幸い、まあ私からすればどうでもいいことではありますが、侯爵からすれば幸いと言っていいことに、上位者と言ってもあくまでもその者——あなたの兄にとっての上位者であり、侯爵家よりは格下でしたので丸く収まったようです」


 だが、他の家のものは大分辛い状況になったようで、息子らにはキツめの処分を下して親ともどもしばらくは自宅謹慎することとなったようだ。


「一つ聞きたいんだが、それで俺は罪に問われるか?」


 と、そこで一つ気になったので秋田はアトリアに尋ねてみる事にした。


「わかっていて聞いていますね? 罪には問われませんよ。何せ証拠がないのですから」

「一応あいつらが一度暴れると解除されるようにしておいたんだが、意味あったようで何よりだ」


 突然そんな行動を取るなんて、どう考えても怪しすぎる。ならば何かあったはずだ。具体的には精神に作用する何かがあったと考えるべきで、その直前には外道魔法という精神に影響を及ぼすことのできる魔法の使い手にあっているのだからそこから疑うのは当然だった。


 だがしかし、その外道魔法の使い手は人外の領域にたどり着いた魔法使い。たかだか人間程度の技術で痕跡を見つけることなどできるわけもなく、結局外道魔法がかけられたという証拠は見つけることはできずに終わっていた。そのため、アキラは犯人として罪に問うことができなかったのだ。


「もっとも、疑いそのものはかけられていますし、あなたに対する心証は下がっていますので気をつけてください」

「ああ、わかってる。俺だって普通はそんな無茶はしないさ。あの時はあれがいたことと、母への暴言が重なってちょっとやっちゃっただけだから」

「その言葉を信じてますよ。——さて、それではその話は終わりにして、次の話に移りましょうか」

「次の話って……そんなに簡単に済ませていいのか?」


 思ったよりも簡単に流されたことでアキラはそれでいいのかと首を傾げたが、アトリアはそんな質問をされたことで首を傾げた。


「はい? いえ、もう謝罪はいただきましたし、そもそも元よりあれらのことなどさして気にしていませんでしたので。軽く調査しましたが、あれらの素行はとてもではありませんが善人とは呼べません。むしろ一部では他者を虐げ、愉悦に浸る悪人です。悪人であれば死んでもなんら問題ないでしょう? それにもかかわらずあれらは生きているのですから、なおのこと問題ありません」

「剣の女神、か……」

「はい? なんでしょう?」

「いや、なんでも。それより次の話ってのは?」


 生まれ変わってもなお『剣の女神』としての性格、性質は変わっていないのだと改めて理解したアキラだが、それに関して今更どうこういうつもりもないので、その話を終わらせてアトリアのいう通り次に移る事にした。


「ああそうでした。——聖女、及び教会のことです」

「聖女と教会ね。時間は作れそうなのか?」

「ええ。そちらは問題ありません。ですが、あなたはどうされるつもりですか?」

「どうって、まあ適当に幻を見せて『女神様』からお声をもらえればそれでおしまいじゃないのか?」

「確かに私からの声が届けば問題ないでしょう。ですが、おそらくそれでも完全には信用されることはないでしょう」

「まあそれはそうだろうな。だが、処刑されないってだけで十分じゃないか?」

「それはそうですが、火種を残しておけばそれは後々の面倒につながります。今回自身に問題がないことの証明の他に、協会に対して魂魄魔法について説くのですから、少しでも信じてもらえるようにしたほうが良いと思いますよ」

「んー、じゃあ他に何か小細工した方がいいってことか」

「できることならば」


 アトリアの言葉を受けてアキラは考えてみるが、そうそうすぐには思い付かない。

 部屋の中にはしばらくの間アトリアが書類仕事をする音だけが響いたが、数分ほどするとアキラは徐に口を開いた。


「……二週間はあるわけだし、女神の依代でも作ってみるかな?」


 そう呟き、教会対策に何をするのか考えていくのだった。

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