第124話婚約の成立
「ッ。……ああそれと──」
自身の言葉になんら答えた様子を見せずにいるアトリアの態度に対して、アキラたちの婚約を止めようとしていた貴族の男は追加の条件を加えようと慌てて口を開いた。
だが——
「それと、あなた方は気付いていないのか、それとも気付いてなお見ないようにしているのかわかりませんが、もしこの結婚が破談となれば、この国は単騎で国を陥せる者を二人手放すことになるのですが、その辺りはご理解いただけていますか?」
男が言い切る前に挟み込まれたアトリアの言葉で、男だけではなくその場にいた全員が黙らざるを得なくなった。
『単騎で国を陥とせる者が出ていく』。その言葉がどう言う意味なのか、全員が理解できたのだ。
だが、理解できても誰も問い返すことはできなかった。もし問いかけて、そして頷かれてしまっては〝問題がある〟どころの話ではないのだから。
しかし尋ねないわけにもいかない。故にアトリアが発言してから数十秒ほどの間を置いてから、その場に漂っていた沈黙を破るようにアトリアの父親——国王が一度大きく息を吐き出してから口を開いた。
「……アトリア。まさかお前は出ていくつもりか? それに、二人とはどう言うことだ? お前はともかくとして、その者が国を陥せると?」
「答えは『いいえ』と『はい』ですね。私も王女として生まれた責務を果たしたいとは思っております。ですので、国を出ていくつもりはありません。少なくとも今は」
アトリアは今世において王女として生まれた。そして親からの愛情を受けて育てられたため、今の生活はそれなりに気に入っていたし感謝もしていた。女神として動いていた時とは違い、しっかりと『生きている』という実感を持つことができたから。
故に、王女として無責任なことをしたくはないと思っており、気に入らない展開だからと勝手に国を出ていくつもりはない。
しかし……
「ですが、王女の責務を果たすつもりではありますが、戦闘というのは、本来は王女の役割ではありませんよね? 政務の手伝いはしましょう。ですが、それ以外の戦闘に関することの一切は取りやめたいと思います」
今のアトリアはこの国の最強の戦力として時折国境における他国との戦いに出ていることがあった。
彼女と言う戦力があるからこそ、この国はそれなりに安定していることができるのだ。
今までの平和は、アトリアあってこその平和だった。
だが、戦闘に参加すると言うのは本来はお姫様の仕事ではない。むしろ本来の役目といったら守る側ではなく守られる側だろう。
『王国最強の剣』。その称号は決して軽いものではない。もしアトリアが国境での戦いに参加しないようのだという噂でも流れ、実際に参加しないようにでもなってしまえば、この国はあっという間に攻め込まれてしまうだろう。
国からは出て行かない。だが戦いに参加しなくなるとなれば、この国は今まで通りに都は行かなくなる。
「それはっ……」
それがわかっているからこそアトリアはそのことを口にしたし、父親である国王は何も言えずに言葉に詰まってしまった。
「何か問題がおありですか? まさか、私の些細な願いを潰した上で、そこまで押し付ける、などということは考えておりませんよね?」
そんなアトリアの言葉に誰も何も言うことができず、先ほどまでどうにかしてアトリアと自身の家との婚姻を勧めようとしていた貴族の男も表情を歪めながらも黙り込んでしまい、その場にはまたも沈黙が訪れた。
アトリアは静まり返ったその場を見回してから小さく息を吐き出し、次いでアキラへと視線を向けた。
「……?」
しかし、アキラの顔を見たアトリアはその時の彼の表情に違和感を覚えた。この人はどうしてこんなに表情を殺しているんだろうか、と。
だが不思議には思ってもこの場でそれを尋ねることはできず、アトリアはこれが終わったら話を聞こうと考えてから話を進めることにした。
「そしてこの者が国を陥すことができるか、という問いですが、それはご自身の目でご覧になったのではありませんが?」
確かに、アキラはアトリアとの戦いでその力を見せつけていた。何せこの国において最強と言われている剣の使い手に勝ったのだから、あれで力がないと言うものはいないだろう。〝普通であれば〟だが。
今の状況は普通都は言い難い状況だった。
「確かに剣技はすごかったかもしれません。ですがいってしまえばそれだけです。単騎では国どころか軍を退けることも不可能でしょう。魔法も使っていましたが、あれは外道魔法。ただの幻だ。そうとわかっていれば、実害はない」
(このまま退いてなるものか。今まで王女との婚約を取り付けるためにどれほど苦労したと思っている!)
