第116話次の対戦相手

 

 アキラとウダルが試合を終えたあと、アキラは次の敵を確認する意味で残りの試合を観戦してから自身の店へと戻ってきていた。


 だが、それはアキラ一人で観戦したというわけではなかった。


 すでに大会を敗退したウダル達は試合の観戦などする必要はないのだが、ウダルとエリナの二人はアキラのように次の対戦相手の確認などではなく、純粋に大会を楽しむために観戦していた。


 そうして帰ってきたのだが、どういう結果になっても——ほぼ間違いなくアキラが勝つだろうと想定していたが、試合が終わった今日は盛大に食事をしようと考え、レーレ達に用意するように頼んでいた。


 そして今、アキラとウダルとエリナの前には、どうあっても三人では食べきれないほどの料理が並んでいた。


「さて、じゃあ始めようか。ウダルの残念会と俺の祝勝会!」

「おいアキラ。ぶん殴っていいか?」

「え? いやだけど?」


 何を言っているんだこいつは? というような表情でウダルのことを見たアキラだが、ウダルからしてみればわかっていたこととはいえ、今日の試合で負けたのはそれなりに悔しかった。

 それなのにこんな自分の勝ちと相手の負けを祝うような席に招待されれば、怒りを抱き喧嘩になってもおかしくない。


 だが、相手次第では喧嘩になりそうなその行動も、ウダルにとっては次こそは、と奮起する材料にしかならなかったので、結果としては良かったのだろう。


「まあ冗談はさておき、お疲れ様だ。見ての通り料理は用意してあるから、いっぱい食え」

「それを言ったらお前もだろうが」


 ウダルの言ったようにアキラも戦ったのだから、「お疲れ様」という言葉がウダルにかけられるのであればアキラも同じだ。


 だが、あの程度では『疲れた』内に入らないんだろうな、と考えウダルは苦笑したが、直後、その表情は一転した。


「それで、お前は何を隠してんだ?」

「……何をって?」

「珍しく反応が遅れたぞ。隠せてないって」


 アキラがウダルの様子のおかしさに気づいていたように、ウダルもまた、アキラの様子のおかしさに気付いていた。


 だからウダルはそのことを問うた。

 しかしアキラは笑いながらそのことを隠そうとしたようだが、ウダルの言ったようにアキラは言葉を返すのが遅れていた。

 そしてそれだけではなく、ウダルノ言葉を聞いた瞬間にぴくりと僅かに体を震わせていた。


 それほど親しくなければわからなかったかもしれないが、もう何年も友人として付き合ってきたウダルにとってはわかりやすい反応だった。


「そうでなくても友達なんだ。こんな普段のお前らしくないことをされれば嫌でもわかるさ」

「まあそうよね。あなた、こんな祝勝会とかするタイプじゃないでしょ」


 通常であれば準決勝まで来たことはすごいことなのだからそれを祝して、そして翌日の戦いに向けて鋭気を養う意味を兼ねて祝いをしてもおかしくはない。


 だが、そもそもアキラはどこまで勝ち上がっただとか、誰に勝ったからすごいだとか、この大会にそんな意味をみいだしてない。

 アキラが気にしているのは、決勝で勝つことができるかできないか、それだけだ。

 加えていうのなら王女が目が耳の生まれ変わりかどうかだが、それは大会に優勝さえすれば解決するので、やはり気にしているのは優勝できるかどうかだけだった。


 そんなアキラの性格を、それなりに長い付き合いのあるウダルたちは理解していた。

 だからこそ、アキラがこんな残念会だ祝勝会だと騒ぐのが違和感でしかなかった。


「何があった? 話したくないってんなら、構わないさ。でもよ、そんなに悩むくらいなら、話してみろよ。解決できるなんてことは言わねえよ。俺はお前みたいに頭よくねえし力を持ってるってわけでもない。実際、今日負けたばっかだしな」


 そう言って苦笑するウダルだが、アキラの表情に笑みはなく、もう祝勝会などという様子ではなかった。


「だがそれでも、陳腐な言葉だけど、話すことで楽になれるもんもあんじゃねえのか?」


 真摯に自分に向き合ってくるウダルに対して、下手なことは答えられない、答えてはいけないと考えたアキラは、何もいうことなくそのまま目を瞑って考え込み始めた。


「……そう、だな」


 そして目を瞑っていたアキラは、少ししてから徐に口を開いて話し始めた。


「まあそんな大した理由じゃないんだ。ただ単に、俺の気分の問題ってだけで」


 そう言って目の前にいるウダルとエリナに向かって笑みを向けたアキラだが、その様子はいつもとは違っていて、どことなく力のないもの——いや、逆だ。力が入りすぎているせいでおかしな風に見えてしまい、力無く笑っているように見えてしまったのだ。


「……俺の次の相手なんだがな……」


 アキラはそこで一旦言葉を止めると、大きく息を吐き出してから続きを話し始めた。


「ダグラス・ダイン……俺の兄なんだ」


 その言葉を聞いてウダルとエリナは驚きに目を見開いた。

 それは普段は他人に興味がないエリナでさえ驚きをあらわにするほどの事だった。


「兄って……確かお前は……」


 アキラの家の事情を知っているウダルとしては何を言って良いのかわからないが、それでも何かいわないとと思って自分の考えをまとめる意味でも口を開いた。

 だが、結局何を言って良いか分からずにその言葉は途中で止まってしまう。


「あまり言いふらすことでもないけど、母さんは妾……いや、妾ですらないのかもしれないな。単なる都合の良い女。そんな女から生まれた子が俺だ。それに対して向こうは正妻の子供。加えて、随分と可愛がってる後継者殿だ」


