第106話聖女は裁く
アーシェはアキラの様子を伺った後、コーデリアの家で待つのではなく現在滞在している場所において拠点としている、この街で最も大きな教会へと戻ってきていた。
そして教会に戻ったアーシェは、すぐさま配下を集めると状況の確認をし、指示を出していった。
聖女からの指示を受けた者達は、なぜ、だとかの疑問を挟むことはなく、アーシェの指示に従って速やかに動き出した。
アーシェは動き出した配下の姿を見ると、自分もやらなくては、と行動に移し、今回これから起こす行動に際しての最低限やらなければならない手続きを進めていった。
緊急であり、明日には必要になるために急ぎで完成させなければならないそれらの書類であったが、それと同時に今日行っていた炊き出しの報告書も仕上げなかればならない。
急いで他にやることがあるのだから、そんなものは後回しでいいではないかと思うかもしれないが、報告書を書くのもやらなければならない作業の一つだ。
重要かと言われたらそうではないが、それでも定められていたことができていな方のなら、それは疵になり、後々面倒なことになるかもしれない。
だからこそ、アーシェは忙しい中であっても、どんな些細なことでも全てをこなしていった。
元々それなりに時間が過ぎていたと言うこともあるが、そうこうしているうちに日が登り始め、空の端がうっすらと明るくなり始めた。
「聖女様」
それでもアーシェは気にせずに作業をしていると、完全に日が昇って少ししたあたりでノックとともに部屋の外から声がかけられた。
その声は指示を出した配下のもので、アーシェは手元から顔を上げないまま返事をした。
部屋の中に入ってきたアーシェの配下は、アーシェが一晩中書類仕事をしていることを知っているからかぐっと顔を顰めたが、すぐに報告を始めた。
どうやらアーシェが頼んだことは無事に達成できたようだ。
「わかりました。すぐに準備をしましょう」
そこでようやく顔を上げたアーシェだが、その顔には疲れの色が浮かんでいた。
だが、本人もそんな疲れを自覚しているものの、一度大きく深呼吸をすると立ち上がり、人を読んで身支度を始めた。
そして全ての準備を終えると、アーシェは後ろに数人を引き連れて目的の場所へと歩いていく。
その表情は真剣なもので、寝不足気味ではあるが、それでも瞳の奥だけはまるで獲物を狙っているかのように鋭い光が灯っていた。
(おそらく昨日の件を指示したのはここの者たちでしょう。……そうであって欲しくないことですが)
歩きながらも考えるのは昨日のこと。
昨晩の襲撃は、けが人こそ出たものの死者はいなかった。
それはあの場にアキラやアーシェがいたことも要因の一つではあるのだが、それにしてもただの一人も死んでいないと言うのは流石におかしい。
少なくとも、初撃に限ってはアキラでさえも油断していたために気づけなかった。
ならば襲撃者が本気で殺しにきていたのなら、誰かしらを殺すことはできたはずだ。
だと言うのに、少ないながらもいた聖女の護衛は怪我をしているだけで誰一人として死んでいなかった。
(違っていたのなら私に何某かの要求をしてくるでしょうけれど、それはそれで構いません。その場合は教会内に襲撃などと言う愚かなことをする者がいないと言うことなのですから)
アーシェは教会の内部に……と言うよりもこの場所に敵が紛れていると考えた。
そしてそのせいで友人と恩人が苦しむ羽目になったと。
故に、アーシェは昨晩から休むことなく動き続けたのだ。自身の立場としての責務と、自身の心情の両方のために。
「皆様、私の呼び掛けに参加してくださり感謝いたします」
目的の場に着いたアーシェだが、そこにはすでに何人もの煌びやかな衣を纏った男達がいた。
「緊急の呼び出しとはいったいどうことでしょうか?」
「昨日襲撃に遭われたようですが、その件に関してですかな?」
「ああそういえば、昨日は例の怪しい店の店主と共にいたとか。そちらに関してではありませんかな?」
「なんでも楽しげに笑って歩いていたとか」
「見た目は少年といっても確か成人はしていたはず。男と歩くのが楽しいとは……聖女様も女だったというわけですか」