そう思ってしまったからこそ、目が曇る。
男のその欲に塗れた頭では現実を認めることができず、どうにかアキラの事を追い落とし、アトリアとの婚約を奪え返そうと足掻く。
「……もしそれを本気で仰っているのでしたら、失礼ですが正気を疑いますが……本気でしょうか?」
しかし、アトリアはそんな貴族の男を冷めたような目で見るだけだった。
男はそれなりの身分を持つものとして生きてきたために、これまでそんな自身を見下すような視線を受けたことはなかった。
「……それは、どういうことでしょう?」
「……本気、のようですね」
故に肥大した自尊心が邪魔をし、アトリアの視線にひるみつつも引く事なく問い返した。
しかし、アトリアはそんな男の思いなどどうでもいいとばかりにため息を吐きだし、それがまた男に苛立ちを感じさせた。
だがアトリアはそんな男を無視してそばにいるアキラへ声をかけようと振り返る。が、振り返った先にいるアキラの顔を見て動きが止まってしまった。
「……ん。……ああ、どうした?」
アキラは動かずに自分の顔を見つめているアトリアに気がつき、声をかけたが、その反応は少し遅すぎるように感じられる。
何かあった。それは確実だが、その『何か』の内容がなんなのかまではアトリアにはわからず、眉を顰めることしかできない。
「……その枷を壊してください」
しかし、問いただしたいと思っても今そうするわけにはいかない。
アトリアは再び自分にそう言い聞かせると、軽く首を振ってからアキラへと話しかけた。
「いいのか?」
「ええ」
「それは魔法封じの枷だ。ただでさえ頑丈にできているそれを、外道魔法を使ったところで──」
バギンッ
アキラたちの会話を聞いて何かを言おうとした貴族の男を無視して、アキラは腕に力を込めて自身の手を封じていた枷を壊した。
「特に辛くはなかったけど、なんだか開放感があるな」
壊れた枷がガシャンと地面に落ちる音が響き、アキラは自身の腕をさすりながらなんでもないかのように呟いた。
何かを言おうとしていた男は何も言えずにただ目を見開いてアキラのことを見ているだけしかできない。いや、それはその男だけではなくこの場にいる全員だった。
何せアキラがつけていたのは犯罪者につけるための最上級の枷。魔法を封じ、身体能力低下の呪いをかけ、枷自体にも強化を施している代物。
それを何事もないかのように壊せるとなれば、この反応も無理はないだろう。
「魔法を使わず、単純な腕力でもこれです。そこに私に勝利するほどの技量と魔法が重なれば、国程度、容易に陥せるとは思いませんか?」
実の所、アキラは魔法を使っていた。
そもそもの話、この魔法封じの枷と言うのは本来であれば体外に放出させるはずの魔力を枷が吸収し、それを持って能力低下や枷の強度強化などの魔法を発動させる魔法具だ。
つまり、体外に魔力が出なければ道具に込められた効果は発動せず、ただの金属の枷に成り下がる。
それでも金属であるために相応に硬いのだが、外部に魔力を一欠片ほども漏らすことなく身体強化の魔法を使うことができるのであれば、普通に壊せてしまう代物でしかなかった。
アトリアもそのことには気づいていたが、それでも話を有利に進めるためにあえてアキラが魔法を使わずとも枷を壊せたかのように言った。
「……確かにその力は厄介かもしれませんが、たとえ幻を見せられたところで、両方とも専用の対策を用意しておけばどうとでもなります」
しかしそれでも男は足掻く。本来なら来るはずだと、後少しで手が届くはずだったんだと思い込んでいる未来を掴むために。
だが、それは幻想でしかない。
確かにアキラが現れなければそうなっていたかもしれない。だが、実際には現れてしまった以上アトリアが靡くはずがなく、アキラが手放すはずがなかった。
国王は、親としては娘を応援したい気持ちがないわけでもない。しかし王としては、ぽっと出の外道魔法の使い手よりも、前々から話をしていた貴族の方が利がある。
それ故にアトリアのことも、それに抗う男のことも、どちらも止めることも味方をすることもできずにいる。
しかし、それでも自分は『王』なのだ。であるならば国のために最善の判断をしなくてはならない。
そう理解している国王は、今自分がどうするべきなのか頭を巡らせていくが、ひとまずは様子見をしておこうという結果になった。様子を見て、その流れで良さそうな方を選ぶという、なんともはっきりとしない選択。
「ご理解いただけないようなので、この場にいる者たちに魔法をかけてください。内容は、そうですね……音も光も何もない、五感全てを封じた『闇』でお願いします」
だが、国王が様子を見る間などなく、何かしらのの答えを出すよりも前にアトリアはアキラに向かってそう言ってのけた。
「……まじでいいのか? 結構きついぞ、それ」
突然の言葉にアキラは僅かに目を瞬かせると、眉を顰めてアトリアに問い返した。
「構いません。国を陥せる、という力を証明するには実演するのが一番でしょう? 幸い、あなたの魔法は傷を残すことはありませんし」
「体の傷と心の傷は別物なんだよなぁ」
しかしそう言いつつも、これ以上この場にいることも、こんなバカみたいな話し合いをすることも嫌気がしていたアキラは承諾することにした。
