第121話女神との遊び

「そっちはそんなおもちゃでいいのか?」

「ええ。これでも今までの挑戦者は折ることもできませんでしたから」

「そうか。なら……」

「ええ」


 アキラは鉄の剣を、アトリアは木製の剣をお互いに構えて向かい合いながら軽口を叩く。


 だがそれもいつまでも続くわけではない。

 向かい合っていた二人は示し合わせたかのように走り出した。

 いまだ試合開始の合図など行われていない。だがそんなことは二人には関係なかった。


「フッ!」


 そして始まるのは剣の神と、その剣技を学んだ者の闘い。


 接近したアキラは剣を振り下ろすが、アトリアはそれを木剣で受けた。


 通常、訓練用とは言え木製の剣で勇者さえも唸らせたアキラの剣を受け止めれば、多少の威力の減衰を起こすことはできても完全に防ぐことなどできない。

 だが、今舞台の上では何の魔法もかかっていないただの木剣が、アキラの鉄の剣を受け止めていた。


 だがそこに音はない。金属がぶつかる音も木が折れる音も何もなく、まるで綿で包み込んだかのように柔らかく受け止められ、勢いよく振り下ろされたはずのアキラの剣は初めからそうするつもりであったかのように、鉄の剣と木の剣は鍔迫り合いを繰り広げることとなった。


