第120話王女との邂逅

「明日か……」


 槍の勇者との決勝を終え、アキラは店兼自宅となっている館へと戻ってきたのだが、休むことなく庭で剣を振っていた。


 それは明日の王女戦に向けて、ではなく、そうしていないとはやる心を抑えられなかったからだ。

 ずっと探していた女神に会えるかもしれないし会えないかもしれない。会えたとしても相手がどう答えるかわからない。

 期待と不安と恐怖と希望が入り混じった感情を抱えている今のアキラは、とにかく体を動かしていたかった。


「お疲れさん」

「ウダル」


 そんな中、アキラの店を宿がわりにしているウダルが現れて剣を振っているアキラへと声をかけた。


「いやぁ、まさか勇者を相手に本当にかっちまうとは思わなかったぜ」

「そうか?」

「ああ。だって勇者だぜ? 凄腕の冒険者とかじゃなくて、おとぎ話に出てくるようなホンモンの英雄だぞ」

「まあ、そうかもな」


 そんな風に話をしている間も、アキラはその動きを止めない。ウダルではない誰かを見て、剣を振り続けた。


 そんなアキラの様子にウダルは肩を竦めると、腰につけていたポーチから木剣を取り出してアキラに殴りかかった。


「……何だ突然」


 だが不意をついたその一撃は、アキラにたやすく止められてしまう。


「アキラ。ちょっと勝負しようぜ」


 それでもお構いなしにウダルはアキラにそう言い放ち、アキラの正面に回ると剣を構えた。


 それがウダルの心遣いだとわかったアキラは特に何をいうでもなくウダルに対して同じように剣を構えてみせる。


「……明日だな」

「……ああ」

「確かめてこい」

「ああ」


 そして星空の元、庭に小気味良い音が響き渡った。




「それでは本日は大会優勝者による特別試合をとり行わせていただきます!」


 一夜明けた今日。アキラは大会会場の舞台へと続く通路にて待機していた。


「まずは私の右手側をご覧ください!」


 そういったのは舞台の上で片手にマイクのような拡声の魔法具を持って話す司会の女性。


「挑戦年齢の下限である十五歳にして、類い稀なる剣技によってここまで勝ち上がってきた少年! アキラ選手です!」


 そんな司会の声に反応してアキラは脇の通路から舞台へと進み出る。


 アキラが現れると観客たちからは歓声が飛び交うが、昨日までの試合を見ていたからか、その中からは普通なら多少はあって良いはずのアキラの実力を疑うような声は聞こえてこなかった。


「対するは……」


 いまだ舞台には姿を現していない対戦相手である王女だが、アキラの立っている場所からは何も遮るものがないためにその姿を窺うことができた。


(あれが例の王女か。でも……)


 しかし、いまだ通路で待機したままの王女の姿を見たアキラは、思わず顔をしかめてしまった。そこに宿る感情は落胆だ。


「この国の王女にして、わが国において最高の剣の使い手であるアトリア王女! 『神の剣』『女神の寵愛』などなど、様々な呼び名で知られているその勇名は語るまでもなくご存知のことでしょう!」

(ここまでそばによっても何も感じない、か。……ハズレだな)


 だがアキラが落胆したのも無理はない。何せ、女神の生まれ変わりかもしれないと期待していただいて王女は、目の前にやってきてもなお、その力を感じることができなかったのだから。


 勇者や聖女のように力のかけらしか感じられないとかではなく、全く感じられないのだ。

 それはつまり、目の前に立っている女性が本当にただ剣が上手いだけの〝一般人〟であることを示していた。


「その手に持っているものはなんの魔法効果のかかっていない単なる木製の剣ですが、それでも過去の挑戦者たちは王女殿下にただの一筋も傷を負わせることができませんでした! はたして今回の挑戦者は王女殿下に打ち勝つことができるのでしょうか!?」


