第105話襲撃の翌日
「だいぶ、落ち着いたな……」
アキラと同化しかけていたコーデリアの記憶だが、それは一晩かけることでなんとか分離し、混ざらず、表に出てこないようにすることができた。
今では前世の記憶とも今世の記憶とも違い、記憶の片隅で『そんなこともあったな』程度に収まっている。
だがそれは、逆にいえばそれは片隅を陣取って存在し続けているということなので、不測の事態によってまた表に出てくることもあるかもしれなかった。
そんなリスクを負って面倒なことをするぐらいなら、記憶を消してしまえばいい。
他人の記憶であれば初めから覗かなければならないが、自分の中の記憶であればそんなことをする必要はない。消そうと思えばいつでも記憶のコーデリアを消すことなど容易いことだった。
だが、アキラはそれをよしとしない。
アキラ自身その想いを明確に言葉にすることはできないが、それでも自分の中にいる少女を消すことなどしてはいけないと……したくないと思った。その結果自身が苦労することになったのだとしても。
「コーデリアが満足すること、か……」
方法はわかっている。アキラがコーデリアと結婚すればいいだけだ。
そして彼女の記憶を本人に戻してそれでも受け入れる。それができればコーデリアにとっては満足できる完璧な状態だといえよう。
だが、アキラにとってはその選択をすることはできなかった。
「悪いが、先約があるんだ。せめてそっちがどうなるか確認してからじゃないと無理だ」
それはコーデリアに好意を感じていないだとかではなく、自分には好きな人がいるからで、せめて女神の生まれ変わりがどんな状況になっているのか確認してからでないと頷くわけにはいかなかった。
「……本人の様子を見に行くか」
アキラはそう呟くと、自分の中にいる『コーデリア』ではなく、実際に存在している少女の方のコーデリアへと会うためにベッドから立ち上がって部屋の外へと歩き出した。
「はい」
ドアを叩いて部屋の中に呼びかけたアキラだが、そうしてから先に父親であるコルドラに声をかけてからの方が良かったんじゃないかと思った。
だがドアはすでに叩かれており、部屋の中からの返事も聞こえてしまっている。
仕方ないと軽く頭を振ると、アキラは部屋の中へと向けて声をかけることにした。
「あー、俺……アキラだけど、大丈夫か?」
「あ、アキラ様! どうぞ!」
以前捕まっていたところから助けて以来、変わらない様子の少女の声が、少し慌てながらもアキラの問いに答え、部屋のドアはアキラが開ける前に勝手に開いた。
開けられたドアから部屋の中を見ると、ベッドに座っているコーデリアの他に二名のメイドがいたが、コーデリアは貴族なのだからその看病役としていてもおかしくないとすぐに見切りをつけた。
「……」
「? あの、どうかされましたか?」
そしてアキラは部屋の中に入るとコーデリアのことを見つめ、そのまま動かなくなった。
だが、どうしてそうなっているのかわからず、そのことをコーデリアは不思議そうに首を傾げているだけだった。
アキラが黙り込んだのは、コーデリアの姿を見た瞬間自身の中の少女の記憶が僅かに顔を出したからだ。
自分は覚えているのに、なんでこいつはこんなにも無邪気で笑っていられるんだ、と。
「いや、どこか具合は悪くないかと思ってな」
だがそれもほんの僅かなこと。アキラはすぐに軽く頭を振ると、コーデリアに向かって話し始めた。
「平気です。お父様に言われて一応こうしてベッドにいますが、もうすっかり元気ですから!」
「そうですか。それはよかったです」
アキラの言葉遣いが微妙に安定しない。どうやらアキラの中の『コーデリア』の影響が出てきているようだ。
一晩休んだことでしっかりと制御できていると思っていたアキラだが、やはりまだ直接本人と会うのは早かったか、と内心で舌打ちをし、できるだけ早く切り上げようと決めた。
「あっ、そうでした。あまりよく覚えていないのですが、襲撃で気を失ってしまったところをまた助けていただいたいたみたいで……。以前に引き続き、今回も助けていただいて、ありがとうございました!」
過去に攫われた時の記憶を消すのと一緒に、襲撃の時から目が覚めるまでの間の記憶も一緒に消したので、コーデリアにとっては前回と今回の二度にわたってアキラが自分のことを助けてくれたと言う事実しか残らなかった。
その気持ちはアキラの中にいる『コーデリア』の抱いている感情とはまた違うが、それでもどちらのコーデリアも『自分を助けてくれたヒーロー』を見る目でアキラのことを見ているのは同じだった。
「……いや、ちょうど居合わせただけだからな。そんなに感謝されるほどのことでもないよ」
「そう言うわけには参りません! この御恩は──」
「俺はそろそろ下にいくよ。伯爵にも話をしないといけないし、コーデリアもまだ安静にしておかないと。じゃあお大事に」
「あ──」
コーデリアはまだまだたくさん話したいことがあったのに、最後まで聞く前に背を向けて歩き出したアキラ。
そんなアキラの反応を見てコーデリアがどことなく悲しげな声を漏らしたが、それに気づいていてもアキラは部屋を出て行くのを止めなかった。
これ以上、彼女の幸せそうな顔を見ていられなかったから。
「……ふううぅぅぅ…………」
部屋を出たアキラは少し歩いてドアの前から離れると、壁に寄りかかって胸に手を当てて深呼吸をした。
そうすることで、顔を出していた自分の中にある少女の記憶を落ち着かせたのだ。
「……よし、大丈夫だ。行くか」
ある程度落ち着かせることができたアキラは、再び廊下を歩き出して階下に降りていくと、その辺にいた使用人を呼び止めてコルドラへの面会を求めた。
