第109話聖女は話す
アキラ達が大会の予選に挑む数日前。
あまりものが置かれてはいないが、使われているものは全て高級品が使われている品のある部屋へと剣の聖女であるアーシェがやってきていた。
「ようこそ。先日は大変だったようですね。だいぶ暴れたとか」
高価な品々であつらえられた部屋で、アーシェは部屋の中で椅子に座っていた女性にどうぞと席を勧められた。
だが歓迎するような言葉とは裏腹に、その声はともすれば鋭さすら感じてしまいそうなほどに平坦な色をしている。
「ええ。個人的な感情での行動でしたので、あなたにはご迷惑をおかけいたしました」
だと言うのにアーシェは物おじすることなく席につき、いつものように聖女として肩肘張った態度ではなく、まるで友人かのような気やすさを持って応えた。
「個人的な、ですか。珍しいですね」
相手である女性のことを考えればそれは不敬と捉えられてもおかしくないものだ。
だが、女性はそれを受け入れ、アーシェと同じように気安く返している。
それも当然だ。二人は友人のような、ではなく本当に友人なのだから。
「そうですね。ですが、数少ない友人が関わっていたものですから」
そしてこの二人には共通の友人が一人いた。
普段会うことはほとんどないが、それでも機会があれば三人で揃って和やかに話をする程度には仲のいい関係だ。
それは聖女と、そして王女という身分の二人にとっては数少ない、かけがえのない存在だった。
「……それはコーデリアのことですよね?」
アーシェの言葉を聞いて、王女アトリアは端正な顔をわずかながらも鎮痛そうに歪めた。
「ええ。ご存知でしたか」
「魔法の反応で監査官が出た際に調べましたから。……それで、あの子はどうなったのですか?」
アーシェとしては今回初めてコーデリアのことを教えたはずなのだが、そこはやはり王女だからというべきか、アトリアはすでにコーデリアになにが起きたのかを知っていた。
とはいえ、それは聖女への襲撃があり、その際に貴族の子女が巻き込まれたという表層部分だけでしかないが。
故にアトリアはコーデリアのみになにがあったのかを尋ねた。
「——なるほど。それで教会の騒ぎですか」
アーシェからあの日になにがあったのかを聞いたアトリアは、今日一番と言っていいくらいに顔を歪めて大きく息を吐き出した。
それは普段の彼女のことを知っていれば驚くべきことだろう。
普段のアトリアはあまり表情を変えたりしないし、人前でため息を吐いたりはしない。
アトリアのことを知る者は、彼女はまるで人形のようだと評することさえある。
だというのにも関わらず、今のアトリアは身近な者に起こった不幸に心を痛めている。
それほどまでに彼女にとってはコーデリアという存在が大事なものだということだ。
だが、アトリアにとってコーデリアが大切な存在だと言うのは変わらないしアーシェにとってもそれは同じであることは理解している。
が、それでも些か納得できない箇所もあった。
いや、教会の掃除そのものは後リアも賛成なので、納得できないと言うよりは疑問がある、と言った方が正しいか。
だが、アトリアはそんな疑問を聞くことなく話が進んでいく。
「ええ。もっとうまいやり方はあったのですが、少しでも早く処理してしまいたかったのです」
アーシェは聖女という教会でもそれなりに上の立場だが、今回の件はそれなりに無茶をした。
悪いのはこの地の教会の上層部のものたちだったが、それでも然るべき手順を踏んでから動くべきだった。
アーシェとて、そうわかってはいたのだ。
だが、わかっていても動かずにはいられなかった。
「貴方らしくない強引さですね。……ですが、それで正解です。貴方が動いていなければ、私が動きましたので」
しかし、普段はあまりこういった政治に関わろうとしない王女が急に動いたのなら、それは騒ぎになる。
そして、それが国内のこととはいえ、自国の貴族や平民ではなく、本部を他の国に構えている教会に干渉し、強引に上層部の者達を捌いたりしたのなら、それは後々問題になってしまう。