 壇上に上がってきた女性は、銀色に輝く長い髪を携え鋭い眼差しをした女性だった。

 不用意に触れたものは切り裂かれると思えるほどに鋭い雰囲気をした女性だが、その中でもどこか柔らかな女性らしさを感じさせている。


 その服装は鎧などつけておらず、ドレスとも神官服とも言えるようなゆったりとした服を着ており、防具の類は一切つけていない。

 この姿は毎年のことで、彼女はこの大会の日には必ずこの服装で現れていた。

 それが戦う者の服装かと思うものもいるにはいるが、だがこの大会で戦ってきて今まで傷一つ負っていないのだから何も言えない。


 そしてその腰には剣が下げられているにもかかわらず、その手には真剣ではなくなぜか訓練用であるはずの木剣が握られていた。

 これも今までと同じだ。今までも彼女は真剣を使うことはなく、同じように木剣だけで戦って来ていた。

 それは決して力が弱いから剣を持てないだとかそんな理由ではなく、木剣と真剣で戦ったとしても容易く勝てるほどに隔絶した実力があるから故だった。


(となると、さてどうしようか。ここまできたのに無様に負けるとなると、観客たちも納得しないだろうし、真面目に戦わないといけないわけだけど……勝つ必要はないわけだし、そこそこ戦って適当に負けるか)


 そんな雰囲気だけならば完璧にアキラの求めている人物なのだが、その本質ともいえる魂を感じ取れない以上は別人だとアキラは判断していた。


 司会の女性は観客に語りかけるように話し、場を盛り上げているが、すでにこの女性は自分の探している人物ではないと判明した以上、アキラにはこの試合などどうでもよかった。

 勝つ必要などないし、何なら今すぐにでも降参宣言をしても良いほどだった。


 故に、アキラはこれからどうやって負けようかと算段をつけていたのだが……しかしそんな考えは、目の前に現れた王女がにこり——いや、ニヤリと笑った直後に一瞬にして吹き飛んだ。


「…………………………は?」


 王女が笑った瞬間、アキラは王女からとても懐かしい、ずっと探し求めていた気配を感じたのだ。


 勇者だとか聖女だとか、これまでのようなカケラじゃない。本物だ。

 わかる。自分の魂が分けられた半分を間違えるはずがなかった。この女性こそ、自分が今まで探し、求め続けてきていた女性だ。


 アキラは考えるよりも早くそう理解する。


 なぜ先ほどまでは気配を感じなかったのだとか、何だか様子が変わっている気がするだとかいろんな考えが頭をよぎるが、それらは一瞬で消え去っていく。今のアキラの頭の中は、ただただ歓喜で埋め尽くされていた。


「お久しぶりですね」

「……」


 驚愕に目を見開くアキラを見て笑みを深くした王女。

 だがその笑みの中には先ほどまでと同様、いくらか子供がいたずらを成功させた時のようなものも混ざっていた。


「この戦いでアキラ選手がアトリア様に見事勝つことができれば、アトリア様はアキラ選手とご結婚なされるのですよね?」

「ええ。正確には結婚しても良い、ですが。今まで私は、『私に勝てる者』を探していましたが、無理に押し付けるつもりはありませんので」


 アトリアというのがこの国の王女の名前。そして──女神の生まれ変わりの女性の名前。


「殿下のお誘いを断る者などいませんよ!」

「わかりませんよ? すでに恋人がいるのであれば、私のようないき遅れなどもらっても迷惑でしょうし」


 アキラの探し求めていた女性であるアトリアは司会の女性と楽しげに話しているが、アキラはその言葉に一切反応することなく、ただただ突然目の前に現れた最愛の人物だけを見ていた。


「まさか! 恋人がいる場合は確かにおっしゃる通りかもしれませんが、殿下はまだまだお美しいではありませんか! 殿下の結婚相手の座を求める者など、それこそそこら中にいます!」