「ではお父様。それからこの場にいる皆様。これから皆様が『如き』とおっしゃられている外道魔法によって幻をお見せいたしますが、くれぐれもお気を確かに。魔法を使える方々は全力での抵抗をお勧めいたします」
「は……まて、アトリア!」
アトリアの言葉に国王は間の抜けた顔を晒したが、すぐに気を取り直して慌てたようにアトリアへと制止の声を投げかける。
しかし、アトリアはそんな父親に顔を向けると、優しげに微笑んでから無情な言葉を口にした。
「ではお願いします」
その無情な言葉はまるで、無意味な時間稼ぎなど知ったことか、とでも言うかのようで、国王はさっさと決断をしないで様子見などしていた自分を悔やんだ。
だが、今更どうなるものでもなく、事態は進んでいく。
「どうなっても知らないぞ」
「まっ──」
国王は言いかけた言葉を最後まで言い切ることができなかった。
いや、国王自身の認識では最後まで言い切ることができた。だが、それを誰も聞くことはできず、国王自身も自分が口にした言葉を聞くことができずにいた。
確かに口は動かした。声も出していた。手を伸ばそうともしていた。
だと言うのに、国王の目には何も見えず、何も聞こえず、体を動かしている感覚も、体があるのかという感覚も綺麗に消え去っていた。
誰かいないのか周りを見回そうとしても何も見えず、何も聞こえず、そもそも見回すために体を動かしたつもりだが本当に体が動いているのかすらもわからない。
訳がわからなくなって声を出そうと口を動かし、ありったけの力で叫ぶが、まるで何も聞こえない。
頭をかきむしりたくなって腕を動かしても、なんの感触もなく、自分にも周りにも何の変化もない。
まるで自分がさっきまで見ていた世界は夢だったかのようになくなり、自分が生きていたというのは本当に現実だったのかと疑いだし始めた。
どこまでが自分でどこまでが自分ではないのか、自身と周りとの境界が曖昧になり、意識を手放し——
「っ! ──! ────っ!」
かけたところで国王の意識は現実へと引き戻された。
そしてそれは国王だけではなくその場にいた全員も同じだった。
「はっ、はっ、はっ──」
意識を『闇』から現実へと戻すことができたが、誰一人として言葉を発しようとはしなかった。いや、発することができなかった。
ただ全員が荒い息を吐き出すか、呆然と宙を見つめているだけ。
『闇』に閉じ込めるだけではなく少しだけ精神を乱しやすくなるように細工もしたが、それでもこれほどまでになるとは思っていなかったアキラとしては、少しだけまずいかもしれないと思って隣にいるアトリアへと視線を向ける。
だがアトリアはなんでもないかのように話を続ける。
「ほんの数分程度の体験でしたが、如何でしたか? 誰一人として抵抗することができませんでしたが、これでもまだ国を陥すことができないとおっしゃられますか?」
誰も何も言わない。言えない。何か言えば、またあそこに連れて行かれてしまうかもしれないから。
「そもそもの話をするのなら、『私に勝った者は私との結婚を認める』という条件だったのですから、彼が私に勝った時点で爵位など関係なく認めるべきだと思いますけどね」
そう言ったアトリアの態度にはいつになく感情がのっていた。そしてその感情は——怒り。
「文句があるというのなら、私に勝てる人材を連れてきてください。話はそれからではありませんか? せめて私の本気に一分は保つ相手ではないと結婚の条件としては話にならないかと思いますが、如何思われますか?」
当然だ。アトリアは生まれ変わったとはいえ元々は正しさや裁きの象徴である『剣の女神』だ。生まれ変わってこの世界で生きるうちに、悪が必要な時もあるのだと以前よりも融通が効くようになった。
が、それは必要な場合のみだ。今回のように個人の欲で約束を破るような事は認められなかった。
それ故に、当初の約束をなかったことにしようとしている者たちに怒っていた。
先ほどのアキラの『闇』は罰の意味もあった。約束は守らなければならないのだ、と。
「この国の害になるようなことをすると言っているのではありません。むしろ得になることです。それに、私の今までの功績を考慮していただけませんか? 私は王女という立場の仕事を越えて色々やってきましたよね? 加えて、今回こちらはだいぶ常歩したつもりです。ですから──」
「あ、おい」
アトリアはそう言うとアキラの手をとって自身の父親に向かって歩き出した。
事前に何にも聞かされていなかったアキラは突然手を引かれたことで少し転びそうになったが、歩き出してからは黙ってアトリアに手を引かれていくことにした。
そしてアトリアは父親の前で立ち止まると、ジッと真っ直ぐにその顔を見つめてから口を開く。
「──これくらいは認めていただいても良いのではありませんか?」
それは女神としての感情ではなく、アトリアとしての願い。
「できることなら私は、お父様方にも祝福していただきたいです」
そうしてアキラとアトリアの婚約は条件付きで認められた。
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