だが強引だったとはいえーシェが動いたのなら、まだ内輪のことで終わらせることができた。
なので、多少の強引さのせいで周囲からの不平不満が聖女であるアーシェに向かうが、結果としては大ごとにならずに良かったとも言える。
「……貴方が動くと問題が大きくなりすぎます」
「ええ。ですから、貴方がやってよかった、と。あの子は、私にとっても大切な友人ですから」
王女としてのアトリアは、もっと違うやり方があっただろうと思っている。
だが、アトリア個人としては、すぐさま動いたアーシェに拍手を送りたいほどだった。
「それで、今日来たのはその後始末のお礼、というわけではないのでしょう?」
しかし、いくらアーシェが動いたことによって教会内の内輪揉めとして片付けることができた今回の出来事だが、それでも他国に場所を借りている以上は完全に騒ぎを揉み消すことはできるはずもなく、アーシェは動こうと思ってからすぐにアトリアへと騒ぎへの対処を願う手紙を出していた。
今日はそのお礼と説明のために来たのだが、来た理由はそれだけではなかった。
アトリアの言葉を受けて、アーシェは自身に出されたお茶を一口飲み、カップを置くと居住まいを正して、この場所に来たもう一つの理由を話し始めた。
「そうですね。──今回の大会は予選の内容を変えていただきたくお願いに参りました」
今までよりも殊更真剣な様子でそう言ったアーシェに対し、アトリアは一拍置いてから小さく息を吐き出して応えたが、その内心では僅かに驚きがあった。
「驚きですね。あなたがそのようなことを言ってくるとは」
無闇に頼ってしまえば友人としていられないと考えているアーシェは、普段は王女としてのアトリアに頼ることはしない。
アトリアもそれを知っているからこそ小さくではあるが驚いていたのだが、それでもアーシェには自分の考えを曲げてでも頼みたいこと、頼まなければならないことがあった。
「私としても、他国に必要以上に干渉しないようにしていたのですが、今回は少々罪滅ぼしも兼ねて……いえ、大半は八つ当たりですね」
「また珍しいことを……。理由は話してくれるのでしょう?」
「……ええ」
アーシェは先ほど、自分たちの友人であるコーデリアが自分への襲撃に巻き込まれたことを話したが、そこではコーデリアが攫われた時のことも記憶のことも、そしてそれを解決したアキラのことも話していなかった。
しかしアーシェは、彼女ならば無闇に話すようなものではないし、何よりも話しておけば今後の彼女を守る一助になるとわかっていた。
そして、自分たちが妹分として可愛がっていた友人であるコーデリアを助けたのが外道魔法の使い手だと分かったとしても、無体な真似はしないとわかっていたから。
だからこそ、アーシェは一瞬だけ迷ったものの、自身の知った全てを王女アトリアへと話すことにした。
「──なるほど。それでゴブリン退治ですか」
「はい。ゴブリンだけでは内容としては不適切なので、他にも対象としましたが、概ねこのような形でお願いしたく思います」
そしてアーシェから話を聞いたアトリアは、なぜアーシェが強引に教会を掃除しようとしたのかも完全に納得し、なぜ大会の予定の変更などと言うものを大会を数日後に控えている状況で願ってきたのか理解できた。
「わかりました」
故に、アトリアはアーシェの申しでに頷いた。
普通ならばそんなことはできない。
が、そもそもこの世界中から武芸者を集めると言う大会は、アトリアが自身の結婚相手を探すという理由のためにこれほどまで規模を大きくしたのだ。
国一番だという大会だったのは変わらないが、元々はもう少し狭い範囲でのものだった。
それがこれほどまでに大きくなったのは、アトリアが自分に勝てるものでないと結婚しないと駄々をこねたからだった。
最悪の場合、アトリアは出奔するとも言って強引に話を進めたのだ。