「ふふ、お世辞と分かっていても嬉しいものですね」

「お世辞だなんてとんでもございません! ねえ、アキラ選手!」


 司会のテンションが高いのは、司会だからと言う理由もあるのだがそれだけではない。

 美しく、そして強い王女様と話すことができる機会など、貴族であってもそうそうあることではない。

 故に、この場ではプライベートな会話をすることはできないが、それでも一対一で話すことができる立場であるがためにこの大会の司会というのは競争率が高かった。

 そして今回、その機会を掴み取った彼女は、目の前にいる王女本人に感動して仕事だからそうする必要があるという以上にテンションが高かった。


「? アキラ選手……あの? どうかされましたか?」


 だがそんな司会の声も、アキラには届いていない。届く余地などない。

 今のアキラは、強すぎる感情によってまともに頭を働かせることができないでいた。


「……」

「あのー?」

「ふふ、すみません。少々驚かせてしまったみたいです」

「え、えー、あー……そ、その、アトリア様はアキラ選手とお知り合いなのでしょうか?」


 無言のまま驚いた様子で動かないアキラと、先程の王女の言葉を聞いてそう判断した司会役は、おずおずと王女に問いかける。


「ええ。とは言っても、彼は私の姿を知らないでしょうから『始めまして』、でもありますね」

「…………まさかだな」


 それはどういうことか。司会の女性がそう問いかけようとしたが、だがそれはアキラの言葉によって遮られてしまった。


「え?」

「まさか、本当にこんなところで会えるとは思わなかったよ」


 アキラは司会のあげた疑問の声には頓着することなく、落ち着いてきたがいまだに歓喜によって暴れている思考を制御して言葉を紡ぐ。

 その視線は真っ直ぐに、ただひたすらに探し求めていた女性にだけ向けられていた。


「そうですか? 私としましてはもう少し早く来るものだと思っていましたが」


 そんなアキラの言葉に優しく微笑みかけると、女神の生まれ変わり──アトリアはとても親しげにアキラへと話しかけた。


「これでも早く来た方だと思うぞ」

「ですが、もうだいぶ待ちましたよ?」

「結界なんて使ってなければもっと早く来れたんだけどな」

「それは、ほら、ちょっとしたいたずら心というものですよ。それでもあなたは見つけてくれると信じていましたから。現に、あなたはここにいる」

「それを言われると何ともいえないだろうが。……ああ、くそ。なんだろうな。言いたいことは山ほどあるのに、頭の中がぐちゃぐちゃで全然まとまらない」

「ふふ」


 もはや司会や観客など気にすることなく、二人だけの世界で話をしているアキラとアトリア。

 過去、これまで何年もやってきた大会ではあるが、今まではこんなことはなかっただけに、その二人の様子を見ていた全員が大小の差はあれど混乱していた。


 しかし誰も止めることができない。


 観客は言うに及ばず、一番可能性のある同じ舞台上にいる司会の女性は、自信を置き去りにされている状況をただ呆然と眺めていることしかできなかった。


「でも、そうだな。話なんて後ですればいいんだ。今言うことは……ああ」


 言いたいことは山ほどある。当然だ。生まれ変わる前の記憶を思い出したその日から今に至るまで、ずっと探してきたのだ。

 ずっとずっと、ただひたすらに探してきた。言いたいことは一つや二つでは収まらない。


 だが、それらは今言うべきことではない。

 今、アキラが言わなくてはならない言葉はもっと違う、別の言葉だ。


「──あの時の約束を果たしにきた」


 だからアキラはそう言った。


「先に来ることはできなかったが、迎えにきた」


 あの時、生まれ変わる直前にした「迎えに行く」と言う約束を果たすために。


「そうですか」


 だがそんな万感の想いを込めたアキラの言葉を、アトリアはそっけない態度で返事をするだけだ。


 それはアキラはアトリアのことを探し求めていたが、彼女はもうすでにアキラのことなどどうでも良いと思っているかのよう。


 だがそれでも、アキラはアトリアを見つめたままその視線を逸らさない。


「あなたの言葉自体は私も嬉しく思います。——ですが、人の世で生きる以上は決まり事というものがあります。あなたがいくら何かを言ったところで、現実に何か効果を及ぼすことはありません」


 その通りだ。いくらアキラが迎えにきたと言っても、それは言葉だけ。実際に王女であるアトリアを迎えるには、平民であるアキラにはいくつもの障害がある。


「ここでのルールはご存知でしょう?」

「ああ」


 しかしそんな障害も振り払う方法が目の前に一つだけあった。


「私に勝てば、あなたの言った通りに、望む通りに私を手に入れることができます。ですが逆に、勝つことができなければ……」


 アトリアはそこで言葉を止めると、持っていた木剣を構え、それまでのどこか柔らかさのあった雰囲気を消し去る。そして鋭い刃のような雰囲気だけを残した状態でアキラへと対峙した。


「さあ剣を」


 そんなアトリアの言葉に空を仰ぎ見て深呼吸をしたアキラは、そのままも状態で数秒ほど目を瞑った。

 そして目を開けると視線を目の前の女性へと戻し、腰に帯びていた剣を抜き、構える。


 二人が構え向かい合ったその様子は、剣を持つ者の姿形は違えど、鏡写しのようにそっくりだった。

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