「自身の年齢を考えればお気持ちは分からんでもありませんが、もっと教会のことも考えていただきたいものですな。醜聞など広がろうものなら大変ですぞ」
アーシェが現れるや否や、その体を舐め回すような視線をむけ、甚振るような言葉を投げかけたのは、この教会において意思決定を行う上部のもの達だった。
普通であれば教会本部でも最上位に位置する『聖女』にこのようなことを面と向かって言うような愚か者はいない。
だがこのもの達はこれまで本部との関わりが薄く、今まで何も言われてこなかったことで、調子に乗って自分たちが最上位の存在なんだと勘違いをしてしまったようだ。
「お静かに」
だが、そんな愚か者どもの声を遮って、アーシェが語りかけた。
大声で叫んだわけでもないのにやけにはっきりと聞こえたその声に、鬼気迫る迫力がこもっていたのはきっと気のせいではないだろう。
だがそれは、目の前の坊主どもがうるさいからであって、自身の年齢で結婚していないことで揶揄されたからではないはずだ。
背後に控えていたアーシェの配下達は、なぜだか薄ら寒ささえ感じる聖女の怒気に驚き、怯み、知らずのうちに僅かに後退りしてしまっていた。
だからこれは友人を大変な目に合わせてしまう原因を作ったものたちへ、そして教会を私欲のために使っているもの達への怒りだろう。
アーシェの配下たちはそう思い込もうとしたが、チラリと見える聖女の笑みが、なぜだかいつもと違って見え、本当にそうなのだろうかと思ってしまった。
いや、そうに決まってる。だって聖女様は年齢や結婚について言われたからといって怒らないから。
アーシェの配下の者は頭を軽く振ることでそんな考えを払ったが、アーシェの雰囲気を感じ取ったのか、口々に悪意を吐き出していた男達も黙り込んだ。否。黙る以外にできなかった。
「昨日の襲撃に関して、あなた方が関与したのではありませんか?」
そして場が鎮まり、誰も何も言わなくなったところでアーシェは口を開き、問いかけ、昨日の出来事を説明した。
「我々が? 何を根拠にそのようなことをおっしゃられているのですか?」
「そも、我々にそのようなことをする理由などないではないですか」
「そうです。私たちも貴方様も、共に同じ神を信仰する者。争う理由がありません」
「それともなんですかな? 貴方は我々がやったと明確な証拠を持っているとでも? ないのであれば、それは聖女という身分を利用した悪質な言いがかりとなりますが、それをご理解しておられますか?」
アーシェが話しかけてきたことで威勢を取り戻すことができたのか、男達はお互いに顔を見合わせるとすぐに口を開いて反論し始めた。
(……ここは神の家だというのに、まさかですね。まさか、教会の上層部がこのような欲にまみれていたとは)
だが、そんな男達の言葉を、アーシェは冷ややかな目で見ながら聞き流していた。
もう充分。それがアーシェの管した判断だったからだ。
「証拠、ですか」
「そうです。何もないのに我々を糾弾したとなれば、本部に連絡をしなければなりませんな」
確かに、いくらアーシェが教会本部の最上位の立場とはいえ、だからと言って何でもかんでも好き勝手できると言うわけではない。
聖女というのは最上位に位置しているが、求められている役割としては『管理』よりも『象徴』なので、権限が薄いのだ。
だから、いかに聖女といえど自分たちを直接どうこうすることはできないだろうと男達は高を括っていた。
だが、怒りが一定値を超えた人間というのは、多少の無茶など気にすることなく突き進むものだ。
「証拠など……そんなもの、これから作ればいいのです」
「何を……っ!?」
アーシェの言ったことに動揺する男達だが、それも仕方がない。
祭り上げられただけの小娘だと思っていた相手が牙を剥いたのだから。
「あなた方は命じていないとおっしゃられましたが、それはこの私の前でも断言することができますか?」
アーシェの放つ雰囲気に飲まれてか、誰一人として言葉を発することはできなかった。
だが、男達も教会という枠の中で上部まで上り詰めた者達だ。そんな者達であれば、突然の状況でも嘘をついて場を凌ぐことはできただろう。
だが、それでも男達は言葉を発することができなかった。