 アキラの母親であるアイリスは、貴族のコネを作るため父親であり商会の長であるグラドがとある貴族の屋敷へと行儀見習いとして出していた。


 だが、その先ではしばらく働いているとその貴族の当主の妻が妊娠した。その間は相手をすることができないからと行儀見習いの者達に手を出し、その結果できたのがアキラだ。


 だが、それはアイリスの望んだことではなかった。


 アイリスは拒んだのだが、アイリスの実家が力を持っている商人とはいえ、所詮は平民。コネが作りたくなるような貴族と敵対して無事で済むわけがなかった。


 その結果、強引に犯されたアイリスは子を孕み、それがその貴族の妻にバレて過剰な『躾』を受けてから追い出され、家に送り返されたアイリスは壊れてしまっていた。


 現在では生まれた子供——記憶を思い出す前のアキラの行動によって立ち直り、アキラのために行動するようになった。


 だがそれも、壊れているといえなくもない。

 いくら普通に行動しているように見えたとしても、アイリスにとってアキラだけが世界の全てとなっているのだから。


「俺は俺自身の出自をそれほど気にしていない。というかどうでも良いとすら思ってる──が、母さんのことは別だ。あの人を傷つけた男の関係者だと思うと、な……。もちろんそんなのは向こうは知らないだろうし、俺が勝手に悩んでるだけなんだが、それでも色々と考えられずにはいられないんだ」


 自分の母親をそんな風に傷つけたのはその貴族家の当主と、その妻。それから数人の使用人だというのはわかっている。

 その頃にはまだその家には子供が産まれていなかったのだから、自分の母親に関するあれこれに関わっていないのは理解している。


 ——だとしても、考えずにはいられなかった。


「……殺したいのか?」

「……どうなんだろうな? 当主自身には後悔してもらうけど、その子供にまで手を出して良いものかと思うと……わからない」


 殺したいのか、と聞かれても普通なら否定するところだろう。

 こんな話をしてもし本当に相手が死んだら自分が殺したんじゃないかと疑われてしまうから。


 だが、それでもアキラは隠すことなく話した。それは信じているから、というように特に意識したことではなく、本当にただなんとなくだった。


「そうか。殺すんなら、バレないようにやれよ。お前が捕まったらアイリスさんは悲しむぞ」

「……こういうのは普通『殺すなよ』とか止めるもんじゃないか?」

「まあな。でも、それは知らないから言えることだ。部外者だからそんな簡単に言える。俺だって親しい奴を泣かされたことはない。だが、それでも親や兄弟やエリナが泣かされたと思うと、そいつを許せないと思う」


 そう言ったウダルから見えない位置でエリナが楽しそうに、嬉しそうに頬に手を当てているが、雰囲気をぶち壊しだ。


 だが、アキラにとってはそれが良かったのかもしれない。そんなウダルとエリナの姿を見たからこそ、それまでの考えすぎていた状態から気を抜くことができたのだから。


「復讐はいけないことだからやめましょう、なんてのは、大事な人たちを泣かされて、大事なものを壊されて、それでも笑って相手を許すことのできる奴だけが言って良い言葉だ。だから俺は言わない」


 復讐をやめろなどという言葉ほど相手のことを考えない言葉はない。


 復讐をする者の気持ちなど、実際に復讐をした者にしかわからない。しかもそれだって状況が違っていれば思うことも違うだろう。


 故に、ウダルはそれを止めない。そうすることが正しい時だってあると思っているから。


「だから言うとしたら、アイリスさんを悲しませるなったことだけだ。あの人がお前をどれくらい大事に思ってるのかは、お前自身がよく知ってるだろ?」

「……ああ。十分すぎるほどにな」


 アイリスが——母が自分のことを大事にしてくれていることなど、十分すぎるほどに承知している。それが壊れ、歪んだ結果だとしても、子供へと向ける愛情自体は本物だ。

 だからこそ、それまで家族なんてものを知らなかったアキラは自分を愛してくれている母を悲しませたくはなかった。


「結局、ここで考えたところで何がか帰結するってわけじゃないんだ。だから、直接対峙してみて、心のままに動けば良い。ただし、お前を大事に思ってる人がいることを忘れんなよ」

「……ああ」




「──さて、じゃあ残念会兼祝勝会を始めるか」

「それはやんのかよ」

「まあ、せっかく準備したんだ。もったいないだろ」


 まだどうするかなど決まっていない。どうしたいかもわからない。だがそれでも、アキラの気持ちが軽くなったのは確かだった。


「…………ウダル」

「んあ?」

「ありがとな」

「……おう」

「あら、ウダルどうしたの? 疲れでもした? 顔が赤いわよ?」

「なんでもねえ。気にすんな」

「そう? ……ふーん?」


 意味ありげな視線でアキラを見たエリナだが、おおよそ何があったのか察したのだろう。


 そんな彼女に、アキラはシッシッと追い払うように手を動かした。


「心のままに、か。どうなるんだろうな……」


 自身の感情を完全に制御することは神ならぬ身には不可能だが、神であっても自身の心を理解することは不可能なことだ。


 次の試合にてアキラがどうするかなど、それは神にさえもわからぬことだった。

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