第144話父親の提案

「戻りましたよ」


 そう言いながら部屋の中に入ってきたのは王女であるアトリアだった。

 アトリアはつい今しがたまで式典に出ていたのだ。

 式典とは言ってもさほど大きなものではなかったが、それでも式典には変わりない。


 なんでそんなことをしていたのかと言ったら、それはもちろんドワーフの国に行ったからであり、そこでの出来事のせいだ。

 元々アトリアはドワーフ達の国にいって輸出に関することを話し合うのだと出ていったが、それは誰も成功するとは思っていなかった。アトリア自身もがだ。

 だが、そんな誰もが無理だと思う中で後リアは見事自分達に有利な条件で取り決めを結ぶことができた。それは立派な成果であり、求められていた以上の役割を果たしたのだから正式に褒めるべきことだった。

 しかもだ、前もってドワーフ側から話が通ってきており、今回もドワーフの使者が一緒に来たとあれば、ただ身内で褒めておしまいというわけにはいかず、式典を開かないわけにはいかなかったのだ。


 そんな事情があってアトリアは式典に出ていたのだが、今回の件に関しては自身はほとんど何もやっていないために、普段から面倒だと感じていた仰々しさをより面倒に感じていた。


 そしてその面倒なことが終わった今、アトリアはあらかじめ部屋で待機させておいたアキラの元へとやってきたのだった。


「ああ、お疲れさま」

「立場上仕方がないとはいえ、ああいった式はできるのなら参加したくはありませんね」

「あー、まあめんどくさそうだよな」

「貴方もそのうち参加するようになるのですけれどね」


 そんなふうに話しながらアトリアは部屋の中を歩き、アキラの隣へと腰を下ろした。


 アトリアの言葉はまるで冗談のようだが、冗談などではなかった。王女であるアトリアと結婚する場合、アトリアが降嫁するにしても、アキラが王族入りするにしても、どちらにしてもある程度は身分ができてしまう以上式典の類に参加しないわけにはいかないからだ。


「婚約してるとはいえ、結婚前の王女がこんなふうに接しててもいいのか?」


 今のアトリアはアキラの隣に座っており、その体をアキラの肩に預けている状態だ。未婚の男女がこれほどまでに接触するのはあまり褒められたことではないのがこの国だが、アトリアはそんなことは気にしなかった。


「いいんですよ。文句があると言っても、なにもすることなどできません。それに……人に触れているというのは、とても好ましい事だと知りましたから」


 数千年もの間たった一人で仕事をし続けてきたアトリア。仕事の内容的に厳密には一人ではなかったと言えるのかもしれないが、それでも接触したり話し相手になってもらったりということはなかった。故に、アトリアは一人ではなかったが、孤独ではあった。


 だが、アキラと出会い、こちらの世界に生まれ変わり、人と接することはどう言うことなのかを知った今のアトリアは、誰かと一緒にいる、誰かと話すということを好んでいた。もっとも、その『誰か』というのも自身の信頼できる相手に限られるが。


「そういう事なら俺としてもそばにいるのは吝かじゃないが、それはまた今度にしてくれ」

「あら、何かあるのですか?」


 だが、そう言われながら預けていた体を押されたことで、アトリアは顔には出ないものの少しばかり不満げな顔をした。


 そんなアトリアを見て不満に思っていることを理解したアキラだが、それでも前言を撤回することはできずに苦笑しながら口を開いた。


「お前と同じで、俺も二ヶ月近く離れてたんだから仕事がたまってるんだよ」

「……お互いに、どれほど無茶をしたとしても仕事からは逃れられませんか」

「だな」


 アキラの場合は配下であるサキュバス達が色々とやっていたが、それでも責任者はアキラなのでアキラ自身がやらなければならないことは多々ある。

 これから待っている仕事を思い、アキラは戯けるようにして肩をすくめながら頷いたのだが、それを見たアトリアもフッと笑いながら同じように小さく肩をすくめた。その動作はアキラのしたものに比べれはごく小さなものでしかなかったが、そんなアトリアは普段になく人間臭く感じられた。


「まあほとんどは配下がやってるだろうし、一週間もあれば完璧に元通りになるだろ」


 アキラの場合は基本的にはサキュバス達でなんとかできるようになっている。

 元々アキラは今のサキュバス達を使った仕事をするつもりはなかった。ただ偶然出会ったから庇護し、居場所を守らせるためと、安全な食事を両立させるために仕事をやらせているのだ。

 サキュバス達としては居場所を作ってもらった上に面倒はかけられないと、基本的に仕事に関しては自分たちだけでなんとかしようとしていた。


 そのため、仕事の上でアキラがやることはほとんどなく、精々がサキュバス達が顧客から引き抜いた情報確認と管理、及び周辺の状況の確認くらいなものだ。


「それは、素直に羨ましいですね。私は、ざっと見ましたが一週間では終わりそうもありません。無理をすればもっと早く終わらせることはできますが、できることならばしたくありませんし……次の休みはいつ取れるのでしょうか……」