この場で弁明しようとすれば、それは嘘をつくしかなく、嘘をつけば、『審判』や『正義』を司っている『剣の聖女』にはその嘘がバレてしまい、自分たちを裁く理由となってしまうから。
「どうされました? あなた方は襲撃の件に関わっていないのですよね? ならばはっきりと言葉にすることができるはずです。もし言葉にできないというのであれば……」
だから男達は黙るしかないのだが、そのまま黙ったままでいることをアーシェは良しとしない。
「申し訳ありませんが、斬らせていただきます」
そういうや否や、アーシェは後ろに控えていた配下から剣を受け取り、それを鞘から引き抜いた。
「そんっ……なことが許されると思っているのか!?」
「はい。思っております」
「なっ……」
「そもそも、この剣は斬ると言っても物理的に効果があるわけではありません。私の問いに嘘をついた方の魂を斬るだけです。ですので、嘘をつかなければ何も起こりませんよ」
各神から選ばれた聖女は、それぞれが違う能力を持っている。
アーシェの『剣』の場合は、嘘をついたものを班別する能力や、アーシェが罪人と判断したものを裁く能力がある。
「受けて、いただけますよね?」
「「「……」」」
「これは命令です。当代の『剣の聖女』よりあなた方に命じます。私の問いに答えるか斬られるか、選びなさい」
アーシェの目を見て本気で切られると悟ったのか、男達は小さな声で静かに話し始めた。
「た、確かに我々は襲撃の指示をした。だが呪いなどは知らん!」
「本当に呪いなどかかっていたのか? 我々をはめるために適当なことを──」
「彼女には確かに呪いがかかっていました」
その言葉とともにアーシェは自身の首へとその手に持っていた刃を埋める。
だが何も起こらない。それによって彼女の言葉は嘘ではないと証明された。
しかしそうなると、男達には訳がわからなくなる。何せ、本当に呪いなどかけていないのだから。
そして、コーデリアには呪いなどかかっていなかったのだから。
だがそれでもアーシェの言葉は嘘ではないと証明されている。
(事実ではない。けれどこれは嘘ではありません。確かにあれは魔法的な、皆の思い浮かべるような呪いではありません。ですが、確かにあれば呪いでした。心を蝕み、魂を蝕み、いずれは自らを死へと追いやる最悪の呪い)
本気でそう思っているからこそ、アーシェの言った『呪いにかかっていた』と言う言葉は嘘にはならない。そしてそのことを本人もしっかりと理解していた。嘘さえつかなければなんの問題もない、と。
「友を助ける。恩人を助ける。たったそれだけのことなのに、全てを投げ打ってでも行動することができない。こんな時でも保身を考えている自分が嫌になりますね……」
後のことを考え、自分は無事でいられるように行動する。それは大事なことだし、聖女という身分を考えれば当然とも言える行いだ。
そうでなくても、今後の対応を考えれば冷静に動いた方がコーデリアたちのためにもなる。それはわかっている。
だが、それでもアーシェはそれが気に入らなかった。
大事な友達が危険な目にあって、目の前にはその原因を作ることとなった犯人たちがいると言うのに、それでもなお後先を考えずに動くことができなかったから。
今すぐにでもこいつらを殴りたい、裁きたい。
だが、心とは別に頭はそう考えず、体は動かない。それがたまらなく嫌だった。
「は?」
「いえ、こちらの話です。……それで、お話いただけるのでしょうか? それとも斬られることを望みますか?」
「「「……」」」
アーシェの問いに答えるしか生き残る道はない。
だが、答えてしまえば今の地位にいられなくなってしまう。
なので男達にはアーシェの問いに答えられず、どうにか誤魔化してこのままなあなあで終わらせようと考えていた。
「さあ──答えなさい」
しかし、アーシェがそんなことを許すわけがなかった。
「……これで私の罪を償えたとは思いませんが、それでも少しはあなた方の助けになることができたでしょうか?」
この日、この国の教会の上層部は全員入れ替わることとなった。
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