 まさに神業。人外の技量。

 たった一度。それだけの打ち合いではあっても、それを体験してしまえばいくら名を馳せた剣士であろうと、それまで培ってきた自信など砕け散ることだろう。

 アトリアの剣はそれほどまでに常識から外れていた。


 しかしアキラにはそんなことはあらかじめわかっていた。何せ相手は『剣の神』だ。木の棒で鉄を切ることができるのだから、この程度は造作もないに決まっている。

 故に、今のはあくまでも確認。


 それを証明するかのように、鍔迫り合いを続けているアキラは目の前にいるアトリアに向けてニッと笑いかけると、全身に魔力を流して身体能力を強化し、動き出した。


 アキラは強化した体で足蹴りを繰り出しアトリアの膝を狙う。


 だがアトリアはそれをわずかに後ろに動かすことで躱す。

 蹴りをかわされたアキラだが、それは想像どおりだとでも言うかのように剣を切り上げる。


 探し求めていた相手に対し、食らえば確実に死ぬだろう一撃を放つアキラだが、その一撃も傷をつけることなく、音を出すことすらなくいなされる。


 しかしそれもアキラの想定どおり。いなされ、流された体勢のまま、その流れた勢いを生かして踊るようにして連続で剣を振るう。


 だが、そんな猛攻でさえも全ては音もなく凌がれてしまっている。


 まさに息もつかぬ怒涛の連撃。

 直接対峙していないはずの観客たちは、そのあまりの光景に息をすることも忘れ、瞬きすらせずに二人の戦いを魅入っていた。


 剣を打ち合う音すらないそれは、観客たちに戦っていると言うことを忘れさせ、まるで二人の舞を見ているかのようですらあった。


 だが、それも長くは続かない。

 見ているだけで息を止めてしまうほどの激しい戦い。

 女神の生まれ変わりである王女アトリア相手に、純粋な剣技では劣るアキラは息をする事ですら隙になる。

 故に、アキラは息をする事なく、ただ剣を振るうことだけで頭を埋め尽くして戦っていたのだが、当然ながらそれもいつまでも続くわけではない。


「っ、ぷはぁ……」


 生物が生きるのに必要な事であるが故に仕方がないとはいえ、ついにアキラは呼吸をし、そして隙を作ってしまった。


「隙だらけですよ」


 そんな常人にとっては隙とも呼べない、達人であってもほんの些細なそれは、だが剣の女神相手では致命的ともいえるほどのもの。


 ここまで剣を攻撃として奮ってこなかったアトリアだが、ここにきて初めて攻撃の意思を込めて剣を振るった。


 その剣は今までとくらべても凄まじく、このままでは避けることもできずに木剣で打たれて……いや、斬られておしまいになるだろう。


「な、めんな!」


 だが、それは相手が普通であれば、だ。

 全盛期の女神を相手に何時間と言わず何日も戦っていたアキラにとって、それは対応できる程度の一撃でしかなかった。


「あら」


 女神の剣は、それがたとえ刃のついていない木の棒であっても敵を断ち切る。

 常識の埒外のまさに神業と言えるそれは、女神曰く「最適な場所に最適な角度と速度で振れば、誰だってなんだって斬れる」とのことだが、まあ当然ながら常人には参考にならない。


 そんなバケモノのような剣技だが、対策できないわけではないのだ。

 最適な場所だとか最適な角度が必要だということは、その『最適』からずらしてやればいい。そうすればそれはただの木剣でしかない。


 それを理解しているアキラは、自身の肩口に剣が当たるその瞬間、その場で飛び跳ねた。

 そうすることで、アトリアの振るう剣の『最適』をずらし、切断からただの強打へと変えたのだ。


 それでも女神の振るう剣。痛いことに変わりはないどころか、常人ならば剣による切断ではなくともその打撃で死ぬことすらあるだろう。


 だが全身を魔法具で固め、あらかじめ覚悟していたアキラにとってはただの痛い強打程度ならどうと言うこともなく耐えられた。


「鈍っていると思いましたが、そうでもなかったようですね」


 そのまま追撃の一撃が放たれるかと思いきや、アトリアはトンッと軽やかにその場から飛び退くと、最初と同じように剣を構えてアキラへと向けた。


「……鈍ってるのは確かだろうな。ここのところ容赦なく斬り殺そうとしてくる強敵がいなかったからな」

「あら、そんな怖い人が以前はいたのですか?」

「ああ。とびっきり怖くて、とびっきり綺麗な剣を振るう奴がな」

「……そうですか」


 剣の女神であったアトリアにとって、ただ美しいと褒められるよりも、振るう剣が美しいと言われる方が嬉しかった。

 今ままで容姿を褒めてくれるものは星の数ほどいたが、それでも剣を褒めてくれるものなどいなかった。


 いや、いたことはいた。すごい。強い。そんな風に褒められたことも、何度もある。

 だが、女性に剣の強さを褒めても意味がないとでも思ったのか、誰もアトリアの振るう剣を『綺麗だ』と褒めることはなかった。


 それ故に、彼女はアキラの言葉が嬉しくなり、僅かながら顔を赤らめてスッとアキラから視線を逸らした。


「安心したよ」


 そんなアトリアを見て、アキラはフッと楽しげに笑いながら呟く。


「? 安心ですか?」

「ああ。なんだか、前にあった時と変わったと思ってたんだが、どうやら変わってないところもあるんだなって」

「……ああ。私も王女としてここに生を受けたのです。あの時のまま、というわけには行きませんよ。ですが、それはあなたもでしょう?」

「まあな。あの時にはなかった、大事なものっていうのができたよ」

「それはウダルという少年たちのことですか?」

「なんだ。観てたか?」

「ええ。剣筋が似ていました。あなたが教えたのでしょう?」

「ああ。まあ、あいつも大事なものの一つだな。友達って奴だ。だけど、一番大切なのは『家族』だな」

「……そうですね。ええ、それは私も大事なものです」


 アキラはこの世界に来て自分を息子として扱ってくれる母親というものを初めて手に入れた。

 前世ではもらえなかった温かさを惜しむことなく与えられ、アキラは『アキラ』としての人生を捨てることなく、友人も家族も、全部を大切に生きようと心に決めていた。


 だがそれはアキラだけに限ったことではなかった。

 女神として作られ、その役割を果たし続けてきたアトリアは、アキラと出会い、ともに時間を過ごした結果、そこで初めて『生まれた』と言えた。


 この世界に生まれ変わったはじめの頃は、最初の頃のアキラのように他の何を捨ててでも自分を生まれさせてくれた親のような、恋人のような大切な人を探しに行こうと思っていた。