コルドラにもやることがあるだろうに、客人とは言えすぐに対応してもらえることとなり、アキラはコルドラの私室へとやってきていた。
執務室ではなく私室に通したのは、アキラと話すのなら落ち着ける場所がいいと言うことが第一の理由だ。
一応執務室で仕事をしていたコルドラだが、その内心は落ち着かず、気を紛らわせるためにいつも通りに仕事をしているだけにすぎなかった。
なので、落ち着いて話すためには執務室から離れたかったのだ。
そして二つ目の理由は、信頼の証である。
普通客人であろうとも、貴族の私室に通すことなどない。
下手に他人を部屋に通せば、どこかに毒を仕込まれることがあるかもしれないし、情報を抜き取られることがあるかもしれない。
故に貴族は他人を私室に通さない。普通は専用の来賓用の部屋を使うものだ。
だがそれでも通したと言うことは、それほど信頼しています、と言う証明になり、それはコルドラからアキラへの感謝の証明でもあった。
「伯爵。昨日は部屋を貸して抱き感謝いたします。加えて、昨晩の無礼、謝罪させていただきたく存じます」
「謝罪など……むしろそれは私がする方だ」
突然家に押しかけたことや、その時の言葉など、平民が貴族に向ける態度としてはなんらかの罰を与えられてもおかしくはない。
コルドラはそんなことをしないだろうと思っていたが、それでも謝らないのは違うので、アキラは丁寧に頭を下げた。
「……それで、もう大丈夫なのかね?」
「ええ。消えたわけではありませんが、表に出てこない程度には受け入れられました」
「そうか……ありがとう」
コルドラはアキラの言葉を聞くと、目になみだを浮かべて感謝の言葉と主に頭を下げた。
「……いえ、コーデリアを助けると決めたのは俺自身ですから」
「だとしても、受け入れてくれてありがとう。君なら自身の内にある記憶を消すことなど容易いのだろう。だが君はそうしなかった。記憶だけの存在を生きているとはいえないのかもしれない。だがそれでも、私の娘を殺さずにいてくれてありがとう」
たかが記憶とはいえ、コルドラにとってはアキラの中に〝いる〟『コーデリア』は娘なのだ。
実在しているコーデリアも、記憶だけの『コーデリア』も、そのどちらもが等しく自身の大切な娘だ。少なくとも、コルドラはそう考えていた。
だが、アキラにとっては他人の記憶など厄介なだけであって邪魔なはずだ。だと言うのに、それを捨てることなく受け入れてくれたことで、心の底から感謝していた。
コルドラはあの時自分に向けられた、記憶だけという、もはや人とは呼べないような状態になった娘から向けられた憎悪の瞳が忘れられない。
自分はコーデリアを助けられなかった。
だが、救いがないわけではなかった。
確かに自分は娘を救うことはできなかった。だがそれでも、あのこに救いがなかったわけじゃない。あの娘は世界の全てに絶望しながら一人で死んでいったわけじゃない。そう思えた。
だからコルドラは、そんなことをしても何の意味もないとわかりながらも、涙を浮かべながらアキラに頭を下げた。
「……いえ。それも、俺が選んだことですから」
「だとしてもだ」
コルドラはその言葉を最後に表情を一転させ、真剣なものから笑顔へと変えると椅子から立ち上がった。
「──さあ。話ばかりしていてもなんだ。朝食を用意させたから食べてくれ」
「ではお言葉に甘えさせていただきます。……そういえばアーシェ……聖女様はどちらに?」
「聖女様は昨晩のうちに教会に戻られたよ。流石に大規模な緊急事態でもないのに事前の申請なしに外泊はできないとのことだ。本人は残りたがっておられたがね」
本当は昨日の炊き出し会が終わったらすぐにでも教会に戻るはずだったのだ。
それが無理を押してコルドラの——と言うよりもコーデリアの家に来たことには理由があったのだが、多少の問題もあった。
アーシェは聖女という教会の中でもそれなりに力を持った存在だが、だからといって軽々しく規律を見出していいわけではない。
故に、そのまま留まっていてもコルドラ達の迷惑になると考えて一度帰ることにした。
もっとも、素直に帰った理由はそれだけではなかったが。
「アキラくん。今回の件についての詳細や後始末は、我々の方でやっておく。教会関係は聖女様がどうにかすると言っていたし襲撃者に心当たりがあるとも言っていた。だから、後始末が終わったらまた話をさせてもらいたいのだが……良いだろうか?」
(犯人の心当たりがあるって……教会か? それ以外にはあの箱入り『聖女』が心当たりありそうな相手なんていないだろうし、貴族関連だったら伯爵も何かしら知っていてもおかしくないが、今の言い方だと彼は何も知らない感じだった)
アーシェの交友関係はある意味で広いが、ある意味ではとても狭い。
教会や権力者相手であるのならそれなりに繋がりがあるが、教会意義は権力者と言ってもそれほど多くのつながりはない。
加えて、それら意外となるとトンと繋がりがなくなってしまうので、自分を狙った襲撃の可能性など、アーシェにはすぐにわかった。
もちろんそれは証拠などない、ほとんどが憶測や推測でしかなかったが、それでもアーシェは動いた。
いや、止まることを良しとしなかった。
(それにどうにかするってことは、どうにかしないといけないってことだろうし……となると犯人は教会関係者ってことになるんだが……まあ、やる気らしいから任せて置けば良いか)
「はい。もちろんです」
「それと改めて、今回も我々を助けていただき、誠に感謝いたします。貴方からの願いは、何に変えても必ず叶えてみせます」
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