王としても、娘に出て行かれるのは嫌だし、王女に出て行かれるのは困る。そして何より、国の最高戦力が消えると言うのが大問題だった。
だからこそ、娘に出て行かれないようにと大会を——結婚相手探しを行なっているのだ。
自身の結婚相手を探すという理由で開かれている大会だからこそアトリアはある程度なら干渉することができ、直前での大会のルール変更なんてことの可能だった。
「随分とあっさり動いてくださるのですね」
「言ったでしょう? コーデリアは私にとっても大事な友人。妹のような存在です」
しかしアーシェはそんなに簡単に了承されるとは思っていなかったのか、軽く目を瞬かせてからアトリアに疑問を口にした。
が、その問いにアトリアは迷うことなく答えをかえし、その理由はアーシェにも納得できるものだった。
「私は、自身の大切な者を守るためならば、それ以外のものがどうなろうとも構わない……とまでは言いませんが、それでも優先順位があるのは確かですね。大事な物は、もう二度と手放したくありませんから」
そう言ったアトリアは鋭く、刃のような雰囲気を纏っていた。
「それは例の探し人ですか?」
「ええ。どうやらこの近くに来ているようですが……ふふ、もう直ぐ見つかると思います」
だが、常人であれば萎縮してしまいそうなアトリアの様子にもアーシェ怯むことはなく、アーシェが言った言葉を聞くや否や、アトリアは纏っていた鋭い雰囲気を消して今日一番の楽しげな笑顔を見せた。
「あら、そうなのですか?」
「おそらく大会に出てくるのではないかと思います。あの人は気がつくでしょうか?」
「貴方を手に入れるために、ですか」
そんな普段の凛とした姿とは全くと言って良いほど違い、少女のように笑うアトリアに付き合いの長いアーシェも驚きながらも話を続ける。
「結婚相手を大会で探すなど、初め聞いた時は頭がお……驚きましたが──」
「ちょっと待ちなさい。今、頭がなんだと言おうとしたのですか?」
「何かおかしなことを言いましたか? 頭が驚いたのです。少々言葉の使い方を間違えました。やはり私も驚いているのでしょうね」
「……まあいいでしょう」
どう考えてもおかしな言葉とその前に起こった不自然な途切れ方だったが、それを追求したところで喜ぶものは誰もおらず、逆に傷つくものが出てくるとわかっていたアトリアはアーシェの言葉を気にしないことにした。
が、その表情は僅かながらも不機嫌そうに歪んでいた。
「まあそれで、驚きましたが、今ではやっとか、という思いですね」
アトリアが結婚相手探しと称して大会に手を加え出したのは今から十年以上も前、アトリアが十四歳の時だった。
今のアトリアは二十五。もうすぐ二十六を目前としているのだが、この国では——どころかこの世界ではいき遅れと言っても良い年齢だった。
だからこそアーシェも多少なりとも心配しているのだが、それが見つかりそうなようで何よりであると安心していた。
「もし今回の方があなたの探し人ならば、その時は私にも紹介してくださいね。以前からの約束でしたよね?」
「わかっています。その時には、三人で……いえ、四人でお茶でもしましょう」
「……そうですね。ええ、四人で」
四人で、というのはこの場にいるアトリアとアーシェの二人と、アトリアの探し人。それからコーデリアのことだった。
それからなにを思ったのか二人とも黙り込んでしまったために部屋には沈黙が訪れたのだが、しばらくするとアーシェが席を立ち、アトリアへと声をかけた。
「──では大会の予選の件、よろしくお願いします。私の名前を出しても構いませんので」
「ええ。できる限りそうならないようにしますが、最低限、あなたの頼みは実行させます。私としてもそうしたいと思いますから」
もう一度コーデリアを交えてみんなで楽しく話すことができる日を願って、アトリアとアーシェはそれぞれ動き出した。
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