 だが、この世界で生きているうちに自身を大切にしてくれる存在に出会い、女神として在ったときには持っていなかったものを大切にしようと決めていた。


 故に、ここにいるアトリアという女性は、アキラの探していた女神であり、この世界で生きる王女でもあった。


「……話しすぎましたね。これ以上は、終わってからとしましょうか」

「だな。見つけたんだ。時間はいくらでもある」


 もう再会を果たし、お互いに居場所はわかった。

 ならばこれからいつでも話すことができるのだから、今は違うことをしよう。


 そんな二人の考えは重なり合い、再び攻防が始まる。


「今度は私から行きますよ」


 そしてアキラへと走り出したアトリアだが、その動きは決して激しいものではない。周りから見ている分には気楽に、軽やかに走っているように見えるだろう。


 だが、対面しているアキラにとっては違う。

 意識の隙をついたような走りで近寄るアトリアは、一瞬のうちに距離を詰めたように感じられた。


 そして行われるのは最初にアキラがやってきたのと同じ振り下ろし。

 しかしその精度は桁違いのものだ。


 アキラの剣はかなりの技量で放たれていたが、それでもまだ力任せな部分があった。

 だがこのアトリアの剣は違う。力強さなど一切感じさせない、しかし見ているだけでも触れる全てを斬り裂くと思わせるような、鋭さ〝だけ〟を詰め込んだ剣の極み。


 そしてその『鋭さ』は見せかけだけではない。


 久しぶりの本気の戦闘で、体も勘も鈍っていたアキラはついその剣を受けてしまう。

 通常であればその判断は間違いではない。だが、剣の女神が相手であると考えると、悪手でしかない。


(くおっ! まっずい。軽口を叩いたが、実際俺の剣の腕は落ちてる。そりゃあそうだ。一日休めば三日戻るっていうのに、俺は何日休んだ? 凡人でしかない俺がそんなにわからなくなるほど鍛えなきゃ、弱くなるに決まってる)


 アキラが防御へと回した剣は、それを予想済みだったアトリアの木剣によって面白いように簡単に斬られ、その剣身を半分ほどへと変えた。


(つっても、このまま負けるわけにもいかない。それに、こいつはまだまだ本気じゃない。本気だったら俺なんてもう終わってる。今はお互いのための準備運動ってところだろうな)


 だが、剣が短くなったところでアトリアは止まらない。

 振り切られた剣は斬り返しのために跳ね上がるが、アキラは後方に身を逸らしてそれを大袈裟なくらいの挙動で回避する。


 これはアトリアの剣技を警戒しているが故の動作だ。

 アトリアは多少の回避であれば難なく合わせてくるだろう。ギリギリで躱せば、剣の角度を変えたり持ち手をずらして剣身を伸ばすなりして容赦なく斬ってくる。

 少なくとも、女神として戦った時はそうだった。


 避けたと思っても斬られているその剣は、相手からしたら訳がわからないだろう。


 それ故に、アキラは多少の修正程度では届かないように大袈裟に動いていたのだ。


(こいつは、あのおもちゃが折れてからが本番だ。一応鍛えているし魔法で強化してるけど、こんな体だ。長引かせれば俺が不利。だったら……)