 だが、そんなアキラとは違いアトリアは王女でありまともに仕事をしている身であるために、長期間空けていた際に溜まる仕事というものがある。それらはアトリアがいなくなっても問題ないように代役を立てたりはしたのだが、流石に全てを肩代わりできるような人材はいないので、どうしたってたまる仕事というのは存在してしまう。加えて、今回持ち帰ったドワーフ達との話の結果についても仕事が増えるのだから、どうしたって元通りに戻すまでは時間がかかってしまう。


「時々来るからそれで我慢しとけ」

「ふぅ……そうですね。仕事がそれほど溜まっているわけでもないにもかかわらず、半年間誰も知り合いに訪問してもらえないよりはマシと思うしかありませんね」


 アトリアはため息を吐き出すと、そんな冗談を言ってみせた。……いや、本当に冗談だろうか? なぜだか無表情だというのは変わらないにもかかわらず、その表情はどこか煤けた雰囲気が感じられるような気がする。


「……ぼっちか」

「ぼっちではありません。友人はいます。ただ遠かったりお互いに立場があったり忙しかったりしているだけで、友人はいるのです」


 そう言ったアトリアだが、普段はまっすぐ見つめてくるにも関わらず、今回に限ってはスッと視線を逸らしていた。その表情が僅かに苦々しいものだったのはきっと気のせいだろう。


「ああ、アトリア。それとアーデン男爵」


 そろそろ帰ろうと、アキラはアトリアと共に部屋を出て廊下を歩いていたのだが、前から歩いてきた国王に遭遇し、声をかけられた。


 アキラは内心でめんどくさいのに遭遇したと舌打ちしながら跪いた。


「男爵。此度はご苦労であった。お主の功績によりかの国とのつながりをまた一段と深めることができた。お主を見出したアトリアの目は確かだったというのが証明されたな。我が代で有望な者を貴族として迎えることができた事を嬉しく思う。これからも国のために励むと良い」

「はっ。偉大なる国王陛下並びに、婚約者であるアトリア王女殿下の名を傷付けぬよう、これからも精進してまいります」

「うむ」


 アキラの言葉に満足したのか、国王は追うように頷くとそのまま何事もなかったかのようにアキラ達の横を通り過ぎ、その場を去ってていった。


 だが、そんな国王の背中を、アキラは立ち上がりつつも眉を寄せながら見ていた。


「……なんだあれ? あんなに友好的な態度じゃなかったよな?」


 以前はあれほど何事もなく、嫌味や小言の一つすら言わずに頷くような性格ではなかったはずだとアキラは考える。


 そのことについて心当たりのあるアトリアだが、それについて口にしてもいいものなのか迷ってしまった。

 そして、迷いながらも口を開いた。


「……おそらく、貴方の素性を調べたのではありませんか?」

「素性? ……ああ、半分とはいえ貴族だからか」


 自身の素性という言葉でアキラは僅かに訝しげな表情をしたが、すぐにアトリアの言葉の意味するところを理解することができた。


「ええ。そして早い遅いはあれどそれは他の者も同じ事でしょう。ですから……」

「実父から何かある可能性もある、か」


 つまりは、そう。アキラは半分とはいえ貴族の親を持つものだということがバレたのだ。

 バレた、と言っても、元々一定以上の力を持つ家が調べようと思えば調べられる程度のことだったので、アキラとていつまでも隠し切れるとは思っていなかった。


 そして今回アキラが貴族の子供だということを知った国王は、半分とはいえ貴族の血筋であるのであれば結婚も問題ないと判断したのだった。


「ええ。一応貴方はもう独立した一つの家ですが、だからと言って親の家と完全に繋がりがないわけではない。貴族たちはそう判断します」

「つながりというか、面識すらないんだけどな」


 アキラとしてはその程度のものだが、周りのものはそうは思わない。だからこそアトリアも首を振って否定した。


「それでもですよ。貴方が貴族になったのだって、親の後押しがあったから。そう思う者もいます。ですから……」


 気をつけて、とそうアトリアが忠告しようとしたが、その言葉は途中で止まることとなった。廊下を曲がった先で丁度話題の人物が歩いていたからだ。


「……噂をすれば、ですね」

「お久しぶりでございます、アトリア王女殿下」

「ええ。侯爵が城にいるというのは珍しいですね」

「そうですね。本日は所用でたまたま来ていたのですが、殿下と出会えるという僥倖にも恵まれました」


 話題の人物——つまりはアキラの父親だ。


 アキラの父であるオルブラン侯爵は王女であるアトリアに挨拶をしたあと、その隣に立っていたアキラへと視線を向け、にこやかに笑いかけながら声をかけた。まるで、二人が親しい間柄であるかのように。