 その身に膨大な魔力を閉じ込めているアキラはその成長が遅い。

 それは魔法使いとしては歓迎するべき現象なのだが、今ここに至っては都合が悪い。

 前衛として戦うには子供の体では体力面で不安がある。


「その剣折ってやらああ!」


 そう判断したアキラは、短期決戦をするべく、まずはアトリアに本気を出させることから目標に動き始めた。


「できるものなら、いつでもどうぞ」


 アキラの叫びを聞いて楽しげに口元を歪めてニヤリと笑ったアトリアは、防げるものなら防いでみろとばかりに上段から剣を振り下ろした。


 顔面に向かって振り下ろされた剣。当たれば頭蓋など容易に割れるであろうそれがアキラに迫る。

 アキラはそれを避けようとしているのか首を傾けているが、それでもこのままいけばアトリアの剣は肩に当たる軌道だ。

 しかし生き残ることはできる。


 だがそこで女神の頭の中に余分が入った。

 自分は頭を狙ったのに肩に当たってしまうのは、剣の神としての自分が許さなかった。

 それ故にアトリアは肩へと向かった剣の軌道を修正し、アキラの頭へと進ませる。


 それがいけなかった。


「ふおおおお!」

「あら」


 軌道を修正したが故に、本来の威力よりもほんの僅かながら勢いの落ちた剣。

 振り下ろされたその剣が顔面に当たる直前、アキラは身体強化の魔法をできる限り強め自身の顔に落ちてくる木剣を噛んで止めた。

 そして剣を噛み締めたまま体ごと思い首を捻り、力任せにアトリアの木剣を折った。


 それを認識するや否や、アトリアは目を見開いて驚くが、そこに未だ折った木剣を口に加えたままのアキラが剣を振るう。


 驚きから瞬時に回復して咄嗟に避けたアトリアだが、それは咄嗟であったが故に一筋の傷を腹部に刻んでしまった。


 それはうっすらとした、紙で指を切った程度……ですらない些細なもの。

 アキラの剣が折れていなければもっとはっきりと傷を負わせることができたのだろうが、現実はそうではない。


 だが、それでも服が切り裂かれ、その下でじんわりと赤みを帯びていく白を見て、アトリアは斬られたその部分に手を当てる。


 そして戦いの最中であるにもかかわらず目を瞑ると、満足そうに笑ってから目を開いてアキラのことを見た。


「折れてしまいましたね」

「はあ、はあ……どうしたこんなもんか? 武器がなくなったから終わりとか言わないよな? いや俺はそれでも構わないけどさ、まじで」

「ふふ、ご冗談を。これまでのは単なる準備運動。それはあなたのもご存知でしょう?」


 本来は武器が壊れれば終わりである。

 だが、この時を渇望してきた彼女がこの程度で終わらせるはずがなかった。


「次はその腰にある剣か?」

「それでもいいのですが、それだと長引きそうですしやめておきましょう。ここは時間が無限にあるというわけでもありませんし。ですので、使うのはこれです」


 剣を使わないと言いながらも、腰に帯びていた剣を抜き放つアトリア。だがそれだけでは終わらない。


 アトリアが抜いた剣はそれだけで技ものだと分かるほどに美しいものだった。

 だが、そんな剣はその姿を変える。


 姿を変えると言っても、形が変わったわけではない。

 変わったのはそこに宿る力。


 アトリアが自身の目の前に掲げた剣。そこに剣の神であったアトリアの魔力が込められていき、神々しい光を放つ『切断』へと変わった。


「……出たな。バケモノ剣」


 剣の神としての能力を込められた、触れたもの全てを断ち切るという『切断』の概念の塊。真なる女神の剣。

 それが今、アキラの目の前に現れた。


 触れるだけで斬られてしまうというそれを、アキラがバケモノ剣と称したのは仕方がないことだろう。

 アキラも一応使うことは出来ているが、『本物』を前にしてしまうと自分のはひどく拙いものだと考えるまでもなく理解できてしまう。


「以前に比べれば随分と格落ちしますが、まあ十分でしょう」


 アキラからしたら何が劣っているのかわからない。

 強いていうのならその輝きが以前に比べて弱いように感じられるし、以前はわざわざ実剣を使わなくとも『切断』を使うことはできていた。


 が、言ってしまえばその程度だ。

 輝きが弱いのはそこに込められた魔力が少ないからで、使用時間に限りでもあるのだろうが、効果に差はないだろう。


 実剣を使ったのだって、だからどうしたとしかならない。なければ使えなくなっているのだとしても、既に『切断』は発動しているのだからもはや関係ない。


「さあ。仕切り直しです」


 そして剣の神とアキラの勝負が再び始まった。

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