「久しぶりだな、アキラ」

「はじめまして、侯爵閣下。お初にお目にかかります。アキラ・アーデンと申します。どこかでお会いしましたか?」


 しかしアキラはそうとぼけてみせる。だが、とぼけてみせるとは言ったが、実際にアキラはオルブラン侯爵にあったことなどなかった。


「……ハハッ。いやなに、お前は覚えていないかもしれないが、お前が生まれて間もない頃にあっているのだよ、父親として」

「……」


 侯爵はアキラの返しが予想外だったのか、頬をひくつかせながらもそう答えたが、アキラは冷めた瞳で見ているだけで何も言葉を返さない。


「お前の母のことは愛していた。だが、あのとき家に置いておく事はできなかった。そんなことをすればお前の母親は深く傷ついたはずだ。だから私はお前たちを実家へと帰すことにしたのだ帰すことに。先の幸福を願ってな」


 アキラが言葉を返さないのをいいことに、侯爵は弁明しようと言葉を募るが、その全てが中身のない空っぽの言葉に思えて、侯爵の言葉はアキラだけではなく隣で聞いていたアトリアでさえ気分を害するものだった。


「だがそれももう終わりだ。今まではお前たちの身分を理由に家に入れる事はできなかったが、今のお前は自身の力で爵位を手に入れることができ、さらには王女殿下との婚約さえ手に入れた。それほどの条件を満たしていれば、お前を家に受け入れたとしても誰も文句は言わないだろう」


 侯爵がこんなことを言い出したのには訳があった。訳、なんていうほどのことでもない気もするが、簡単にいえばアキラが家に戻って来ればアトリアという王女も一緒に家にやってくるからだ。

 侯爵の家は、元々アトリアと結婚する候補者であった。それが大会でアキラに負けて台無しになったのだが、アキラが入るとなれば王女を迎え入れるという結果としては変わらなくなる。

 自身の本命が崩されて少々不満ではあったが、目的そのものは果たせるのでよしと考えていたのだ。


「だから、さあ。もう一度私たちと一緒に住もう。『家族』とし——」

「お断りだ」


 しかし、そんな侯爵の言葉に被せるようにしてアキラは言葉を吐き出した。


「……なに?」


 そんなはっきりと真っ向から断られるとは思っていなかったのだろう。侯爵は言葉を止め動きを止め、まとっていた雰囲気を乱してアキラを見つめた。


 その視線は流石は貴族とでもいうべきか、上っ面だけは笑っているが瞳の奥では笑っていない目をしていた。

 普通の一般人であれば怯んでしまうような冷たく重い圧さえ感じられるが、アキラはそんなものは意にもせずに言葉を吐き出していく。


「今まで散々放置しておいて今更一緒に暮らそう? バカ言うなよ」


 家族というのなら、一緒に暮らしたかったというのなら、手元に置いておけばよかったはずだ。屋敷では暮らせずとも、近くに家でも建ててやればそれで解決できた。


「母さんが傷つくから家に帰した? お前に捨てられたことで母さんは傷ついたよ」


 愛していたというのなら、たとえ別れなくてはならないことになったのだとしてもあれほどまでに壊れることはなかったはずだ。


「幸福を願って? ならなんでただの一度も手紙すら出してこなかった」


 そばに置いておくことはできず、実家に送り返すことしかできなかったとしても、幸福を願っていた、大事に思っていたのであれば一度くらいは手紙があってもよかったはずだ。


 だが、アキラはこれまでの人生でこの男から手紙が届いたという話など一度ちいっと聞いたことがなかった。


 そして……


「それに、さっきからあんたは俺の母親と言っているだけで、母さんの名前を呼んでないぞ。愛してるんだろ? なんでそんな他人行儀な呼び方なんだ?」


 そう。この男、先ほどからずっとアキラの母の名前を読んでいない。愛していたというのなら、一度くらいは名前を出してもいいはずなのに。心配しているというのなら、名を呼んでもいいはずなのに、この男は一度たりとて愛したはずの女の名前を呼んでいなかった。


「……」

「俺にとっての『家族』にお前は入っていない。勝手に家族を名乗るんじゃねえよ」


 それは明確な拒絶。どうしようとも埋めることのできない溝が二人の間には存在していた。


 そして二人はそばにいる王女のことなど忘れて睨み合ったが、しばらくして侯爵が視線を逸らし、その視界の中にアトリアの姿を捉えるとハッと我に返って今の状況がまずいことを理解した。


「……ははっ。王女殿下、〝愚息〟共々みっともないところをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした。本日はこれにて失礼させていただきます」


 侯爵は取り繕うように笑いながらそう言ってアキラ達から離れていった。


 だが、去り際に向けられていた感情は怒りに染まったものだった。

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